TOTO
過去の展覧会

2000年10月17日―12月23日
監修=阿部仁史、五十嵐太郎、曽我部昌史、千葉学

第1期 2000年10月17日〜28日
空所――都市をいかに再生させるのか?
アトリエ・ワン/塚本由晴+貝島桃代:ペット・アーキテクチャー・プロジェクト
ファクター エヌ アソシエイツ/千葉学+ナンシー・フィンレイ
:「ヴォイド」の「リニューアル」

第2期 2000年10月31日〜11月11日
環境――内部と外部をいかに関係させるのか?
遠藤秀平:Rooftecture/分有体
西沢立衛:環境

第3期 2000年11月14日〜25日
集積――建築はいかに社会と接点をもつのか?
阿部仁史+小野田泰明:10,000
梅林克:住宅の「問題機制」から

第4期 2000年11月28日〜12月9日
混交――アイデンティティはいかに生成するのか?
クライン ダイサム アーキテクツ/アストリッド・クライン+マーク・ダイサム:DELUXEタワー
マツオカ・ワン・アーキテクツ/松岡恭子+王大君:LINE→STAIN

第5期 2000年12月12日〜23日
地形――都市をいかに読み込むのか?
みかんぐみ/加茂紀和子+熊倉洋介+曽我部昌史+竹内昌義+マニュエル・タルディッツ:都市のゴルフ
宮本佳明:dis-location 脱臼都市 
眼前に迫った新世紀に曙光を期待すべく、次代を担うであろう1960年代生まれの若手建築家を招聘し、彼らが考える「都市と建築」をテーマにした展覧会。監修者にも60年代生まれの建築家、建築評論家を迎えた。

2000年8月2日―9月30日
出展者=岸和郎
建築がギャラリーという場で表現し得る次元、抽象的なレベルで表現可能な切断面をもち得ることは確かなことであり、そのことが問われるのが展覧会という形式でしょう。しかし一方で建築には別の側面もあります。それは現実の敷地・社会・経済・文化といった、さまざまな状況を引き受けながら建つ、とてもリアルなものとしての建築という側面であり、自分ではそのことがもたらし得る建築の力にも、魅力を感じているのです。(岸和郎)

2000年5月20日―7月15日
監修=植田実、内藤廣、中村好文、山崎健一
今回の展覧会では、宮脇氏の幅広い活動の中で生涯にわたりその中心であった住宅設計に焦点をしぼり、「松川ボックス」「船橋ボックス」「ブルーボックスハウス」など代表作8点を20分の1の断面模型として新たに制作するとともに、実施図面やスケッチを展示します。

2000年3月3日―4月28日
出展者=青木淳
構成に興味がある。しかしその構成を本当の建物をつかって「表現」してみたいとは思わない。構造の仕組みに興味がある。しかしその構造の仕組みを建築という生身の物質をつかって「表現」したいとは思わない。(青木淳)

1999年12月4日―2000年2月19日
第一期:再生 1999年12月4日〜22日
第二期:流動 2000年1月11日〜29日
第三期:混沌 2000年2月1日〜19日

出展者=石山修武
展覧会の通低音である「開放系技術」とは、分かりやすく言えば今流行のガーデニングの先には新しい世界が垣間見えるぞ、ということだ。自分の庭を自分で考え、自分で作れるのならば、自分たちの環境は自分たちで作る方が良いのだ、そのためにこそさまざまに技術が意図され組み立て直されるべきだと言おうとしている。(石山修武)

1999年9月25日―11月20日
出展者=面出薫
光を用いてその快適な気配の罠を仕掛けようとするとき、作法が必要となる。 作法とはしごく当たり前の理に適った視点であり、所作であり、決まりごとの一種なのである。この展覧会では、際限なく自由な光のデザインの発想力と、不自由ながら奥深い光の職人芸の双方を、包み隠さず露呈することにした。(面出薫)

1999年7月2日―9月4日
出展者=新居千秋
喚起/歓喜する建築を考えるとき、文化運動としての建築、つまりその建築が建つ前後における運動が重要である。人々の心の中にそれは自分のものだ、自分たちのものだという意気を高揚させるような力の構築が必要である。(新居千秋)

1999年3月5日―4月24日
出展者=坂茂
2000年にドイツで開催されるハノーバー万博のための日本館を、現在設計している。本展覧会では「ハノーバー万博2000日本館」を中心に、現在進行中のプロジェクトの新しい構法の開発を含む設計・試作プロセスを紹介する。(坂茂)

1998年12月5日―1999年2月20日
出展者=ヤン・ケルサレ
ヤン・ケルサレは、光を題材として芸術・デザイン活動を行っているフランスのアーティストです。日本初となる今回の展覧会では、「過去」「現在」「未来」の3つの時空間に会場を分け、それぞれをテーマにした光のページェントが展開されました。

1998年9月19日―11月14日
出展者=齋藤裕
この作品展では、齋藤氏の着想と空間を追体験することに主眼をおき、「桐の茶室」「紙の待合」による幻想的なインスタレーション、各作品の発想を探る初公開のスケッチ、ビデオ、現在進行中のプロジェクトの模型などの展示により、その建築を多角的な断面(セクション)から切り出しました。

1998年7月10日―8月1日
共催=西澤文隆実測図展実行委員会
関西を中心に多くの建築作品を手掛けた故西澤文隆氏は、設計活動のかたわら「日本の建築と庭の実測調査」に取り組み、その相互の関係を詳細な実測図に示しました。展覧会ではこれらの資料のうち70点余りを、建築と庭の関係性を示す分類毎に展示いたしました。

1998年4月25日―6月27日
出展者=レンゾ・ピアノ
世界を巡回したレンゾ・ピアノ回顧展「Renzo Piano+Building Workshop—Out of the Blue」が、日本ではギャラリー・間で開催されました。この回顧展に出品された数々の作品の中から、「ポンピドー・センター」「関西国際空港」など4作品を採り上げ、その全貌を紹介。

1998年2月13日―4月4日
出展者=藤森照信
自然から採集してきた素材を使い、自然と人工との関係について想いをいたしながら手掛けた全5作のすべてを明らかにしたい。とにかく珍しいことばかり。(藤森照信)

1997年11月11日―12月20日
ゲスト・キュレーター=フランカ・セミ
監修=齋藤裕
本展では、ゲスト・キュレーターとしてスカルパの愛弟子フランカ・セミ氏、スーパーバイザーに齋藤裕氏を迎え、作品写真、ドローイング、そしてヴェネツィア建築大学でスカルパが講義をしながら描いた、世界初公開のクロッキーにより、今なお愛され続けている氏の建築の真髄にせまります。

1997年9月24日―11月1日
出展者=エットーレ・ソットサス
ソットサスが、’90年代に入って、突然「もはやアバンギャルドは死んだ〜」という衝撃的な宣言をした。今回の作品展は、この宣言を受けて、より普遍的な表現へとシフトしていく’90'年代のソットサスの活動を総括しようとするものであった。

1997年6月7日―7月19日
出展者=藤江和子
建築家とのコラボレーションを中心に照明器具や家具、インテリアや環境デザインなど幅広い領域で活動を展開するデザイナー、藤江和子。氏は自らのものづくりの姿勢を「風景をつくること」と表現しています。

1997年4月4日―5月24日
出展者=オスカー・ニーマイヤー
今年90歳を迎えるニーマイヤーの作品展は、建築家としての彼の足跡をたどるだけではなく、近代建築の基盤を築いた一人のモダニストの構築的ヴィジョンを再確認する試みであるといえます。

1997年2月6日―3月15日
出展者=シーラカンス(伊藤恭行、宇野享、工藤和美、小泉雅生、小嶋一浩、三瓶満真、日色真帆、堀場弘)
「シーラカンス」は8人のパートナーを中心に、個人・チーム・全員という単位で設計・研究活動をしています。複数の主体による多様な活動を、あるがままに伝えるために私たちはシーラカンスの「オフィス」を転送しました。

1996年11月20日―1997年1月18日
出展者=槇文彦
本展覧会は、槇文彦氏のまさに現在の活動に焦点をあてた構成の展示となりました。完成したばかりの、あるいは進行中であった「現場」の緊迫した状況を数多くのスタディ模型、構造部材模型、ドローイング、現場写真とともにリポートしました。

1996年9月11日―10月26日
出展者=ニール・ディナーリ
現代の建築は、「もの」自身を超越しコード化されたイメージの交錯する社会の中に存在します。その社会にあって、建築は一体何ができるのか。不動な建築がこの社会に融合していくためにはどうあればよいのか。その問いに対し、今回ディナーリ氏はギャラリー・間の空間で一つの解を提起しました。

1996年7月23日―8月24日
出展者=阿部仁史、小川晋一、片木篤、隈研吾、シーラカンス、妹島和世、竹山聖、團紀彦、トム・ヘネガン、松岡恭子+王大君
ギャラリー・間では、本年ミラノで開催された建築・デザインの祭典「第19回ミラノ・トリエンナーレ」への日本チームの参加を記念して「ミラノ・トリエンナーレ1996 パブリック・ボディ・イン・クライシス」展を開催いたしました。

1996年5月17日―6月22日
出展者=牛田英作、キャサリン・フィンドレイ
日常まちを歩くとき、私たちは心のなかに、ある地形図、私たちの空間に関する記憶のフレームワークとなる心的な地図を持っています。各々のひとは、そのひと個人の心理的・肉体的な経験に基づいた街のイメージを持ち、それを海図として街のなかを徘徊しています。

1996年3月15日―4月27日
監修=齋藤裕
建築家の齋藤裕氏をコーディネーターに迎えた今回の展覧会では、キャンデラの代表作品6点を、模型、CG、写真を使ってビジュアルに再現した。また、中庭ではHPシェルを用いたインスタレーション、第2会場では現地取材によるビデオ上映など、多角的にキャンデラの世界に迫った。

1995年12月5日―1996年1月31日
出展者=相田武文、アルキテクトニカ、安藤忠雄、石井和紘、石山修武、出江寛、伊東豊雄、内田繁、サンティアゴ・カラトラヴァ、川上元美、川崎和男、菊竹清訓、北川原温、喜多俊之、金仁喆、金琪碩、隈研吾、ヴィットリオ・グレゴッティ、黒川紀章、黒川雅之、チャールズ・コレア、近藤康夫、阪田誠造、篠原一男、末吉栄三、洲鎌朝夫、杉本貴志、鈴木エドワード、鈴木了二、妹島和世、象設計集団、高松伸、竹山聖、團紀彦、趙成龍、ディラー+スコフィディオ、内藤廣、ジャン・ヌーヴェル、長谷川逸子、早川邦彦、原広司、ガエターノ・ペッシェ、クリスチャン・ド・ポルザンパルク、真喜志好一、宮本忠長、村上徹、毛綱毅曠、モーフォシス、山本理顕、ヘルムート・ヤーン、葉祥栄、ダニエル・リベスキンド、六角鬼丈
ギャラリー・間は10周年記念展として、「作家としてのオリジン=原点」をメモリアル・テーマに、これまでにご出展いただいた方々の現在をあらしめた作品を「原点作品」として自選していただき、一堂に会するステージを用意いたしました。

1995年9月19日―11月2日
出展者=ジャン・ヌーヴェル
「アラブ世界研究所(1987)」で、フランスの建築界に衝撃的なデビューをはたしたヌーヴェルは、今や世界の建築界で最も注目される建築家のひとりである。その情緒的ともいえる建築は、“透過・反射・屈折”といった自然の光の特性を自在に操り、神秘的な空間にまで高めている。

1995年6月9日―7月22日
出展者=内藤廣
会場は、過去の作品を木製模型によりあらわした黒の空間、未来のプロジェクトを白色模型によりあらわした白の空間の2つからなる。これら一連の模型群を見る時、その中に内藤の追求する“素形”の姿がそれぞれの脳裡に浮び上がり、メッセージとなって伝わってくる。

1995年4月12日―5月27日
出展者=チャールズ・コレア
コレアはB・V・ドーシと並んで現代のインドの建築界を代表する建築家のひとりである。特にコレアの建築にはインドの風土に根差した固有性、文化性が色濃く投影され、インターナショナル・スタイルの建築とは距離を遠くに置く。

1995年2月10日―3月31日
出展者=隈研吾
これまでの展覧会と一味異なった趣がある。隈のすべての作品がCD-ROM化され、モニター画面上で見学者が自由に操作し、いくつかの建物とTV電話で交信できるなど、会場全体が映像を通して建築の疑似体験を可能にしている。

1994年11月8日―12月10日
1993年度を最後に「吉田五十八賞」はその幕を閉じた。建築の部18名、建築関連美術の部17名、特別賞26名のあわせて61名がこの賞を受賞した。その道程を見る展覧会である。

1994年9月10日―10月22日
出展者=サンティアゴ・カラトラヴァ
新たに上下2層に拡大された会場に、16個のオブジェが林立している。一見してそれらは建築模型などではなく、彫刻として完結していることが理解できる。

1994年6月25日―7月25日
出展者=川崎和男
会場には作家が選んだ12人の哲学者やアーティストへのオマージュとしての立方体のオルゴールが、12本の角柱の頂部に置かれ、床にはこれら12人の誕生から死ぬまでの時間を表現した時計が埋め込まれている。

1994年5月10日―6月11日
出展者=篠原一男
“Unbuilt”と“Yet Unbuilt”、それは建てられた建築と同格であり、様々な条件が加わらない分、時にはより強い影響力をもつことがあると篠原はいう。80年代以降のいくつかのコンペ案や住宅の増築計画など、9つのプロジェクトが模型化され、ひとつの系を示すかのごとく一直線に並んでいる。

1994年3月9日―4月16日
出展者=ダニエル・リベスキンド
入口部分からガラス面を突き抜けて庭の奥まで、20mの軌道が伸びている。その上を直径2mもの円盤がゆっくり回転しながら、端から端まで往き来する。“Line and Wheel”と名づけられた装置である。

1994年1月18日―2月22日
出展者=池原義郎
ほの暗い会場に、光の線だけが立ち上がっている。「浅蔵五十吉美術館(1993)」ただひとつの作品を対象にした展示。透明のアクリル板に白の線で描かれた平面と断面、あるいは原寸図が転写されている。

1993年10月21日―12月11日
出展者=象設計集団(富田玲子、樋口裕康、町山一郎)
どこか裏手の空き地に出てしまったような気分にさせられる。土や落ち葉や笹の葉、隅には牧草の束や瓦が積み上げられている。角材が道の代わりに並べられ、太い竹が組まれて全体が迷路のようである。

1993年9月3日―10月9日
出展者=村上徹
白一色の会場。屋内外を仕切る透明ガラスの一部が大きく放たれ、白い床が薄く水を張った外部まで伸びている。透明なアクリルに囲われて浮いている白い模型――「津山の家(1994)」「四季が丘の家(1990)」などの12の住宅――と、この床がインスタレーションを構成する。

1993年6月11日―7月17日
出展者=アルキテクトニカ(ベルナルド・フォート=ブレッシャー、ローリンダ・スピアー)
アルキテクトニカの建築には、赤・青・黄・白などの原色への還元を見ることができる。その色分けは、建築の構造要素の区分と一致している。建築形態は、立方体・直方体・角錐・球といった最も純粋な幾何学的エレメントに戻ろうとしている。

1993年4月24日―5月31日
出展者=菊竹清訓
足を踏み入れたとたん、広い空間を感じさせる展示構成。屋内外を通して壁に掛けられた7枚のパネルと「東京都江戸東京博物館(1993)」「スカイハウス(1958)」「ハワイ海上都市(1971)」の3点の模型が、この建築家の歩んできた道程を語る。

1993年3月10日―4月13日
出展者=妹島和世
壁も天井もブルーに塗り込められ、眩いばかりの光源で満たされている。その中に12のプロジェクトが並んでいる。実作もコンペ案も計画案もすべて等価に抽象化されたモデルとして扱われ、高度にグラフィカル処理されたひとつの世界として現れた。

1993年1月23日―2月27日
帯状の画帖に描きこまれたおびただしいスケッチ。これらは天井近くを浮遊するかのように、また両側の壁に、縦に横に連ねて展示されている。

1992年10月16日―11月14日
写真=齋藤裕
この展覧会では、バラガンの建築に傾倒する齋藤裕が、自ら現地に赴き撮影した写真をもとに構成されている。建築家の目を通しての写真が、バラガンの建築の真髄を捉えている。

1992年9月4日―10月6日
出展者=原広司
この作家を語るとき“都市”というキーワードは欠かせない。ここでは、“都市に関する多層構造論”の実践的試みとして、都市の自己変換、自己破壊機能としての“バースト”と、この変換を記憶と重ねつつ実現していく“リペア”を、立体格子上に展開させる。

1992年7月1日―7月31日
出展者=鈴木了二
鈴木は多彩な活動で注目される建築家のひとりである。ここでの展覧会においても、アート、家具、建築模型、写真、抽象絵画とその多彩ぶりが発揮されている。

1992年5月20日―6月17日
出展者=ディラー+スコフィディオ(エリザベス・ディラー、リカルド・スコフィディオ)
既成の建築の概念を超えた活動をする2人は、パフォーマンスやインスタレーションを自己表現として用いている。ここでの展覧会は、彼らが建築を通して会得したいくつかのリアリティを見るものに追体験させ、その心象の中で全体像を再構成させるといった手法がとられた。

1992年3月19日―4月25日
出展者=團紀彦
この作家の作品には、理性的でよく抑制のきいた建築が多い。また、時にストイックともいえる端正な建築をつくる。展覧会もこうしたスタイルが感じられるものとなった。

1992年2月5日―3月7日
出展者=末吉栄三、洲鎌朝夫、真貴志好一
沖縄を拠点に活動を続けてきた作家たちによるジョイント展である。3つのスペースに分けられた会場には、3人の建築家のプロジェクトが模型・写真・ドローイングによって構成されている。

1991年11月8日―12月11日
出展者=倉俣史朗
わが国のインテリア・デザイン界をリードしてきた倉俣が突然、他界した。倉俣の生前から企画されたこの展覧会は、スタッフによって基本コンセプトが継承された。

1991年9月18日―10月25日
出展者=クリスチャン・ド・ポルザンパルク
11のアーバン・デザインのプロジェクトが、ポルザンパルクが提唱する“ブロック”(区画)という都市形成の概念に基づいて展示されている。彼の特徴は、建築を心理学、社会学の両面からアプローチすることによって、そこに新たにつくり出される秩序と可能性を探るという手法である。

1991年7月4日―8月10日
出展者=山本理顕
建築と都市との関係を、山本は「緑園都市 “Inter-Junction City”(1991〜)」と題した都市計画プロジェクトで提示した。ひとつの建築の中に既に都市が内包されている。

1991年5月18日―6月21日
出展者=吉村順三
吉村は日本の伝統に立脚しながら、“吉村流”ともいえる独自の世界を構築した。ここでは、近作である2つの音楽ホールをテーマに構成されている。

1991年4月5日―5月7日
出展者=ガエターノ・ペッシェ
ペッシェは建築のみならず、都市計画、インテリア、家具デザインに至るまで幅広い活動を行なっている。この展覧会に足を踏み入れると、知らず知らずのうちに作家の意図する得意な世界へと導かれる。

1991年2月15日―3月26日
出展者=黒川紀章
黒川の近作の中から、国内外の8つの美術館のプロジェクトに焦点をあてて構成されている。四方の壁面に区割りされたグリッド状に、写真・アクソノメトリック図の組み合わされたパネルが整然とレイアウトされ、それぞれの作品の姿を伝えている。

1990年11月22日―12月22日
出展者=北川原温
会場の三方には壁がめぐらされ、この壁面に50近い覗き穴が穿たれている。この穴を通して、北川原が最も主張したい建築の断片を見ることができる。会場中央の7体のキューブには、浮遊する建築の断片が透明のアクリルの中に封じ込められている。

1990年11月6日―11月20日
出展者=相田武文、アモルフ、石井和紘、石山修武、出江寛、伊東豊雄、内田繁、木島安史、喜多俊之、北川原温、近藤康夫、阪田誠造、鈴木エドワード、高松伸、早川邦彦、長谷川逸子、宮本忠長、毛綱毅曠、葉祥栄、六角鬼丈

会場=TOTOスーパー・スペース(プラザL27)
ギャラリー・間が発足してから、5年間で42の展覧会が催された。5周年を記念して開かれたこの展覧会は、これまでの活動意義を再確認する機会となった。過去ギャラリー・間に登場した作家のうち、20名の建築家・デザイナーによる最新作の模型によってそれを確認する展覧会である。

1990年10月18日―11月13日
出展者=阪田誠造+坂倉建築研究所
300mm×300mmに限定された24本の柱の頂部に、あたかも柱と一体になって彫り込まれたかのように24体の建築模型が据えられ、会場の内外部を使って等間隔に整然と設置されている。

1990年9月11日―10月8日
出展者=皆川魔鬼子
テキスタイル・デザイナーの皆川は、主として素材のデザインを追求することで知られている。ここでの展覧会は、過去に行なわれたどの展覧会と比較しても際だって特徴のある空間構成である。

1990年6月22日―7月26日
出展者=モーフォシス(トム・メイン、マイケル・ロトンディ)
タイトルは、そのままこのグループの活動形態を端的に表現している。会場中央に設置された金属と木のオブジェは、彼らの工房でつくられたひとつの装置である。

1990年5月11日―6月14日
出展者=近藤康夫
会場は、小さく区分されたそれぞれ異なる空間が迷路のようにつながれて構成されている。ひとつの空間からこの迷路を通り抜け次の空間へ足を踏み入れるたびに、既に知覚した空間は瞬間的に消滅し、記憶の中から消え去る。

1990年3月27日―4月28日
出展者=アルド・ロッシ、ガエターノ・ペッシェ、エットーレ・ソットサス、倉俣史朗、内田繁、三橋いく代
福岡に建てられた「ホテル イル・パラッツォ(1989)」の設計に参画した作家たちのジョイント展である。ひとつの建築空間が、6人の建築家・デザイナーたちの協働によって生まれたことのエッセンスを端的に再現した展示である。

1990年2月16日―3月17日
出展者=宮本忠長
この作家の十数年にわたる建築活動の成果である「小布施町修景計画(1975〜90)」をテーマにした展覧会である。会場の内外部空間を貫通する曲面状の大壁に、年代を追って、宮本が渾身を傾けてきたこの計画の生成の軌跡が示される。

1989年11月17日―12月16日
出展者=内田繁
「閾(しきみ)」と題したこの展覧会では、“真・行・草”の手法に則った3つの二畳台目の茶室が展示されている。屋内では、“真・行”の2つの茶室が、屋外には“草”の茶室が置かれている。

1989年10月12日―11月11日
出展者=バーナード・チュミ
整然と壁面を飾るドローイング。会場の中央部分に位置する真紅に塗り込められたオブジェ。鋭く斜めに切り込まれたそれらのオブジェに据え付けられた模型もまた斜めに傾き、方向とスピードを生み出している。

1989年9月5日―10月4日
出展者=竹山聖
竹山聖を中心とする若い建築家たちの世界は、そのまま現在の都市が抱える混沌とした状況を端的に表現している。室内の展示は、アモルフの集大成ともいえるような作品群、主として都市をテーマにしたプロジェクトである。

1989年8月21日―8月30日
主催=追悼 大江宏展運営委員会(青木繁、芦原義信、石山修武、海老原一郎、鈴木博之、関野克、丹下健三、原広司、平田純一、武者英二、村松貞次郎、吉田義男)
大江宏は,わが国の近代建築の揺籃期に建築を志し、孤高なまでに自己の生き方を守り通した建築家である。伝統と近代、客観性と合理性を巧みに混在併存させた建築は、気品に満ちて風格さえ感じる。

1989年6月15日―7月20日
出展者=安藤忠雄
「水の教会(1988)」と「光の教会(1989)」の2作品を中心に構成された展覧会である。白一色のモノトーンに塗られた会場には、「水の教会」のイメージのまま、あくまで静謐な空間が、実作品と同じ空気をもって表現されている。

1989年5月8日―6月7日
出展者=金琪碩(キム・ギーソク)、趙成龍(チョー・ソンヨン)、金仁喆(キム・インチョル)
韓国の現代建築は、日本では意外と知られていない.しかし,金重業,金壽根なき後、第3世代というべき建築家たちが確実に育ってきている。この展覧会はその第3世代のリーダーと目される3人のジョイント展である。

1989年3月27日―4月26日
出展者=長谷川逸子
屋内と屋外の2つの異なる空間が、この展覧会では巧みに使い分けられている。屋内は、代表作「湘南台文化センター(1989)」のみで構成されている。

1989年2月23日―3月20日
出展者=喜多俊之
“家具とは形が変化しないもの”といった概念がある。しかし喜多は、ものの見事にこの概念を打ち破った。使う目的によって自由にフォルムが変化し、機能面にも心をくばりながら楽しませてくれる。

1989年1月17日―2月16日
出展者=木島安史
屋内と屋外の空間とで相反する展示手法を使いながら、どちらもドームのコンセプトを表現している。屋内の展示ではアクリルのフレームを組み合せた半球対の空間がつくり出され、この半球の中で実際のドーム空間が体験できる。

1988年11月16日―12月20日
出展者=六角鬼丈
「伝家の宝塔」と名付けられた巨大な4つの家具が、会場の中央に置かれている。それぞれの家具の中に隠された装置には、過去・現在・未来への六角の記憶と願望が封印されている。

1988年10月11日―11月9日
出展者=レム・コールハース
床に整然と並べられた図面。上部から吊り下げられた模型。周囲の壁面を飾る彩色されたドローイング。オーソドックスな会場構成は、かえって見る者に新鮮なイメージを与える。

1988年9月5日―10月4日
出展者=出江寛
ここでは、一般的な展示方法である模型・写真・ドローイング・図面といった素材が極端に省略されている。訪れた人にこのためだけに創造された空間の中に身を置かせることによって、出江の意図する建築の質を理解させようと試みる。

1988年6月15日―7月20日
出展者=鈴木エドワード
会場の中に、この作家に関する多くの情報がコンパクトに要領よく収められている。初期の作品から現在、そして今後の展開へと、時系列的に表現されている。

1988年5月10日―6月8日
出展者=粟辻博
“積・華・壮・響・重・数・間”と8つの名を冠したモチーフでプリントされた布が、会場にそれぞれ自立する。展示は、内部と外部の2つの対立する空間の中で展開される。

1988年3月18日―4月16日
出展者=杉本貴志
会場の空間全体が杉本の作品である。“線”をモチーフにしたアクリル・パイプが、会場を二分する。“線”と“線”との間に生まれる空間は、見る角度によってその狭間に全く異質な空間を生み出す。

1988年2月8日―3月12日
出展者=毛綱毅曠
会場の中央に、コスモス(宇宙)空間としての大きなシェルターが置かれ、その内部はほの暗い人間の胎内空間を象徴する。さらにその一隅に、万物の発胚の種子ともいうべき特大の卵が置かれている。生命の根源、生成因子としてのこの卵には、毛綱の過去の記憶=遺伝子が封印されている。

1987年12月4日―1988年1月23日
アート・ディレクション=田中一光、表紙写真=石元泰博による竹中工務店のPR誌『approach』が、100号(1964年創刊)を迎えたことを記念して開かれた展覧会。

1987年10月14日―11月20日
出展者=ヴィットリオ・グレゴッティ
多くのイタリア人建築家がそうであるように、グレゴッティも建築から都市計画、工業デザイン、グラフィック・デザインに至るまで、幅広い領域で実践を試みている。

1987年9月1日―10月2日
出展者=相田武文
「涅槃の家(1972)」から「東京都戦没者霊苑(1988)」に至るまで、15年間に及ぶ設計活動の中から住宅を中心とする22のプロジェクトが展示されている。相田の建築には、つねに強いテーマ性が存在する。

1987年6月4日―7月18日
出展者=黒川雅之
この展覧会では、「蛇口」「腕時計」「文具」「屋外燈」という4つのカテゴリーに分けて作品が展示されている。建築家であると同時にプロダクト・デザイナーでもある黒川は、“モノ”そのものを建築と等質に置き、これらを一種の空間として捉えている。

1987年4月23日―5月26日
出展者=葉祥栄
「光格子の家(1981)」「光十字の家(1985)」などの住宅作品から「小国町町民体育館(1988)」の木造立体トラス構造による大架構建築に至るまで、13のプロジェクトが展示されている。

1987年3月10日―4月10日
出展者=高松伸
1977年から10年間にわたる建築活動の中で生み出してきた「織陣 I・II・III(1981, 82, 86)」をはじめ、「WEEK(1986)」「キリンプラザ(1987)」など29のプロジェクトが展示されている。

1987年1月21日―2月28日
出展者=川上元美
飾棚、サイドボード、テーブル、キャビネット、椅子など近作の家具15余点が展示されている。この会場では、プロダクト、インテリア・デザイナーとしての川上の多彩な活動を知ることができる。

1986年11月17日―12月20日
出展者=伊東豊雄
初期の作品「アルミの家(1971)」をはじめ、「シルバー・ハット(1984)」「レストラン・ノマド(1986)」など7つの話題のプロジェクトと、アルミメッシュで成型された椅子・テーブルなどの家具によって構成された展覧会。

1986年10月7日―11月8日
出展者=ヘルムート・ヤーン
「イリノイ州センター(1985)」をはじめ、これまでの主なプロジェクト18点が展示されている。大型の精巧でメタリックな模型、ペンシル型のタワー状の模型などが会場内に林立し、その迫力に圧倒される。

1986年9月1日―9月25日
共催=西武セゾン・グループ
協力・資料提供=菊竹清訓、田中一光、杉本貴志
東京・渋谷は、若者が好んで集まる街のひとつである。ここに、西武百貨店を中心に“SEED=種”と名付けられた商業空間が誕生した。そのコンセプトは、いわゆる施設そのものではなく、これからの商業的空間のあり方、戦略も含めた有機的コンプレックス・イメージを捉えることにあった。

1986年8月18日―8月27日
日本の近代建築の巨匠、前川國男の追悼展。戦前・戦後を通し、日本の近代主義建築を身をもって実践した建築家として、わが国の建築界においてその名はさん然と輝いている。

1986年7月7日―8月6日
出展者=早川邦彦
建築と都市との関係の中で“建築がつくり出す風景”に、早川の関心が集約されている。ここでの展覧会は、こうした理念に基づいた、住宅と集合住宅のプロジェクトによって表現されている。

1986年6月10日―7月3日
出展者=石山修武
石山の出世作である「幻庵(1975)」をはじめ、「卵形のドーム(1981)」「松崎町一連の建築(1985)」など、これまでの建築家としての軌跡ともいうべき18のプロジェクトが、模型・写真・ドローイングで展示されている。

1986年5月9日―6月6日
出展者=亀倉雄策、中西元男(PAOS)
1985年電信電話公社の民営化政策にともない、わが国最大の民間会社NTTが誕生した。これを機にNTTによる6社指定のCIの企画コンペが行われ、その結果、PAOS(中西元男)・電通案が選ばれた。核となるシンボルマークのデザインが、PAOSからグラフィック・デザイナーの亀倉雄策に発注された。

1986年4月9日―4月22日
戦後、国の主催によって行われたわが国を代表する公開コンペの最優秀(1等)案を一堂に会して開かれた展覧会。「国立国会図書館(1954)」のミド同人案、「国立劇場(1963)」の岩本博行+竹中工務店案、「国立京都国際会館(1963)」の大谷幸夫+沖種郎案、「最高裁判所(1968)」の岡田新一案の4点は、いわゆる「国の4大コンペ」といわれ、建築界に大きな話題を提供した。

1986年2月13日―3月26日
出展者=石井和紘
これまでの15年間の建築活動の集大成ともいうべき作品展。「直島幼児学園(1974)」にはじまり「クライスラー・ハウス(1987)」に至る、住宅を中心とした23のプロジェクトの模型が重層するかのごとく所狭しと並んでいる。

1985年10月25日―11月30日
出展者=フランク・O・ゲーリィ
ギャラリー・間のグランド・オープンとしての建築展。展示内容は、「ロヨラ法科大学(1981)」「カリフォルニア航空宇宙博物館(1984)」「ピーターソン邸(1984)」をはじめとする7作品。