[1] エントランス
© Nacása & Partners Inc.
[2] 第1会場全景。陸前高田の「みんなの家」を設計する過程で乾久美子氏、藤本壮介氏、平田晃久氏が作成したスタディ模型120点あまりを展示。全ての模型はヴェネチア・ビエンナーレ日本館で展示されたもの
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[3] プロセス1 [~2012年1月26日]:初期の建設候補地「大隅仮設団地」に対する提案
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[4] プロセス2 [2012年1月27日~2月26日]:2012年1月27日、建設地が「高田町大石」に決定してからの提案。丸太を使った案に収斂していく。中央は「杉林調査・伐採・丸太皮むき」の動画展示
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[5] プロセス3 [2012年2月27日~]:丸太柱案が決定してからの提案。最終案までさらに議論が続く。手前は「陸前高田の『みんなの家』設計プロセス」の動画展示
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[6] 最終案模型[縮尺:1/10]。左は「地鎮祭から竣工式・その後」の動画展示
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[7] 第1会場奥から中庭にかけて、東日本大震災に伴う大津波と同じ高度からパノラマ撮影された陸前高田市の風景が展示されている。撮影:2012年6月24日 畠山直哉
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[8] 中庭に展示された高さ約6メートルの「杉丸太による構築物」。陸前高田の「みんなの家」の丸太柱と同じ伐採地の、津波による塩害を受けた杉丸太を使用。第1会場と第2会場の模型台、スツールにも同じ杉丸太が使用されている
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[9] 第2会場全景。陸前高田市出身の写真家・畠山直哉氏が撮影した写真による、陸前高田の「みんなの家」のプロセスと、津波被害を受ける前/後の同市の記録展示。右は被災後の陸前高田市で収録された畠山氏のインタヴュー動画
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[10] 第2会場に張り出した壁は、ヴェネチアの日本館会場内にある壁柱を模したもの。壁面には「陸前高田2011」(写真:畠山直哉/デジタル・スライドショー)が埋め込まれている
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[11] 30点の写真で構成された「陸前高田の『みんなの家』 2011年11月―2012年11月」(写真:畠山直哉)の展示
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[12] 第2会場奥より見る。左は「気仙川 2002-2010」(写真:畠山直哉/デジタル・スライドショー)
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