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いま、個を超えたアヴァンギャルディズムは、可能か
レポーター=難波和彦
2012年の夏に開催された第13回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展において金獅子賞を獲得し、その秋に陸前高田に完成した「みんなの家」の実現プロセスを紹介した展覧会である。「みんなの家」は3.11震災後に伊東豊雄を含む5人の建築家による「帰心の会」が活動の一環として被災地に建設している一連の小さな集会場である。伊東はすでに仙台や釜石に「みんなの家」を建てているが、2012年のヴェネチア・ビエンナーレに向けて、若い3人の建築家、乾久美子、藤本壮介、平田晃久による新たな「みんなの家」をプロデュースしたのである。
会場は3つのテーマに分けられている。第1会場には約120点のスタディ模型が所狭しと並べられ、10坪余りの小さな建物にかけられた膨大なエネルギーに圧倒される。最初のうちはコンテクストのないバラバラなアイデアの羅列のように見えるが、1/3辺りで急速に自然木と家型を組み合わせた最終コンセプトへと固まって行く経緯が見て取れる。カタログと合わせて3人の建築家のデザイン・ボキャブラリーの収斂プロセスとして見ると実に興味深い。隣の中庭には実物大の杉丸太によるインスタレーションが組立てられている。そして模型群とインスタレーションの背景を貫くように、壁面一杯に畠山直哉による被災した陸前高田全体の長大なパノラマ写真が展示されている。カメラの高さがちょうど津波の高さであることを念頭に置いて見ると、まったく様相が異なって見えてくることに驚かされる。第2会場は畠山による「みんなの家」の実現プロセスと、その後の状況を写したドキュメント写真の展示である。陸前高田の出身である畠山にとって、このプロジェクトが特別な意味を持っていることは、写真はもちろんだが、彼のビデオ・インタビューを見るとよく分かる。「災害の普遍性と災害体験の個別性を結びつけるのが真のアートのはたらきである」という彼の主張は、このプロジェクトの核心を言い当てている。
陸前高田の「みんなの家」:最終案模型[縮尺:1/10]
©Nacása & Partners Inc.
「ここに、建築は、可能か」という展覧会のタイトルは、3.11震災以降の建築と建築家のあり方に対する伊東自身の切実な問いかけである。それに対する伊東の答えは、仙台に建てられた木造切妻の原型的な「みんなの家」や、釜石の復興住宅として提案した合掌造りの民家のような集合住宅に見ることができるだろう。多くの建築家はそれをポピュリズムへの転向として批判的に受け止めた。しかしあらためて振り返れば、「ホワイトU(中野本町の家)」から「シルバーハット」「八代市立博物館」を経て「せんだいメディアテーク」へと至る伊東の歩みは、建築をひたすら「社会に向けて開く」ことだった。それに対して、社会の方は依然として「個」としての建築家が発するアヴァンギャルディズムを受け容れなかった。伊東にとって3.11は、近代以降の建築家の最後のアリバイである「個」のアヴァンギャルディズムを問い直す、踏み絵のような事件なのではないか。
伊東は陸前高田の「みんなの家」を通じて3人の若い建築家に対し、同じ問いを投げかけたのだといってよい。伊東自身はポピュリズムに向かって一歩踏み出したように見えるが、若い世代の建築家たちはそれにどう応えただろうか。彼らは「個」を乗り越えだろうか。その答はきわめて明快である。最初は躊躇していた3人も、陸前高田の菅原みき子というユニークな女性に支えられて、3人の「個」を統合したアヴァンギャルディズムを成し遂げている。その意味で、3人の建築家がこの経験から学んだことは限りなく大きいだろう。伊東自身はこの建築が果たして現地の人びとに受け容れられるかどうか一抹の不安を抱いているようだが、菅原さんがいる限りまったく問題は生じないだろう。
陸前高田の「みんなの家」:最終案模型[縮尺:1/20]
©Nacása & Partners Inc.
すべての建築は個別的な存在である。それは特定の場所に存在し、特定の個別的な人びとのために建てられる。それを設計する人も建設する人もすべて個別的な存在である。陸前高田の「みんなの家」は、あらゆる意味において個別性を突きつめた建築である。それは災害の普遍性を特異な建築として表現している点において、畠山が言う意味での「アート」にほかならない。したがってこの建築を他の場所に移植することはできない。それはそこにしかない「出来事」としての建築にほかならないからである。
陸前高田の「みんなの家」で使われた丸太柱と同様の津波による塩害で立ち枯れた杉丸太による構築物
©Nacása & Partners Inc.
しかしながら、僕の考えでは、伊東は「出来事」ではなく「構造」としての広がりを持った建築を期待していたのではないだろうか。その点に、伊東の問いかけと現実にでき上がった「みんなの家」の間には微妙なズレがあるように思える。とはいえ、近代的な「個」を乗り越えることを提唱し、3人の建築家のユニークな表現を受け容れ、建築と建築家を社会に開こうとする伊東の包容力と使命感に対して、僕たちは何をさて置いても感謝すべきである。
難波和彦 Kazuhiko Namba
1947年
大阪生まれ
1969年
東京大学建築学科卒業
1974年
同大学院博士課程修了
1977年
一級建築士事務所 界工作舎設立
1996年
一級建築士事務所 (株)難波和彦+界工作舎 代表取締役
2000年
大阪市立大学大学院建築学科教授
2001年
工学博士
2003年
東京大学大学院建築学専攻教授
2010年
東京大学名誉教授
現在
(株)難波和彦+界工作舎
代表
ここに、建築は、可能か
著者=伊東豊雄、乾久美子、藤本壮介、平田晃久、畠山直哉
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