講演会レポート
すべてが建築に参加する「明日」の風景
レポーター=門脇耕三
2012年11月1日、TOTOギャラリー・間「山下保博×アトリエ・天工人展 Tomorrow-建築の冒険-」の開催を記念した、山下保博自身による講演会が、建築会館ホールにて開催された。講演のタイトルは、展覧会のタイトルと同様、「Tomorrow-建築の冒険-」とされていたが、この「明日」へ向かおうとする姿勢は、まさに山下を最も特徴づけるものだと思う。一般的に、建築家による講演会では、完成した作品の解説が主となることが多いが、山下が講演で紹介した10作品のうち、半数の5作品が完成前のプロジェクトであり、かつ、そのうちのいくつかは建て主を募っている(!)状況であるということも、山下のこの姿勢を端的に表している。展覧会で実大の空間がつくられ、展示されている《土の礼拝堂》も、そうした建て主を探す途上にあるプロジェクトの一つであるというから、山下の姿勢は、展覧会でも明確にマニフェストされているというわけだ。
しかし山下は、ただやみくもに「明日」を目指そうとしているわけではない。講演会の冒頭で山下は、この「明日」への起点は、「3.11」に置かれなくてはならないと自戒を込めながら主張する。「3.11」とは言うまでもなく、これまでの建築に関する価値観もろとも、すべてを揺るがしたあの地震の日であるが、山下にとっての「3.11」は、自由と平等と豊かさを求めて展開してきたはずの近代以降の建築が、しかし本当に豊かさを獲得したものであったのか、問いかける日でもあったという。この問いに対する山下自身の答えは、むろん肯定的なものではない。工業化の進展とともに、いつの間にか「経済の優先」にその原理をすげ替えられた現代建築は、自然と歴史と伝統を喪失し、そればかりか、本来の意味での社会性さえ喪失し、「建築家のための建築」へと堕してしまったと断罪される。当然のことではあるが、山下にとっての豊かさとは、経済的豊かさにとどまらず、自然が豊かであることや、先人たちが積み重ねてきた時間が豊かに表れることを包摂するのであり、そうした多様な豊かさを発見し、開拓していくことこそが、建築が真に社会に向かい合うことだと定義されるのだろう。また山下は、近代化の過程で、主要な材料がコンクリートと鉄とガラスのみに置き換えられていった現代建築は、ものづくりとしての豊かさと自由をも失ってしまったと指摘する。山下が言うように、現代建築がつくり手にとっての豊かさをも失ってしまっているのだとすれば、それはもはや「建築家のための建築」と呼ぶことさえできない。つまり山下にとっての現代建築は、その主体を経済以外にまったく欠いた空虚な存在なのであり、だから山下の一連の試みは、そこに建築を享受する主体としての「社会」と、建築を自由に創作する主体としての「つくり手」を回復させようとするものである、とひとまずは理解できるだろう。
山下の仕事は、アトリエ・天工人名義のものに限っても、建築として竣工したものがゆうに100を超えるほど数が多く、またそのかたちや仕上げも、作風と呼べるものがないとも言えるほどに多様である。つまり「つくることに対して自由であること」それ自体が山下の作風であるとも言えるわけであるが、個々の作品を詳細に見ていくと、この「自由につくること」とは如何なることなのかが、おぼろげながらに理解できてくる。
講演で最初に紹介されたのは、アルミを構造体として使用することを試みた《A-ring》であり、門型に組まれたアルミの押出材が並べられたリング状の構造ユニットには、照明が組み込まれ、また冷温水管が内蔵されることで、輻射冷暖房パネルとしても機能するなど、そこでは技術の高度なインテグレーションが達成されている。しかしそうした建築のハイテクノロジーなありよう以上に、山下が紹介した施工中のエピソードが興味深い。《A-ring》の基本システムは、大学との共同研究により開発されたというが、《A-ring》の現場では、モックアップの製作を何度も繰り返した学生が、プロの施工者につくり方を指南するという逆転が生じ、さらには自らも建て方に参加するという事態が起きたというのだ。学生が建て方に参加できたということは、軽量であるというアルミの特性に負うところも大きいのだろうが、しかしいずれにせよ、特定の技能者以外にも建設のプロセスが開放されたというこの逸話は、未来的であるというよりむしろ、原初の建築のつくられ方を想起させる。
自身の作品のうち、現在のところ最も未来的であると山下が解説した《アース・ブリックス》は、より直截に原初の建築を思わせる。世界中の至る所で、最も容易に入手可能である土を構造体としたこの住宅では、「未来的」という表現に違わず、構造実験や化学的な検証が重ねられ、最先端の建築工学的知見が援用されているが、その姿は、あたかも土着の建築のように現れる。これはむろん、《アース・ブリックス》が土着建築のように、現在の我々が用いる意味での「デザイン」を欠いていることを指摘しているのではない。《アース・ブリックス》には現代的なデザイン上の所作がさまざまに認められるのであり、むしろ高度にデザインされた住宅であるというべきである。しかしそれでもこの住宅が土着建築を思わせるのは、足元にある土をこね、締め固めて乾燥させ、積んだだけであるという、そこで使われている技術の開放的なあり方ゆえにだろう。事実、《アース・ブリックス》の土ブロックは、アトリエ・天工人のスタッフと手伝いの学生が中心となって製作されたものであるというし、また土ブロックを積む工程には、クライアントも参加したのだという。
講演で紹介されたプロジェクトのうち、未だ実施に至っていないものにも触れておこう。《美と健康の街づくり》は、生活の中に「農」を取り入れ、また新鮮で安全な食物を安定的に確保することによって、そこに住むだけで美と健康を獲得できる「夢のような街」を実現しようとする構想である。具体的には、住宅地と農地が入り交じるような街が計画されているが、ここで興味深いのが、植物の育成を最適化するように住宅を配置する「Agri-planning」と山下が呼ぶ方法論である。植物には日なたで育つもの、日かげで育つものがあるというが、ここでは人間が必要とする栄養素を満たす植物が生育するように、住宅が落とす影をパラメータとして、その配置がアルゴリズミックに決定される。いわば植物が主人公の街である。しかし、そこでは建築もまた、画一的に南に向かって配置されるのとは異なる原理を得て、いきいきと見えることに気付く。そして何より、この街が実現する暁には、そこに住まう人々こそが美と健康を得て、いきいきと暮らしているはずなのである。
「美と健康の街づくり」を紹介する山下氏
©アトリエ・天工人
さて、ここまできて、山下にとっての「自由につくること」の姿とともに、山下の目指す「明日」の姿も、幾分かは明らかとなるのではないか。山下は、建築がつくられるプロセスを、設計者や施工者以外にも開放する。あるいは、建築を決定する論理に、植物といった人間以外の存在をも組み込んでみせる。山下は、アルミニウムや土といった素材を、これまでにない方法で建築に用いることでも特徴付けられる建築家であるが、これも素材を建築の決定論理に参加させようとする姿勢のあらわれであるとは言えまいか。つまり山下は、建築にあらゆるものを参加させる、その枠組みをこそ構築しようとしている建築家なのであり、そのことによって、経済以外の主体を欠いた空虚な存在へと堕してしまった現代建築は、さまざまな主体を内包する、いきいきとした未来の建築へと再生する。そしてこの山下の目指す明日の姿は、近代化の過程で失われた、社会の本質的な一部として建築が存在する、原初的ともいえる建築の風景に他ならないのである。
門脇耕三 Kozo Kadowaki
1977年神奈川県生まれ。2000年東京都立大学卒業。2001年東京都立大学大学院修士課程修了。東京都立大学大学院助手、首都大学東京助教を経て、2012年より明治大学専任講師。博士(工学)。
作品に《目白台の住宅》(メジロスタジオと協働、2010)ほか。著書に『LCCM住宅の設計手法』(共著、建築技術、2012)ほか。