TOTO

シンポジウムレポート
ひらかれる手=物事の境界をひらき、本質をつかみ取る手
レポーター=菅原大輔


国境、専門分野、世代、状態。全ての物事はある一定の枠組みに切り分けられている。それは近代化を通じてつくられてきたものだ。そんな切り分けられた境界線を飛び越え、本質だけをつかみ取る。伊丹潤氏は、そのスタンスを突き通し、空間をつくり上げる数少ない建築家の一人だろう。その建築や言葉の存在は強く、美しい。
 
本シンポジウムは、「伊丹潤展 手の痕跡」に併せて開催された。そこで語られた「伊丹潤」は、TOTOギャラリー・間に展示された物たちと共に氏の存在を追体験させてくれた。また、その物事が持つ強度は、震災以降の我々にとって、まだ見ぬ新しい価値観のつかみ取り方にヒントを提示している気がした。

ここでは、ユ・イファ、田中敏晴、三宅理一、倉方俊輔の四氏が登壇し、異なる視点から「伊丹潤」が多角的に解体された。その人は父であり、事務所の代表であり、旧知の友人であり、また一時代を伝える建築家であった。一人の人間でありながらも、多様な立場や視点、人柄を内包する氏が四人の物語で披露された。そこには二つのキーワードが埋め込まれていた。それは「異邦人という立場」と「体感するための巧みな手」である。

彼は常に「異邦人」であり続けた。それは単に国籍や出生地の問題に集約されるものではない。既成の枠組みを越境し、物事を常に客観視する立場と言える。
ユ・イファ氏
田中敏晴氏
三宅理一氏
倉方俊輔氏
○日本と韓国/二つの祖国

周知のとおり、伊丹氏は日本と韓国の二つの祖国を持ち、その間で絶え間なく揺れ動いた人である。日本でも韓国でも常に外の人、「異邦人」としての氏の苦悩をユ氏の言葉から感じることができた。しかし、この立場こそが異文化を相対化し、自分自身の存在や思想の原点を客観視する原動力となっている。その結果として、誰よりも日本人であり、韓国人であり、そして自らを「境界人」と称した。フランスの国立ギメ東洋美術館で行われた現役作家初の個展が「伊丹潤展」であったことは、氏が国籍を超越し、本質的な作品をつくり上げてきたことを証明している。

○建築とアート

展覧会場には、建築とアートの二つを越境した氏の絵画作品が据えられている。美術家との交流も多く、また自ら現代美術家として創作もしていた氏の作品は、一建築家の趣味の領域をはるかに超えた存在感を放っている。「温陽美術館」の土壁と、現代美術家 関根伸夫との関係を自身でも語っていたように、特に「もの派」の影響は大きい。「全ての素材は時間で味が出る」建築のためだけではなく、建築とアートを越境し、ものと時間を繋ぎ合わせる。それが伊丹作品の特徴でもある独特の存在感につながっている。

既成の枠組みを客観視する「異邦人」でありながら、奥深い洞察力と自己哲学という「圧倒的な中心」をどうして構築できたのだろうか。その理由として、伊丹氏の「体感するための巧みな手」があげられる。物事を横断的に見るとき、大量の情報に埋もれ、油断すると簡単に流れてしまう。しかし氏は、身体と脳に直結した手を巧みに使いこなし、全てを体感的に理解した。そして、すくい上げた情報を積み重ね、自身の哲学を構築した。つまり、氏にとって手とは直結した脳と身体全体で物事を把握し、つくり上げるための道具であった。

○手と身体

田中氏やユ氏からは、手仕事に徹底的にこだわる伊丹氏の姿が語られた。田中氏の記憶に残るその言葉がおもしろい。「手描きだと、その背中から何をしているか良くわかる。しかし、CADだと全くわからない」つまり、伊丹氏にとって設計とは、手描きを通じて空間を理解する身体行為であった。巧みに手を動かし、まだ見ぬ空間を歩き回っていたのだ。

また、現場でも「手の痕跡」を積極的に残そうとしたその姿勢が語られた。一般的に不良品となりかねない端材や不均質な素材を使用し、施工現場では体を動かしながらその調整を細かく指示した。

設計施工を通じ、彫刻家のようにつくる。物事を把握することと同様に、建築全てが手による巧みな身体行為だったのだ。

○人工と自然

また、見た目重視の建築風潮にあって、自然を五感で切り取った「三つの美術館」は興味深い。「水の美術館」はさざ波の音を、「風の美術館」はその肌触りを、「石の美術館」ではその陰影をつかみ取る空間である。この三作品で提示された自然への眼差しは、物事を情報としてではなく、身体全体で把握する重要性ではなかったか。

最後にユ氏が披露してくれた父、伊丹 潤からの言葉がある。「建築は独学である。だから自分の哲学を持っていなければならない」

異邦人としての人生に翻弄されながら、その経験を、物事を横断的に見渡す力に変え、手や身体全体で本質を理解し、思考し続けてきた建築家、伊丹 潤。その哲学は、奇をてらわず、自分の奥底から積み重ねられたものだ。

震災以降、建築家の役割や建築の存在意義が問い直されている。情報があふれる現在では、枠組みに捉われず本質をつかみ取ることは難しい。しかし、あるべき世界を構築していくことが、今まさに建築に求められている。であるならば、転換期に立つ今、伊丹氏の存在そのものが参照すべきものであるとは言い過ぎであろうか。本シンポジウムで語られた「伊丹 潤」は、建築の美しさやその強度だけでなく、我々の未来にヒントを与える貴重なものであった。
菅原大輔 Daisuke Sugawara
建築家、アートディレクター
1977年
東京に生まれる
2000年
日本大学理工学部建築学科卒業
2003年
早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了
2004年
C+A tokyo / シーラカンスアンド・アソシエイツ(日)
2004年~2005年
Jakob+Macfarlane (仏)
2006年~2007年
Shigeru Ban architect Europe (仏)
2008年~
主な受賞・選抜

2001年
第一回「空き部屋の有効利用」グランプリ
2003年
早稲田大学修士計画奨励賞
2003年
第17回建築環境デザインコンペティション(主催:東京ガス)選外佳作
2006年
ArchiLab2006  欧州建築展覧会 招待作家
2009年
注目の建築家・デザイナー30選(主催:日経BPマーケティング)選抜
2009年
JCDデザインアワード2009 BEST100
2011年
JCDデザインアワード2011 BEST100
2011年
JCDデザインアワード2011 銀賞

主な作品
「陸前高田市仮設住宅団地」、「森のオフィス―アクアプランネット松阪本社屋」、「Body Land Space(仏) 」、「CELL + wood/ fabric」、「ニコニコトレンド発信基地・ニコニコショップ」など
TOTO出版関連書籍
企画/編集=ITM ユ・イファ アークテクツ、伊丹潤・アーキテクツ