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展覧会レポート
建築の真正な手応え
レポーター=南泰裕


時流から悠然と離れて、凛とした姿勢で孤高の路を歩み、これからという矢先に、珠玉の建築群を遺して、昨年、あまりに早く亡くなってしまった建築家、伊丹潤の展覧会が開かれた。ようやくというか、遅きに失したというか、昨年の急逝を受けての、国内では初めての伊丹さんの本格的な展覧会である。

例えばルイス・カーンや白井晟一のように、その素材への巧みで鋭い感性と、空気を切り裂くような鮮やかな輪郭をなす彫塑的でミニマルな造形感覚、そして「光と影」の強烈なドラマへと結びつく圧倒的な空間を生み出すその能力は、他の追随を許さない希有な才能そのものであったろう。伊丹さんのその傑出した才能を疑うものは誰もいなかった、と言っても過言ではない。自ら、「私が最後の手の建築家だ」と自称していたように、その創作のプロセスには伊丹さん自身の手の痕跡が色濃く映し込まれている。本人のリズミカルな息づかいと想いがそのままに刻み込まれたスケッチやドローイングをもとに、40年をかけて、建築の傑作が丹念に生み出されていったのである。
第1会場全景。1998年以降の韓国・済州島でのプロジェクトを中心に、韓国での作品を紹介。
© Nacása & Partners Inc.
今回の展覧会では、その代表作24作品が丁寧に展示され、伊丹さんの思想と思考の流れを詳細に辿ることのできる構成になっている。その展示は奇をてらわず、きわめてまっとうに純粋に、伊丹さんの「建築を生み出す思考」を等身大で伝えている。逆にそれ故に、現在では触れる機会がめっきり少なくなってしまった、<建築の真正な手応え>を、ダイレクトに伝えてくれる。
中庭。「ゲストハウスPODO Hotel」の大判写真が、石と水のインスタレーションの中に置かれる。
© Nacása & Partners Inc.
緻密に丹念に描き込まれた墨絵のようなドローイングと、素材を統一した模型。そこに図面がオーソドックスに並び、中庭部分には伊丹さんの静謐な建築空間を写し取るかのように、薄く水が張られている。その向こう側には手の届かない願望の形象のように、伊丹さんの建築作品の写真が据えられている。上階の展示室には、中央のテーブルに伊丹さん自身の数々のスケッチがずらりと並ぶと同時に、伊丹さんが愛用していた書斎机がそのまま展示されていて、本人の思考の現場を追体験することができる構成になっている。

その、墨をかぶったように使い込まれた本人不在の書斎机を見て、「ああ、伊丹さんは本当に亡くなってしまったのだ」と実感し、つかの間、胸を打たれた。
第2会場全景。デビュー作「母の家」他、代表作を展示。中央にスケッチを敷き詰めたテーブルが置かれる。奥に映像も展示。
© Nacása & Partners Inc.
伊丹さんとは生前、二度しかお会いしたことがない。しかもごく最近のことである。学生時代から20年以上の間、伊丹さんの作品に感銘を受け、その著書や作品を繰り返し見てはいたものの、遠く離れたところで、瞠目すべき作品をゆっくりと生み出し続ける伊丹さんは恐れ多くて、お会いする機会はなかった。

けれど、韓国の済州島に「三つの美術館『風』『水』『石』」という、その空間のすごさにため息がでるような建築を伊丹さんが設計されたのを2年前に知って、どうしてもお会いしたい、という想いをついに押さえられなくなった。

それで無謀にも、ただ単に「お会いしたい」という内容だけのファンレターを書いた。2010年夏のことである。それから恐る恐る、伊丹さんのアトリエに電話した。伊丹さんが電話に出られ、ものすごく喜んでくださり、「一度、アトリエに来なさい」と招かれた。実は自分の勤める大学から、ほんのすぐ近くの場所だった。
第2会場にある、伊丹潤氏の書斎コーナー。
© Nacása & Partners Inc.
アトリエを訪ねると、ほの暗い伊丹さん自身の書斎に通していただき、「しばらくそこで待っていてほしい」と言われた。そこで、伊丹さんの書斎机をじっくり眺める幸運が訪れた。

伊丹さんは初対面の僕に握手を求めてきて、「君はもっと早く僕のところに来るべきだったよ」と言われた。そして建築に限らず、長い時間、いろんなことを話してくださった。「自分は、時代が求める軽い建築ではなく、重い建築をつくるのだ」と語った、その言葉が耳に残った。

それが伊丹さんとの初めての出会いだった。

二度目は、下北沢のお寿司屋さんである。2010年の暮れだった。伊丹さんが、倉方俊輔さんを始めとする関係者のみなさんと、ぜひ一緒に呑もうと誘ってくださったのである。そこでの伊丹さんのお話が面白くて、多いに盛り上がった。話の流れで、「僕と倉方さんと南さんとで、一緒に建築雑誌をつくろうよ」と伊丹さんがおっしゃった。その唐突さに面食らいながらも、あまりに魅力的な提案に、「本当に一緒に雑誌が出せたらわくわくするだろうな」と想像し、嬉しくなった。

その想像のぬくもりが醒めやらない2011年6月、突然、伊丹さんは逝ってしまった。言葉がなかった。
展覧会が開催されることを知った2012年の春に、韓国の済州島を訪れ、伊丹さんに再会するような気持ちで、その建築を見てまわった。いずれも、澄んだ空気の中で、建築の気品がそこかしこにしみ渡っていた。
伊丹さんが、なぜ面識もない僕をあれほどに歓待してくださったのか、今となっては知る由もない。けれど、建築というものの真正の手応えを、これほどに真摯に追究し続けた建築家に出会えたことは、かけがえのない幸せだった。だからなおさら、これからの活躍を同時代において、まだまだ見続けたかった。その類いまれなる建築的思考の軌跡と痕跡が、まるで時間をかけて蒸留され、醸成された極上のワインのように、この展覧会に凝縮されている。
南泰裕 Yasuhiro Minami
1967年
兵庫県生まれ。
1991年
京都大学工学部建築学科卒業
1993年
東京大学大学院修士課程 修了
1997年
同大学大学院博士課程 単位取得退学
同年
2000年〜2009年
東京大学、東京理科大学、明治大学、慶応義塾大学、東京外国語大学非常勤講師
2007年
国士舘大学理工学部准教授
2012年
同大学教授

主な作品
「PARK HOUSE」「spin-off」「Cube cut」「南洋堂ルーフラウンジ」「日吉seven-B」など

主な受賞歴
日本建築家協会優秀建築選2009/入選

著書
 
2002年
『住居はいかに可能か』(東京大学出版会)
2005年
『ブリコラージュの伝言』(アートン新社)
2006年
『トラヴァース』(鹿島出版会)
2011年
『建築の還元』(青土社)
TOTO出版関連書籍
企画/編集=ITM ユ・イファ アークテクツ、伊丹潤・アーキテクツ