「311 失われた 街」展 に向けて
あらゆる設計行為は、これからやってくる未来に向けられている。しかし、3.11の凄まじい光景を目にして以降、われわれは設計することの正当性を見失い、デザインについて語ることをやめてしまった。
1985年に創設されたTOTOギャラリー・間は、建築を中心に、国内外に建築の文化的な力を発信し広めることに尽力してきた。ここで展示され表現されてきたのは、建築家の思考そのものであった。また、そこで展示する側が常に試されてきたのは、その表現の社会への訴求力であったはずだ。しかし、現在、津波で流された三陸の茫漠たる風景を前に、また、工学の価値を根底から覆しかねない原発事故を前に、われわれは社会に対する言葉を失っている。
この状況を、できるだけ冷静に対象化する必要がある。それもTOTOギャラリー・間なりのやり方で、建築の意味を問い、建築に何が可能かを問う場として、被災に関する展示を試みたい。神戸大学とArchiAid(アーキエイド)に参集した建築家や学生を中心に、失われた街の幾つかを模型で再現し、それに合わせて日本デザインセンターが取り組んでいる災害データのビジュアル化「311 SCALE」を展示している。
これらの展示で何が見えてくるのか。展示は、少なからず現実の解釈であり、展示する側の恣意的な行為である。したがって、それは現実のほんの一断面でしかあり得ず、また、現実のごく些細なミニチュアでしかない。今回の災害の巨大さを思えば、いかなる展示もそれを表現し得ないだろう。しかし、展示する側の、あるいは展示を見る側の建築的な目、すなわち建築的な思考は、想像力をもってその広大な余白を補うはずだ。
現在の情況にどのように向き合えばよいのか。建築的な思考を探る場として、今回の展覧会を位置付けたい。