TOTO

シンポジウムレポート
「『建築』に何が可能か?」はいかに共有できるか?
レポーター=長田直之


原広司氏が、初めての建築論を1967年に著してから44年、3・11を経て、原氏はもう一度問いかける「建築に何が可能か?」と。

『建築に何が可能か』(1967年、学芸書林)は、当時30才の若き建築家・原広司氏が、近代建築への批判としての建築論であり、当時世界各地に広がっていた――日本においても――運動への態度表明としてかかれた哲学書でもある。もちろん、この著書のタイトルは、実存主義の哲学者J・P・サルトルの「文学に何が可能か」を参照していることは言うまでもない。

当時も現在も日本では、「建築」という訳語についてarchitectureとbuildingという二つの概念の混同があるが、この著書が建築家によってかかれた本として特異なのは、抽象的思考としてのarchitectureについて語っている点であろう。その背景には、「どのように生きていくのか?」という当時の真剣な若い世代の問い、「生死をかけた戦い」という“状況”がそこあった。

第1部:基調講演「建築になにが可能か」/原広司

2011年11月2日、東京大学安田講堂。

会場は、聴衆で溢れていた。一方で、入りきらないほどの人々が集まっているのに、会場はどこか落ち着いた、静かな空気に満ちていた。

東日本大震災後の現状を報告したり、その後の復旧・復興についての議論するシンポジウムは、すでにいろんな場所で行われているが、原氏の基調講演は、震災以降の状況を、個別の具体的活動や計画の域にとどめるのではなく、この状況だからこそ「建築」を抽象的な次元で考える(考えなければならない)ことの重要性を慎重に、そして謙虚に語った。

1 共有される問い として(建築に関わる人々に)
「差異」を前提として共有すること。しかも、垂直的な(何が正しいのかへの問い)ではなく、
水平的な差異を許容する「寛容さ」が示された。

2 (常に)問い直される問い として
問いの反復性。戦後の風景、60年代のデモ、そして現在原発反対デモにしても、時代や場所を越えて繰り返される問いであること。

3 未来に向けての問い として
この問いは、近い未来への問いであるよりも遠い未来への問いとして有効である。
この展覧会の模型は、「記録する」ことによって、遠い未来への問いを投げかけている。

4 場所を巡る問いとして (どのようなテーマや分野や方向か?)
制度(資本主義にあって)や、態度を巡る問い。そこでは、現地の若者たちが主体となる権利があると語った。

この「建築に何が可能か」という問いは、建築の批判(限界を指し示すこと――限界を探求することそれ自体)として、建築がそしてわれわれが生きるための拠点として欠くことのできない問いであるり、「人間と建築の同義生を証明する」という、一貫した原氏の意志の現れである。

このなかで、特に印象的だったのは、「矛盾を許容すること」「言い訳を許すこと」が必要だと原氏は語った。「寛容」であること、それこそが、建築を「共有」するために必要な倫理なのかもしれない。
第1部 基調講演「建築になにが可能か」 ©Nacása & Partners Inc.
第2部:プロローグ「311 失われた街」/槻橋修、内藤廣、原研哉

TOTOギャラリー・間での展覧会の概要が、説明される。1/500の同スケールで作られた真っ白の復元模型14個(街区)が、並ぶ。もはや復元模型なのだ!

会場のグラフィックは、原研哉氏が大震災の被害のデータを可視化した「311 SCALE」の一部が展示されている。

この二つの作業は、「311」で起きたことをできるだけ客観的に「記録」することである。
そして記録は、記憶を喚起するためにあるのだからこの展覧会自体は、震災から8か月後の現在だけでなく、何度も繰り返し展示されることが大切だろう。
第2部 プロローグ「311 失われた街展」 ©Nacása & Partners Inc.
第3部:「ArchiAid:建築家による復興支援ネットワーク」/小野田泰明、中田千彦、青木淳、小嶋一浩、藤村龍至、原研哉

ArchiAidの活動や組織概要について小野田泰明氏から説明される。「被災地再建支援のための基盤づくりと活動、被害を受けたデザイン教育の復興、震災知識の集積と啓蒙など」を活動の目的としている。特徴的なのは、「建物(building)」が、含まれていない点だろう。中田千彦氏、青木淳氏、小嶋一浩氏、藤村龍至氏らがワークショップなどを通して、被災地で行ったそれぞれの活動と、その現状を報告がなされた。

特に、中田千彦氏の“a book for our future”のプロジェクト(地元の子供たちが未来の私たちの街を描く)には、未来と記憶が結ばれるような不思議な力があった。
第3部 「ArchiAid:建築家による復興支援ネットワーク」 ©Nacása & Partners Inc.
第4部:「再生:建築にできること」/帰心の会(伊東豊雄、隈研吾、妹島和世、山本理顕、内藤廣)

このセッションは、帰心の会のメンバーによる活動報告であった。

興味深かったのは、山本理顕氏の仮設住宅という「住宅」についてである。相変わらず、仮設住宅が、家族の器として計画されていることへの批判から、仮設住宅の配置や「住宅」の解体をテーマにした活動の報告であった。

伊東豊雄の“みんなの家”プロジェクトなど興味深い活動が展開していた。伊東氏が「建築家が何かをあきらめたら.出来ること」という態度は、原氏の“寛容さ”にもつながる議論だったように思う。
第4部 「再生:建築にできること」 ©Nacása & Partners Inc.
第5部:総括「311 ゼロ地点から考える」/内藤廣、原研哉

近代以降、建築は、作品をメディアとして「建築」を拡張してきたのだが、作品から解放されれば、どれだけ「建築」あるいは「建築家」は自由になれるのだろうか? その自由を手にしつつ「建築」は「人間」と同義になれるのだろうか? あるいは、その自由が「連帯」を支持するのだろうか?

2011年、世界ではエジプトにはじまり、リビヤの反政府デモ、ウォール街の抗議デモ、また反原発のデモなどがニュースの主役だった。このような何かを「連帯(シェア)」する活動の多くは「NO」のために運動する。

一方で「建築」は「NO」だけでない「意志」をエンジンにして進んでいくはずだ。

そして、阪神淡路大震災と21世紀の初期に起きた東日本大震災は――その規模においても内容においても比較することができないが――その後の私たちのリアクションにも、大きな変化を生んでいる、その実感はこのシンポジウムを聴講して強く感じた。
第5部 総括「311 ゼロ地点から考える」 ©Nacása & Partners Inc.
最後に、このレポートを書きながら、思い出していた言葉がある。

「私に作られたものも、作られなかったものも、みんなあなたにさしあげる」
――アンドレ・ブルトン『シュールレアリスム宣言』
長田直之 Naoyuki Nagata
1968年 愛知県生まれ
1990年 福井大学工学部建築学科卒業
1990~94年 安藤忠雄建築研究所
1994年 ICU一級建築士事務所共同設立
2002~03年 文化庁新進芸術家海外制度研修によりフィレンツェ大学留学
2005年 有限会社ICU一級建築士事務所に改組、東京オフィスを開設
2008年~ 奈良女子大学生活環境学部住環境学科准教授

おもな受賞暦
1995、96、99年 SDレビュー入選
1999年 JCDデザイン賞優秀賞
2000年 中部建築賞住宅部門入賞
2001年 日本建築学会北陸建築文化賞
2004年 TPO Recommendation 2004優秀賞
2009年 関西建築家新人賞
TOTO出版関連書籍
監修=内藤廣、原研哉
編集=TOTOギャラリー・間
著者=内藤廣、原研哉、槻橋修、原広司、小野田泰明、青木淳、中田千彦、小嶋一浩、藤村龍至、妹島和世、隈研吾、山本理顕、伊東豊雄