TADAO ANDO ARCHITECTURE, 'CHALLENGES - FAITHFUL TO THE BASIS'
2008 10.3-2008 12.20
講演会レポート
安藤忠雄の“原点”と“これから”を語った90分
レポーター:白井良邦Casa BRUTUS副編集長)
 
今回の講演会は、ギャラリー・間で行われている安藤忠雄建築展[挑戦−原点から−]と、TOTO出版から刊行された安藤忠雄作品集3部作の完結版の出版を記念して行われたものである。展覧会はギャラリー・間の中に実物大の<住吉の長屋>を再現してしまおうというとてつもなく意欲的なものだし、作品集は全3巻どれもずっしりと重く見ごたえのあるもので、それを記念して行う講演会だというのだから安藤さん自身気合が入っているに違いなかった。

安藤忠雄とほかの建築家の講演内容の違いとは?

まず講演会の内容をリポートする前に、私の個人的な“建築家の講演会に対する講演観”(というと、ちょっと大げさなのですが…)についてお話したい。私は建築を専門に勉強したことはないのだが、仕事柄、安藤さんをはじめ、国内外さまざまな建築家の講演やレクチャーを聞く機会が数多くある。そんな時、「安藤忠雄」と「その他の建築家」との講演内容の決定的な違いを感じてしまうのだ。というのも、一般的に建築家の講演というと自作をスライドに写しその自作について延々と解説してハイ終わり、というのが多く、安藤さんのように「人生観」を語り、「建築の可能性」や「未来への提言」といった、聴衆を奮い立たせ元気を与えるようなメッセージ性の強い話というものはなかなか無いからだ。もちろん建築家が自身のレクチャーで自作を語るというのは、当然といえば当然なのだが(その建築作品の話を聞きたくて建築学科の学生など建築関係者が集うからだ)、とはいえ「建築」が社会との関わりを抜きにして存在しえないものなのだから、それが特殊で狭い「建築業界」の世界の中だけで完結してしまうのは残念だ。10年前に「Casa BRUTUS(カーサ ブルータス)」を創刊させた時から「建築」を広く一般に認識してもらいたいという一心で活動してきただけに、スライドを映しながら「はい、ここが玄関です」とか「こういう周辺環境だったので、こうしました」などという話は、わざわざ会場に足を運ばなくても雑誌でみれば済むような内容で、こういうのはどうかと思ってしまう。この点、安藤さんの話は、聞いていると第三の目が開くような不思議な感覚になるような啓蒙的な話が多く、それでいて抜群に面白い。言ってみれば、伝道師の説教を聴いているといったところか。なるほど、聴衆も建築関係者以外の割合が多く、ビジネスマン、公務員、若い女性など、幅広く様々だ。

前置きが長くなってしまったが、今回のANDO講演の内容は大きく分けて二つあった。ひとつは2016年に東京が立候補し安藤さんがマスター・アーキテクトとして手掛けているオリンピックについて。そしてもう一つが、国内外の自作を通じて社会と関わってきた話である。
2016年 東京オリンピックで埋立地に設ける新競技場イメージ。
海の森、ひいては世界の森に。世界的な著名人も賛同している。
プンタ・デラ・ドガーナ工事風景。2009年6月のベニス・ビエンナーレに合わせてオープン予定。
安藤忠雄、次期東京オリンピックと東京を語る

講演はまずオリンピックの話からはじまった――。
「1960年代の目標を持っていた時の日本は強かった。今の元気のない日本も、何か目標というものを持ったらいいのではないか。オリンピックを通じてもう一度、目標を持てるようになれるのではないかと思っています。」
「東京でのオリンピックは既存の施設を可能な限り使用することが大切で、資源やエネルギーの無駄遣いをしないよう工夫しなければならないと思います。新施設も私が設計するのではなく、世界コンペで世界中から優秀なアイディアを募集すればいい。」
「お台場の先のゴミの埋め立て地に1,000円募金を50万人から集めて“海の森”をつくりたいと考えています。これは明治神宮とほぼ同じ大きさで、元宇宙飛行士の毛利さんの話だと、宇宙からも点として認識できるギリギリの大きさです。これは東京だけの森じゃなく、世界の森であり、地球の森。応援団としてU2のボーカルBonoやモッタイナイで有名なマータイさん、フランスのシラク元大統領などにも協力してもらい募金を募っている。建築家はデザインのことしか考えていないが、地球のことも考えなくてはいけないのではないでしょうか」。
2分に一度、冗談を交え会場を笑いの渦に巻き込みながら、安藤節はとどまるところを知らない。最初、私の前に座っていたスーツ姿の男性2人組は誰かに言われ仕方なく参加したのか、講演開始早々、居眠りをしていた。だが周囲の笑いで目が覚めると一転、安藤さんの話を真剣に聞くようなっていった。

焼け野原から一体誰が日本の都市をつくったのか?

オリンピックに次いで、国内外の安藤作品の話になった。まずは今回の展覧会でも目玉の<住吉の長屋>のスライドから始まり、現在、海外28箇所で進行中のプロジェクトの中から、中東アブダビの海洋博物館、イタリア・ヴェネチアの税関跡地<プンタ・デラ・ドガーナ>の新美術館などが説明された。
次に突然、白黒の写真が映し出された。それは終戦直後の東京と大阪の中心地の空撮写真だったのだか、一面焼け野原で何ひとつなかった。次いで現在の東京、大阪の街の様子が映し出された。そこには私たちの知っている、今の街の姿があった。
「1945年は何にも無い、こういう状態でした。それが今、ハコは要らない、建築はいらないと言われていますが、建設業がここまでつくってきたというその努力は認めてもらわないと困ります」――。
今の日本人には“青春”がない!?

そして安藤さんが60〜80年代にかけて誰からも頼まれもしないのに計画したいくつかの案が、現在実現していく例を挙げていった。1969年の大阪駅前プロジェクト、屋上緑化のアイディア → 表参道ヒルズの屋上庭園に。中之島の古い公会堂建築の中にタマゴ(新しい命)を挿入するアイディア → 渋谷の地下鉄駅のタマゴの空間へ、といった具合に。そこからサントリー美術館設計のときに、サントリー元会長の佐治さんから贈られたというサムエル・ウルマンの詩「青春」が紹介された。


青春とは人生のある期間ではなく
心の持ち方をいう。
バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく
たくましい意志、ゆたかな想像力、もえる情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気
やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときはじめて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい精神は芥(あくた)になる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には
驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心
人生への興味の歓喜がある。
君にも我にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の
霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ
悲嘆の氷にとざされるとき
20歳だろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり
80歳であろうと人は青春の中にいる。

(出典:サムエル・ウルマン/宇野収、作山宗久訳/三笠書房)


安藤さんはこの詩を紹介しながらこう語った。「今の日本人には“青春”がありません。青春とは心の持ち方を言うのであり、20歳の青年より60歳の人間に青春がある場合もある。人は年を取るから老いるのではなく、理想を失った時に初めて老いる。だから私は、理想を失わないように闘って生きようとそのとき決めました」――。

文章で安藤さんの語りを表現をするのは困難で、どんなにがんばってもあの感動を伝えることは難しい。だから、機会があればぜひ出かけて行って、直接、話を聞いてみて欲しい。今回のレクチャーも大好評でしばらく拍手が鳴り止まなかった。おまけに会場からの質問にこれほど丁寧に答えている安藤さんも珍しかったのではないか。「趣味は何ですか?」といった趣旨の質問にも、自身の読書のこと(例えば司馬遼太郎)や海外への仕事の折に気になった建築を見に行く話(例えばベネトンの案件でイタリアを訪問した折、カルロ・スカルパ作品を見に行くほうがメインだった話など)などを披露してくれた。

講演会が終わると、聴衆がみんな元気な顔で会場を後にしていたのが印象的だった。こんな建築家の講演会は、安藤さんのもの以外、味わったことがない。
 
日時
2008年10月3日(金) 17:30開場、18:30開演
会場
よみうりホール(東京・有楽町)
講師
安藤忠雄
参加方法
事前申込制
定員
1,100名
参加費
無料
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