この展覧会で取り上げられる3つのプロジェクトは極端に巨大だ。キルギス共和国に建つ中央アジア大学ナリンキャンパスの敷地面積は、278ha。日産自動車武蔵村山工場跡地でのプロジェクトMURAYAMAが、106ha。ベトナムのホーチミンシティ建築大学が、37ha。 規模だけでなく、立地といい、クライアントといい、一見私たちの日常的な設計からは逸脱したようなコンテクストのプロジェクトが選ばれているようにみえる。しかし、今回のCAtの意図はあえて、それらのプロジェクトがもつ普遍的な意味をぶつけてみたいというものだった。 確かに今、CAtはその桁外れの規模、時間、場所のために、既存の建築家の範疇外と思われるような領域に否応なしに踏み行っているようにもみえる。状況がそれを余儀なくしているのだが、だからこそ今日的な建築の課題や、新しい設計手法の発見が次々と訪れている。展覧会とそれに併せてつくられた本では、常に変化を迫られている進行形のプロジェクトと、CAtの試行錯誤の姿がありのままレポートされることになる。それは設計者ならば、今後、避けては通れないかもしれない建築のプリミティブな問題を浮き彫りにしているように思えた。 <以下、プロジェクト・コメントはCAt談> 中央アジア大学ナリンキャンパス Cultivate 耕して「かたち」にしていく 中央アジア大学ナリンキャンパスの標高は2000m、その敷地は5kmくらいあって、見渡すことさえできません。このような場所で建築を考えることはすなわち、例えば電力はどうやって供給するのか、どんな物流手段が使えるのか、そもそもどこの国のコード(法律)を当てはめて設計するのか…。そこから建築を捉え直さなければなりませんでした。確かに建築はそれらに支えられて建っているわけですが、日本での日常的な設計では「図面を描いたら誰かが建ててくれる」とアプリオリに思っています。だからここまでプリミティブな建築へのプロセスを突きつけられることは、少なくともありませんでした。設計の位置づけがまったく違うところから始まらざるを得ないということを実感しています。図面を出しただけでは何も動いてくれないから、それ以外のこともカバーすることになります。誰がどうやって資材を運ぶのか、どのような技術レベルでつくるのか、それはどの機関の許可が必要なのか…。否応なしに全体を俯瞰せざるを得ないのです。