Touchstone, The Furniture designed by Teruaki Ohashi
2006 9.16-2005 11.18
ギャラリー・トーク・レポート
オリエンテーション 位置を定めること
レポーター:安森 亮雄
 
大橋晃朗の家具には不思議な豊かさがある。その魅力を一言で語るのは難しいが、家具と自分とが独特の流儀で関係づけられる気がするのだ。それは椅子が座り方を教えてくれ、キャビネットが入れるものを問いかけてくるような感覚である。様々なシチュエーションや要求にいつでも応えてくれる親切さというよりは、親密なゆえのそっけなさとでも言うべきこの感覚は、喩えて言うと、道端でフッと知人に出会ったような、所在ない自分を一瞬何かにつなぎとめてくれる妙な安心感を与えてくれる。この独特の心地よさを伴う不思議な豊かさはどこから来るものなのか。シンポジウムに続く3回のギャラリー・トークは、監修者である多木浩二のナビゲートにより、大橋晃朗の製作や教育の現場で身近にいた人々、現在の編集者をゲスト講師として行われ、その内容が多焦点から語られることを期待しつつ聞いた。  
 

椅子への違和感(第1回)
ギャラリー・トークの第1回目は「家具のデザインの発想と製作」をテーマに、東京造形大学で大橋晃朗に教えをうけたデザイナーの沖健次、ハンナン・チェアの製作に関わったテキスタイルデザイナーの尾島徑子を迎えて始まった。

大橋晃朗の作品は、一見すると1人のデザイナーの仕事とは思えないほど変遷する。まず沖から、この変遷をどう理解したらよいかという疑問が提示された。多木によれば、大橋は初期の建築設計と並行して作った箱物家具から金属パイプ椅子へと移行した時に、本格的に家具を考え始めた。大橋の世代にとって日本人の生活に椅子はまだなじみが薄く、主に座布団の生活しか知らずに成長した。そういう大橋にとって椅子の制作は、ある意味で実感とは無関係に、西洋の椅子の形態を現代の金属パイプに置き換える作業であったことが指摘された。おそらく大橋がデザインを始めた70年代初め、椅子はなじみが薄いとは言ってもそろそろ着実に身の回りの環境の一部になりつつあっただろう。後の回で多木は、大橋以前の世代の仕事が西洋家具の輸入と啓蒙であったと述べているが、それに比べて彼の立場は一層アンビバレントであったと推測される。つまり大橋がデザインし始めた椅子とは、人間の身体を支える基本的な家具でありながらどこかオリジンの曖昧なものであり、身の回りにあふれているにも拘わらず捕らえどころのない存在だった。こうした違和感から大橋は家具を思考し始め、椅子を純粋な構成物として観察することから、原型として「台のようなイス」(1976)が抽出された。それは概念の作業であったが、自らデザインすることで椅子を身体化させるプロセスであったようにも思える。大橋は椅子への違和感を出発点として、身体と家具の距離を一から測り直し、それらを位置づけることを問い続けたのではないか。その時々での解答が多様な変遷に現れているように思えた。

つくる身体 (第1回)
多木によればこのような前期作品が「理性」により制作されたのに対して、後期の作品は「身体」と「無意識」に開かれた。「ハンナン・チェア」(1985)はその変換点であり、まさに座布団や蒲団を重ねて飛び跳ねた幼児期の遊びにつながる、薄いクッションが積み上げられた座面をもつ椅子である。トーク後半では、この椅子の制作過程が尾島のスライドを交えて明らかにされた。その作り方は興味深い。ここでは2つの点を記しておこう。まずこの椅子の布地はすべて手縫いで留められている。型紙もスチールのフレームに模造紙を直接当てて作成される。その様子は身体の各部を採寸するオートクチュールの服の製作に似ているが、骨組みの形をそのまま写し取るこの方法は、まさに骨格と皮膚の関係に近いようにも思える。ともかくこの「こうもり傘や凧のようなパンと張った」(尾島)布地は、驚異的と言える手作業によってできているのである。このような製作方法は一回性のものであり「量産を前提とする近代家具とは明らかに異なる方法」(多木)である。もう一つの特徴として、沖はスチールフレームが「遣り違い」で組まれていることを指摘した。これはキャビネットの「パック」(1982)等にもみられるが、フレームを作る際に線材の端部を突き付けにせず、交差させて組むことにより、「線分を残すデザイン」(沖)になっている。これにより、部材が脚の形をなす直前で一時停止されているような印象を与え、部材を組む手の気配をどこかで感じさせる。

初回のギャラリー・トークは、具体的な製作過程を含めて大橋の発想を語る場となった。こうした製作の様子からは、大橋の家具には身体を受けとめるとともに、身体の延長上につくりだされる道具としての側面もあったことが窺える。そのようなつくる身体との関係が潜在していることによって、大橋の家具に特有の親密な空間が浮かび上がってくるのではないかと思えた。

会場風景
会場風景
 
会場風景
会場風景

言葉にできないが引っかかるもの(第2回)
第2回のギャラリー・トークには、大橋に師事しアトリエ最後のスタッフでもあった家具デザイナーの藤森泰司、編集者の内田みえを講師に迎えた。大橋の家具の多くは「特定の建築家のためのものか、行き先のない試作品」(多木)であった。その点では大橋を職業的なデザイナーと呼べるかどうか疑わしく、彼自身もデザイナーと呼ばれることを嫌い、自らを「家具師」と称したこともある。この回は「今日の家具デザインからみた大橋デザイン」というテーマのもと、大橋の生み出した家具を位置づけるものであった。

焦点のひとつは、大橋の家具の中では唯一量産され、比較的多くの人の手元に渡ったボード・ファニチュアである。金属パイプ椅子があまりに高価だった経験を経て、組立式の合板家具が考えられた。しかし「多くの人に使ってもらいたかったという思いがあったが、どこかで本気ではなく」(藤森)、「本当に商品化しようと思っていたかどうか怪しく、挫折した」(多木)。おそらくこの家具は、一般の商品として流通するにはあまり優しくない。組立式と言ってもそれなりの仕事が求められるし、座り方にも一定の配慮を要求される。大橋が多くの人の手に渡るように家具の社会性を構想したことは確かだが、そこで相手にした社会とは、家具が生産され流通される場というよりは、人々が自らの手で家具を製作する場に比重があったのではないか。当時大橋は「私が考えたのは単なる家具デザインではなく、家具を自在に作り出す〈システム〉といえよう。」(*)と述べており、多種多様なデザインが氾濫する商品家具と微妙な距離をとることで、もう一つの家具の生み出される場を構想していたことがうかがえる。それは果敢な挑戦ではあったが、大橋が期待したほど社会は応えることはなく、広がりを得ることはできなかった。

ではその上で、今日の家具デザインに対する可能性として浮かんでくるものは何なのか。それを藤森は「言葉では説明できない不思議な部分が突出して表現されている」と述べ、内田も当初から「分からないながらも引っかかるものを感じた」と言う。どこか不合理だが私たちを素通りさせない魅力、多木は「未来のデザインは機能的・合理的なだけではなく、何か言葉にできないものが潜んでいなければ魅力的なものにならない。今日の2人から、そういうものが未来のパースペクティブに入っているという答えをもらった」という言葉でこの回を結んだ。

 

家具の世界の広がり(第3回)
最終回は「大橋デザインの矛盾」と題し、あえて大橋の家具デザインの限界に言及する機会となった。それは裏返せば、大橋の家具の先にあるかもしれない可能性に思いを馳せることである。講師には、東京造形大学での教え子であるデザイナーの榎本文夫、編集者の橋場一男が招かれた。

家具の世界は例えば椅子ひとつとってみても、手作りの椅子から、量産される事務椅子、最先端のテクノロジーが搭載された戦闘機の操縦席まで実に幅広い。榎本はこのような「家具全体の世界」を前提に、大橋の家具をその一部分として位置づけ、そこからこぼれている事象について言及した。その一つは商品としての家具であり、第2回でも触れられたように大橋の家具が多くの人に行き渡ることはなかった。また近代の家具デザインの歴史では、鋼管、プラスチック、成型合板といった新素材が新しい形態を可能にしたが、このような素材開発や生産プロセスを含めたテクノロジーに対しても、大橋は試みることをしなかった。あくまで個人の手の届く範囲の中で考えたのである。さらに橋場は編集者の立場からメディアとの関係についても言及した。このような家具をとりまく様々な社会の広がりに対して大橋は距離をとった。多木の言葉を借りればボード・ファニチュアで挫折して以降、彼は「社会から逃げに逃げ、逃走することに人生をかけた」のである。それゆえ大橋の家具が広く行き渡ることはなかったが、反面ではこの逸脱により「ハンナン・チェア」をはじめとする後期の作品が展開されたことも指摘された。このように、大橋の家具の実践は限定された部分であったが、その視野は常に「家具全体の世界」へ向かい、彼は「文化の中で起きている出来事を操作し、配置し直す人間に自分を位置づけた」(多木)のである。それゆえ、大橋から抜け落ちていた部分を確認する作業は、「もっと社会に広く入り込んでいけば、有効な影響力を持ち得たのではないか」(榎本)という口惜しさの裏返しでもある。大橋の思想の先を考える際には、より一層流動化している資本やテクノロジーや情報を利用していくことも考えなければならない、という多木の言葉で最終回は締めくくられた。

会場風景
会場風景
 

位置を定めること
3回のギャラリー・トークを通して、大橋の家具のいくつかの側面が明らかになった。大橋は「椅子への違和感」を出発点として、身体と家具の関係を位置づけ始めた。そこには「つくる身体」が潜んでおり、単なる座り易さとは別の親密さを私たちに抱かせる。手の届く範囲が前提になるがゆえ、商品を前提とする家具デザインとは相容れず、その実践は「家具の世界の広がり」の一部であった。しかし大橋が残した家具は今なお私たちに語りかけ、何か「引っかかるもの」を私たちに抱かせる。

このような議論を経ていま一度、大橋の家具がもつ不思議な心地よさに立ち戻ってみたい。何度か会場に足を運びながら家具に触れ、飽きのこないこの感覚が何なのかを考えていた。それは「位置」が定められた心地良さと言えるのではないだろうか。位置とは、椅子に腰掛けることで定まる絶妙な姿勢であり、空間の中に置かれた家具の大きさとプロポーションであり、また家具を構成する部材や布の留め方である。いずれも独特のマナーで適正な方向に向かい、位置が定まっている。また家具の各所にみられるディテールや形態は過去とのつながりを生じさせ、時間軸上に現在が定められる。この多方向につながれた位置の感覚が、私たちに豊かな感情を抱かせるのではないだろうか。「位置を定めること」すなわち「定位」とは、C・ノルベルグ=シュルツが用いた言葉であるが、英語でそれを意味する「オリエンテーション」は日の出る方向=東方(オリエント)に由来し、キリスト教の教会は東面に据えられた祭壇によって定位される。生物学では動物の帰巣本能を意味し、建築図面に書き入れる方位のことでもある。つまり環境のなかで事物や生物に方位を与え、さらに言えば世界のなかで適切な位置を定めることである。大橋晃朗の家具の初期から後期までを通じて私たちが通り過ぎることができない感情を抱くのは、この各スケールで時空間上に位置が定まる感覚によるのではないだろうか。建築家たちとの密接な協働は、ときには屋根を架け部屋を間仕切るだけでは定まりきらない空間に、大橋の感性によって位置を定め生命を吹き込む作業ではなかっただろうか。

私たちはお気に入りのコーヒーカップを持ったときにも自分の位置が定まったと感じることがあるし、都市の雑然とした環境にいながら或る方向性に身を置いていると感じることもある。この展覧会を通じて、私はこれまで個別に感じていた空間の感覚が何か共通の内容としてつながれ、今後、空間に関わる自分の動機にひとつの方向付けを得たような気がしている。

*『室内8609』大橋晃朗の家具のディテール

 
日時
第1回 10月11日(水)「家具のデザインの発想と製作」
講師 : 沖健次尾島徑子

第2回 10月18日(水)「今日の家具からみた大橋デザイン」
講師 : 藤森泰司内田みえ

第3回 10月25日(水)「大橋デザインの矛盾」
講師 : 榎本文夫橋場一男

各回18:00〜19:00
会場
ギャラリー・間
ナビゲーター
多木浩二
参加方法
当日会場先着順受付
参加費
無料
Back to Top
GALLERY・MA TOTO出版 COM-ET TOTO
COPYRIGHT (C) 2008 TOTO LTD. ALL RIGHTS RESERVED.