位置を定めること
3回のギャラリー・トークを通して、大橋の家具のいくつかの側面が明らかになった。大橋は「椅子への違和感」を出発点として、身体と家具の関係を位置づけ始めた。そこには「つくる身体」が潜んでおり、単なる座り易さとは別の親密さを私たちに抱かせる。手の届く範囲が前提になるがゆえ、商品を前提とする家具デザインとは相容れず、その実践は「家具の世界の広がり」の一部であった。しかし大橋が残した家具は今なお私たちに語りかけ、何か「引っかかるもの」を私たちに抱かせる。
このような議論を経ていま一度、大橋の家具がもつ不思議な心地よさに立ち戻ってみたい。何度か会場に足を運びながら家具に触れ、飽きのこないこの感覚が何なのかを考えていた。それは「位置」が定められた心地良さと言えるのではないだろうか。位置とは、椅子に腰掛けることで定まる絶妙な姿勢であり、空間の中に置かれた家具の大きさとプロポーションであり、また家具を構成する部材や布の留め方である。いずれも独特のマナーで適正な方向に向かい、位置が定まっている。また家具の各所にみられるディテールや形態は過去とのつながりを生じさせ、時間軸上に現在が定められる。この多方向につながれた位置の感覚が、私たちに豊かな感情を抱かせるのではないだろうか。「位置を定めること」すなわち「定位」とは、C・ノルベルグ=シュルツが用いた言葉であるが、英語でそれを意味する「オリエンテーション」は日の出る方向=東方(オリエント)に由来し、キリスト教の教会は東面に据えられた祭壇によって定位される。生物学では動物の帰巣本能を意味し、建築図面に書き入れる方位のことでもある。つまり環境のなかで事物や生物に方位を与え、さらに言えば世界のなかで適切な位置を定めることである。大橋晃朗の家具の初期から後期までを通じて私たちが通り過ぎることができない感情を抱くのは、この各スケールで時空間上に位置が定まる感覚によるのではないだろうか。建築家たちとの密接な協働は、ときには屋根を架け部屋を間仕切るだけでは定まりきらない空間に、大橋の感性によって位置を定め生命を吹き込む作業ではなかっただろうか。
私たちはお気に入りのコーヒーカップを持ったときにも自分の位置が定まったと感じることがあるし、都市の雑然とした環境にいながら或る方向性に身を置いていると感じることもある。この展覧会を通じて、私はこれまで個別に感じていた空間の感覚が何か共通の内容としてつながれ、今後、空間に関わる自分の動機にひとつの方向付けを得たような気がしている。
*『室内8609』大橋晃朗の家具のディテール
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