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第1展示室(3階) |
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第2展示室(4階) |
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中庭から見る
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写真撮影=藤塚光政
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ところが、ぼくはその二つの対比のさらに先に隠れていた「読み」をかいま見てしまったのである。それは、ふたつの展示空間の間、外部テラスに置かれた複数のボード・ストゥール(バード・バッド)たちの、さざめきであった。
展覧会オープニングの夜、誰もいなくなったテラス。6つの小椅子が丸テーブルを囲み、一方4つの小椅子はきちんと並んで壁に大伸ばしした「シルバーハット」(1984)と「祖師谷の家」(1981)を眺めているのを、ぼくはデッキから見下ろして確認している。しかし再び訪れた夜遅く、スタッフの方にお願いして特別にスポットを灯してもらったテラスには、同じ10脚の丸い座のストゥールたちが、来訪者に座を許しあるいは議論の場を提供したのだろうか、勝手な方向を向きながらテラスのあちこちに佇んでいるではないか。それは小椅子たちが闇の中を自在に遊び回り、おしゃべりをしていた瞬間を盗み見られたので、瞬間的に硬直した姿であった。
本展の作品集(『タッチストン 大橋晃朗の家具』、TOTO出版)には、多木浩二と対話した大橋の言葉が収められている。
「言葉で説明できることを超えているのがイメージで、人を無意識に動かすイメージをつくって何かをつくっていくこと。そういうことを考えだしていると思えます。」(314頁)
「台」としての椅子という原理を発見した後、「トーキョー・ミッキー・マウス」に至って、座る姿勢さえも解体してしまった大橋の、家具を媒介した空間とヒトが交わすイメージの探求。それは伊東が同様の探求を「せんだいメディアテーク」(2001)で行なった末、建築(施設)の基本的な構成要素である「部屋」という単位を否定したために起こった出来事のことではないか。その経験を経たぼくたちには、大橋が、家具というオブジェクトを超えて広がるヒトの行為や出来事、つまり「インタラクション」をデザインしているのだ、と説明することできる。
大橋がもし生きていたら、テラスに遊ぶ小椅子たちの光景をかいま見たら…。はたして、どんな言葉を探し出してきたのだろうか?
大橋がたどった家具を巡る探求は、オブジェクトにかたちを与える「家具デザイナー」という職能に収まりきれない、深くそして広がりを持ったものだった。展覧会場に一堂に集められた大橋に遺された家具たちは、展覧会の限られた期間だけ、その広がりの向こうにほの見えていた楽園で、約束されていたはずの出来事をかいま見せてくれているのではないだろうか…。ぼくはそう納得した。
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