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阿部仁史展 Body
Hitoshi Abe Body
2005 3.09 - 2005 5.14
 
阿部仁史講演会
2005年4月22日(金) 18:30〜20:30
建築会館にて開催
境界面に立ち上がるやわらかい建築
レポーター:西澤高男
「今回のレクチャーはこれまで走り続けてきた活動の整理であり、自らの立ち位置を明らかにするための試みである。」この一言から始まった講演会は、本人も「うまく行くかどうかわからないが」という、実験的なものであった。阿部仁史の建築が持つ魅力的な「姿」、その成り立ちの要因は何なのか。(藤本壮介氏は阿部氏の建築を称して「姿の建築」と呼んでいるが、まさに言い得た表現である。) そして、ギャラリー・間で開催中の展覧会で展示されている大きなスケールの断片が、このレクチャーを経てどのような像を結ぶのか。私自身この講演会を聴くにあたって非常に興味があった。結果、これは「楽しい」講演会の体験となった。なぜなら、楽しんで物事を発想する、そのプロセスを追体験するものだったからである。

境界面と関係性 -ゾウと5人の盲人たちのはなし-
レクチャーは、1枚のゾウの画像から始まった。それは、阿部氏の世界の捉え方についての原則を提示する。5人の盲人がゾウの各部分に触れることで、その姿を様々に捉えるという逸話がある。足を触った者は丸太のようなものであるといい、耳を触った者は薄くてピラピラしたものであると言う。ゾウの写真を見てゾウだと思うのではなく、実際のゾウと関わることによってゾウを自らとの境界との関わりで構築してゆくこと。世界はこうした「境界面」との関わりによって相対的に成り立っているのではないか。このような世界に対する認識を基本姿勢として、建築とは「境界面」に働きかけをして関係を変えること、相対性を変えることであるという定義付けがされる。ここで、世界と関係すること、すなわち「全ては建築なのである。」ということなのであろうかという疑問が浮かぶのだが、これは後ほど解決されてゆくことになる。

続いて、「境界面」との関係の仕方によって立ち上がるさまざまな建築の姿が話の流れの中で紹介されてゆく。諸条件との関係性により形態を紡ぎ出した「SBP(しらさぎ橋)」、関係性によるカタチがファサードを作り出す「PTK」。場所や敷地への働きかけが境界面に折りたたまれ、発想の記録映像を見るかのような「YG(読売メディアミヤギゲストハウス)」、「MRP(雪月花)」、「KAP(苓北町民ホール)」、「SSM(塩竃K美術館)」。物質化された映像によって境界面を生成することにより時間性を建築の中に具現化している「AIP(青葉亭)」。ここまできて、その動画的なシークエンスに内包されている「時間」の要素が、境界面と関係性とを語る上で重要なファクターとなっていることに気づく。

 
 
時間が紡ぎ出す魅力
発想段階で敷地や与条件という境界面と深く関わること、実際に立ち上がった建築という境界面に使用者として深く関わること。「深く関わること」には、時間の概念が含まれる。阿部氏の建築は、そこに使用者による二次的な動きを誘発しているという。時間を経て「身体」が関わった深さが形態としての魅力を生み出し、そこに時間をかけて深く関わる(関わりたくなる)ことによって主体としての「身体」が導き出される。それは、時間を取り持つメディアとしての形態の強さがもたらすものに他ならない。

作品は続く。境界面をにじませることによってフィルターをかたちづくる「FLC(関井レディークリニック)」「SOB(佐々木義肢製作所)」「KTH(SHU-MAI)」、境界の置き換えによって生まれる形態「PALLET」、境界面の拡張による空間の展開「Sプロジェクト」「FRP」「TH9(9坪ハウスTALL)」。見た目の形態だけではつながりを見いだせないこれらの作品群が、いずれも「境界面」という言葉で巧みに絡められてゆく。ここで語られている「境界面」とは絶対的に存在している強固なものではなく、関係性の中で作り上げられたやわらかいものなのである。そしてむしろ、その境界面を敢えて危ういものとし、そのほころびの中に予想を超えた新たなアクティビティーの可能性を見いだそうとしているのではないかとも感じられる。時間をかけて編み出された精緻さと、一方でその襞に出来た「身体」の入り込む隙とでも言うべき「境界面の隙間」が相まって、魅力的な姿として立ち上がっているのではないだろうか。(例えば対異性にしても、隙のない相手は何ととりつきにくく魅力が半減することか!)つまりメディアとしての形態が孕んでいる未来への時間軸である想像力や予感のようなものが、建築をより魅力的なものにしていると考えられるのである。

さらに阿部氏は、形態を持たない「コミュニケーションの境界」へと働きかける事例に触れるのだが、ここでレクチャーの冒頭で浮かんだ疑問点に行き当たる。

やわらかい建築へ
では、「全ては建築なのである。」ということになってしまうのだろうか。この疑問に、彼は自らのアクティビティーを以てその答えを導き出そうとする。 代表作の一つである「KAP(苓北町民ホール)」は、使用者によるアクティビティーの連続が形態化したものであるという。この建築の立ち上げ過程で行われた、公共工事で想定されがちな「仮想施主」を「生きた使用者」にするためのワークショップが、その形態をかたちづくる要因となっている。また、千葉県のニュータウンで行ったワークショップでは親子の絆を深めながら地域に活気を生み出すイヴェントを仕掛けて成功し、阿部氏が事務所を構えた卸町地区は地域を巻き込んだまちづくりのムーブメントによって再び活況を呈しつつある。活動そのものが昇華して像を結びつつあるこれらの成果は、ソフトウエアから立ち上がる建築の可能性を具現化している。不可視な境界面を媒体としている一連のやわらかなアクティビティーは、建築という枠組みの境界すら自ら乗り越え、拡張してゆくパワーを持ち合わせているといえないだろうか。

夏には、阿部氏を中心としたメンバーでのキャンプ大会があるという。同行した方の話によると、屋外での料理からライブまで、一流の人選による魅力的な時間と場所が立ち上げられているそうである。「境界面からの建築」、つまり「境界面」である世界を深く読み込み、その関わりの中で建築を立ち上げるということは、そのまま世の中を楽しむ、ということになるのではないだろうか。阿部氏のこれまでの仕事に触れながらまたゾウの画像に戻るように仕掛けられた話の流れの中で、私たちはその思考過程を楽しみながら共有することとなり、冒頭に語られた試みはまんまと成功したのであった。建築家・阿部仁史との「境界面」に深く触れることのできた2時間であった。
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