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アンジェロ・マンジャロッティ展 イタリア建築界の巨匠、その建築/デザイン/彫刻
Angelo Mangiarotti  un percorso, MA un incontro
2004 09.10 - 11.13
「現実から決して目を離してはいけない」

レポーター:伏見 佳子
マンジャロッティ氏といえば、今年83歳を迎えるイタリア建築界の重鎮である。講演会の前半は、これまでのご自身の歴史を綴った。お菓子屋さんに生まれ育った自分が、子供の頃、菓子工場の作業音に耳を傾け、機械の回転に興味を持ち、その中に指を入れてしまいたい衝動をどうやっておさえたかをユーモラスに語る。そして、母の思い出。小さい頃から水彩画を描くのが好きだったアンジェロ君は、一日中、家族とお店のために働き、食後にふっと目を伏せて眠っている母親の姿をスケッチしていたそうだ。目で見たもの、考えたことを愛情豊かに描いていくトレーニングは楽しみの中で培われ、70年たった今も変わらない。

その母から会計士になるように勧められ、学校まで決めてしまうところがイタリアの男の子らしい。「マンマの言うことが聞けないの。」イタリアでは、幾つになっても母は息子をそう言って諭す。しかし、アンジェロ君は同じ学校にある測量科に入学してしまう。その後、ミラノ工科大学へ入学するためにブレラ美術学校へ通い、みっちりデッサンと美術を学んだ。(いつ、マンマは息子を会計士にするのをあきらめたのだろう。)そして、いざ、ミラノ工科大学へと思い入学したら、あっという間に第二次世界大戦となり、兵役を果たすことへ。人生思うようにならないものだ。終戦間近、縁あってスイス、ローザンヌのデザイン学校へ通い、マックス・ビルをはじめ多くの知己を得ることとなった。中でも、ル・コルビュジエとの出会いは、彼に「建築家とはなにか」ということを考えさせる重要なものだった。アンジェロ(天使)君に天は、人との出会いという大きな運命をくださったようだ。その後、アメリカにイリノイ工科大学の客員教授として招聘されたときに知り合ったのは、ミース、コンラッド・バックスマン、ルイス・サリヴァン、ワルター・グロピウス、ライト、バックミンスター・フラー等、きら星のごとくである。

しかし、彼は自分の人生に酔うことはなかった。師と出会い、師を乗り越え、自分の道を切り開く選択をし、イタリアへ戻ってブルーノ・ムラスッティと事務所をミラノに開設した。最初にミラノの近郊に小さな教会を建てようと計画したのは、決して信仰心からではない。マンジャロッティ氏は、神の存在については多くを語らない。この時、新たな技術であったPC工法を構造家ファリーニとともに取り入れデザインし、明快で力強い柱・梁のフォルムとガラスの壁によって、光のあふれる空間を実現した。

後日談がある。この「バランザーテの教会」は彼にとってはデビュー作であり、まだ若さ故、アイデアが結実していない箇所が数カ所残った。ある時、日本人を連れて行ったときに、「アラバスターをお使いになったのですか」と、汚れてしまったガラスのことをいわれたそうだ。しかし、今では保護建築の指定を受けてしまったので、自分でもどうすることできない。竣工時の姿を保ったままのデビュー作によって、マンジャロッティ氏は、「初心」を忘れずにいる。これも、長い間、現役でいられる秘訣かもしれない。

彼は、この教会を建てるときに、「匿名性」を意識したという。イタリアには優れた教会がいくつも残されている。決してマエストロ(名人、巨匠)が建てたわけではなく、地元の人々と職人が協働してつくり出した美しく、地元の人々に愛される建物が彼の理想だった。その気持ちは、今も変わらない。
諏訪のハウス」の広間内部。実際に使われている家具が同スケールで詳細に作られている。
バランザーテ教会(1957)
バランザーテの教会(1957)
諏訪のハウス」の広間内部。実際に使われている家具が同スケールで詳細に作られている。
吊り構造の照明 V+V(1967)と
テーブル・エロス(1971)
オスロの学生が作ったポスター
オスロの学生が作ったポスター
グローバリゼーションの進んだ現代建築において、「地域に根ざしたものから決して離れてはいけない」と声を強めて言う。そして「自分の署名を残そうとは考えていない」とも。周囲の人々と協力しあい、必要とあらば周囲の人に手をさしのべる愛をもっていることが大切なことだと説いた。私たちは常に、現実から目をはなさず、オーセンティックな物を追い求めるべきであると。

いまは、テクノロジーが進歩し、細分化して多くの人々の協力なしにはものはつくれない時代になってきた。だからこそ、皆がこぞってマエストロを目指すのでなく、協力しあうことがもっとも尊ばれるべきことであることを強調する。素材のことは職人が詳しいし、構造のことはエンジニアに相談する。それでも、彼らだって、人間だから間違いを起こすことだってある。だから、私たち建築家はアイデアを出すのだと、実に前向きな意見が飛び出した。ガラスの吊り構造の照明「V+V」のフォルムには、ムラーノ島のガラス職人も音を上げたそうだ。「ガラスにこんなこと、できっこない」。でもマンジャロッティ氏はあきらめずに職人たちと協働を続ける。そして、ようやくこの傑作が生み出された。ガラスの特性をギリギリまで引き出したシャンデリアは、今見ても美しい。

そして最後に彼は、3枚のスライドを映し出した。「私たちのことは他人に決めさせません」(イタリア語と日本語を1枚ずつ)。戦争を乗り越えた人の言葉かと思ったら、街角に若者が落書きをしたものらしい。強い意志を暗示させるが、個人ではなく共に考えていくことを示唆しているように思えてくる。そしてもう1枚は、オスロの学生たちが自分の展覧会のために作成してくれたというポスター。氏のあみだしたジョイントシステムと、その中心にはバリで氏が撮ったという子供がさらに小さな子供を抱きかかえているヒューマニックな構図の一点である。モノとモノとのジョイント部分に心を割いてデザインするマンジャロティ氏は、人と人の愛情をつなぐきっかけにも心を割いていることを象徴しているようだ。40年間にも渡り、日本人を受け入れてきたマンジャロッティ氏は、「もっとも日本的なイタリア人建築家」を自負している。質問タイムに入った時、行儀よくしている私たちに「コラッジョ!(勇気をだして!)」とけしかけるところは、イタリア人そのものだったけれど。
撮影=Foto Casali(バランザーテの教会のみ)
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