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アンジェロ・マンジャロッティ展 イタリア建築界の巨匠、その建築/デザイン/彫刻
Angelo Mangiarotti  un percorso, MA un incontro
2004 09.10 - 11.13
MAKING OF GALLERY・MA  土壁ができるまで
アンジェロ・マンジャロッティを知っていますか?イタリア、ミラノを拠点に約半世紀にもわたって活躍している建築家です。その創作活動は「建築」「デザイン」「彫刻」と幅広く、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロのような、あらゆる分野に万能なイタリアン・アーキテクトの才能を受け継いでいます。「何を使って、どのようにして、なぜつくるのか」という、モノづくりに対する基本姿勢を崩さず生み出された作品は、流行を追い求める消費社会の現代においてこそ再評価すべき質と美を兼ね備えています。ル・コルビュジエとの出会いを機に建築家として目覚め、グロピウス、ミース、ライトなどと交流があったマンジャロッティ。最後のモダニストと云われる彼の作品が、今なお私たちを魅了するのはなぜなのか? その創作の原点に迫ります。


2003年10月、ミラノにあるマンジャロッティ事務所は、メイン・ストリートの喧騒から少し外れた通りに佇むコート・ヤード型の集合住宅の中にありました。扉を開けると、もうそこかしこに作品や模型がいっぱい。トレード・マークであるモジャモジャの髭に蝶ネクタイ姿のマンジャロッティに迎えられ、標準の3倍は長いと思われる彼のデスク前の椅子に腰掛けると、その正面にはデスクと同じ程の大きさのピンナップボード。新聞の切り抜き、写真、スケッチ、メモなどが、黄ばんでしまったものから、まだ白くつやつやしたものまでびっしりと貼られている様は圧巻でした。そのボードを背に愛用の椅子に腰掛けたマンジャロッティは、モノづくりを始めたきっかけから話してくれました。
モジャモジャの髭に蝶ネクタイ
姿のマンジャロッティ。
事務所がある集合住宅の
コートヤード。
事務所入口の扉。
描き、描き続ける:考えることは描くことから始まる
「小さい頃は何もつくらなかった(笑)。少年時代は水彩画にいそしんでいました。…母は仕事で忙しい人で…昼食が終わるとすぐにテーブルでうつらうつら居眠りし、その姿をよくデッサンしていたことを覚えています。…もう70年も前のことです。そのころから、自分の目で見たものを描きたいという気持ちは常にもっていました。」
デッサンすることが日常だった少年は、描くことによって鋭い観察眼を養いました。これが素材を吟味し、フォルムを追及して、モノをつくりあげる源となったのです。
そしてマンジャロッティは、今も描き続けています。
話している側から、手元に散らばっている紙にぐんぐん描かれるおびただしい数のスケッチ。
「素敵な、後に残すためのスケッチをしようと思ったことはありません。自分の考えをはっきりさせるためのもので、描いては捨て、描いては捨ての繰り返しです。…気分が晴れている時、悪い時、元気な時、疲れている時など、スケッチはその時その時に反映されるもので、身体と直結している道具です。」
考えることは描くことから始まるのです。
少年時代に描いた
母のデッサン。
話しながら、
どんどんペンが走ります。
システムの探求:時代に即した構法と材料で、質のいいものを
ミラノやローザンヌで測量、デッサン、デザイン、そして建築を学ぶ中、ジュネーブで出会ったコルビュジエの『小さな家』。「コルビュジエは自分にとって初めて“建築家とはなにか”ということを問いかけてくれた人だと思います。」と語るように、マンジャロッティは、この出会いをきっかけに建築家として目覚めます。
その後、マックス・ビルの紹介からシカゴで教鞭を執り、グロピウス、ミース、ライトなどと親交を重ね、1955年にはイタリアで事務所を開設。その2年後、代表作『バランザーテの教会』をつくり、PC(プレキャスト・コンクリート)の4本柱による大胆な架構とガラス壁による斬新な空間で話題をさらいました。
石造りの教会が一般的だった時代に、なぜPC工法によるプレファブリケーション・システムでつくろうと思ったのでしょうか?
「当時のイタリアでは金属がとても高価でしたから、鉄骨造でつくることはできませんでした。…イタリアの多くの教会がもつシンプルな平面に準ずる教会をつくろう…そこで生まれたのが、4本の柱のみで屋根を支えるというこの工法です。支持構造としての壁は必要なく、いわゆる“壁”の部分にはガラスを入れ、光を透す役目にしました。」
柱梁のみのシンプルな構造の力強さと、ガラス壁を透過した柔らかい光の優しさが融合した空間。マンジャロッティは、時代に即した構法と材料で新しい美しさを生み出すことに成功したのです。
マンジャロッティの最初の仕事
は、コルビュジエ住宅の改修
だった(共同)。改修後、コル
ビュジエから送られた手紙。
シカゴ大学で教鞭を執っていた
ころ。左から、アーネスト N. ロ
ジャース、マックス・ビル、
マンジャロッティ。
バランザーテの教会
ミラノ 1957年
バランザーテの教会
ミラノ 1957年
無記名の精神:普遍性を目指して
マンジャロッティはPC工法を、集合住宅や工場や駅舎に展開しました。当時イタリアにはプレファブ自体がほとんど無く、外国から輸入された部材は粗悪なものであることが多かったため、低品質で見た目も良くないという評価が一般的でした。加えて、名前の残らないプレファブを開発しようとする建築家は稀だったのです。
「多くの建築家やデザイナーは、記名することを望んでいますしね。…私は金属で日本の“民家”をつくりたい、と常に思っています。それは家そのものを設計するのではなく、民家の構造をもとにしながら、金属や時代に合った材料を用いた現代の民家を構成するパーツ設計したいのです。日本の“民家”には、誰が作ったのか、という記名はありません。まさに、これが私の考える無記名の精神です。」
彼の美しく、合理的なPCパネルや柱梁でつくられた建築は、そのほとんどが今も快適に使われています。
クアドロンノの通りの
集合住宅
ミラノ 1960年
UNIFOR社の工場
ミラノ 1982年
ロドレーゴ駅
ミラノ 1982年
テーブル・シリーズ:
エロス 1971年
photo = Foto Casali
テーブル・シリーズ:
インカス 1978年
テーブル・シリーズ:
アゾロ 1981年
photo = Aldo Ballo
テーブル・シリーズ:
ビブロ 1986年から
時計:セクティコン
1956年
椅子:シカゴ 1983年
フォルムの美学:素材や機能から導かれるかたち
建築だけでなく、プロダクツや彫刻も数多く手がけているマンジャロッティ。それぞれのデザイン活動に共通した考え、方針はありますか?
「私が気をつけているのはマテリアルの違うものを同じ図面に反映させることの危険性です。プラスチックのジョイントとセメントのジョイントは当然別のものでなければいけません。…私のデザインした3つのテーブル、『エロス』『インカス』『アゾロ』は基本的にはみんな同じ、重力を利用したはめ込み式の構造です。しかし結果は3テーブル別々の様相となっています。これが素材の違いからくるデザインの変化です。大理石、石、花崗岩が持つそれぞれの特色から、テーブル面の厚さやはめ込みの形、表面の仕上げ方法等を決めました。」素材の性質を知り尽くしていれば、機能に適ったデザインを反映させることも容易になります。使う時の“動き”をかたちにしたクリスタルのグラス、見やすさが追求されたプラスチックの置時計、座るとテーブルに近づくように動くグラスファイバーの椅子など、マンジャロッティの作品は素材と機能とフォルムの絶妙なマッチングで、その魅力をゆるぎないものにしました。
システム家具:ジュニア
1966年
エロス 1971年 天板の
バリエーション図
ファミリー:様々な人、時、場に応じることができる、美の展開
数十種の天板をもつ『エロス』などのテーブル、さまざまな大きさ、形のグラスや花器のシリーズ、数種のパーツが椅子・机・棚と姿を変える『ジュニア』などの組立家具。このように、マンジャロッティの多くの作品では、いろいろなバリエーション=ファミリーが展開されています。彼は、それらを使う人が、その時々の状況や好みに応じて何を使うかを選べるようにしているのです。様々な人、時、場に応じることができるデザインを考えることは、その人、その時、その場にふさわしい美を展開することにつながります。
シケバナ 2004年 ”日本へのオマージュ”として
つくられた新作の花器
日本との交流:40年間日本人がいる事務所
マンジャロッティの事務所には、40年間、途切れることなく日本人スタッフがいます。「日本との関係は、日本側から生まれました。…次々とここに日本人が来て、一緒に働きました。ここに来た日本人はここで居心地がよかったし、自分は彼らと一緒にいてとても居心地がよかった。…また、彼らはその後日本に帰ってから私がすることを強制的にまねる、つまりデザインをコピーする、ということはありませんでした。…ここでの経験を、彼らはさまざまな形で生かしてくれているのです。」このようなかたちで日本との交流を続けてきたマンジャロッティから、日本の若者にメッセージがあります。「もちろん他の国の文化や技術を勉強することは重要なことですが、根本になる起源、つまり素晴らしい日本固有の文化を忘れないでほしいのです。」
  天空の円錐 1987年
大きな大理石の塊をバ
ームクーヘンのように
スライスし、積み重ね
ている
建築/デザイン/彫刻:変わらない、モノづくりへの姿勢
建築/デザイン/彫刻、マンジャロッティのモノづくりに対する姿勢は変わりません。「何をつくるにしても重要なことは、素材を知ること、それを加工するための技術を知ることだと思います。…あらゆる方向からモノを創造する無限の可能性を強く感じているので、これからも幅広くデザイン活動していくつもりです。」飽くなき探求心と新しいことへのチャレンジが、彼のモノづくりを続ける力になっているのです。


展覧会では、マンジャロッティ事務所の倉庫から運び出したオリジナルの建築模型・プロダクツ・彫刻を日本で初めて一堂に展示します。また、時計・テーブル・椅子などの限定復刻品や、新作の照明器具、花器なども初公開されると同時に、マンジャロッティ自らが創作姿勢を語る映像や代表的なPC工法の原寸模型の展示など見どころがいっぱいです。デザイン王国イタリア発の現在進行形モダンをぜひご覧ください!!
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