|
ミラノやローザンヌで測量、デッサン、デザイン、そして建築を学ぶ中、ジュネーブで出会ったコルビュジエの『小さな家』。「コルビュジエは自分にとって初めて“建築家とはなにか”ということを問いかけてくれた人だと思います。」と語るように、マンジャロッティは、この出会いをきっかけに建築家として目覚めます。
その後、マックス・ビルの紹介からシカゴで教鞭を執り、グロピウス、ミース、ライトなどと親交を重ね、1955年にはイタリアで事務所を開設。その2年後、代表作『バランザーテの教会』をつくり、PC(プレキャスト・コンクリート)の4本柱による大胆な架構とガラス壁による斬新な空間で話題をさらいました。
石造りの教会が一般的だった時代に、なぜPC工法によるプレファブリケーション・システムでつくろうと思ったのでしょうか?
「当時のイタリアでは金属がとても高価でしたから、鉄骨造でつくることはできませんでした。…イタリアの多くの教会がもつシンプルな平面に準ずる教会をつくろう…そこで生まれたのが、4本の柱のみで屋根を支えるというこの工法です。支持構造としての壁は必要なく、いわゆる“壁”の部分にはガラスを入れ、光を透す役目にしました。」
柱梁のみのシンプルな構造の力強さと、ガラス壁を透過した柔らかい光の優しさが融合した空間。マンジャロッティは、時代に即した構法と材料で新しい美しさを生み出すことに成功したのです。 |
|
|
|
マンジャロッティの最初の仕事
は、コルビュジエ住宅の改修
だった(共同)。改修後、コル
ビュジエから送られた手紙。 |
|
シカゴ大学で教鞭を執っていた
ころ。左から、アーネスト N. ロ
ジャース、マックス・ビル、
マンジャロッティ。 |
|
バランザーテの教会
ミラノ 1957年 |
|
バランザーテの教会
ミラノ 1957年 |
|