Case #4

まちを起こす戦略としての建築 その4
商店街に学生シェアハウス

一時的なイベントのにぎわいではなく、日常的に、商店街の人を増やしたい。シャッターが目立つアーケードの一角に、空きビルを再生した、学生マンションが誕生。大学のもつパワーが波及して、まち全体が動きはじめた。

作品 「シェアフラット馬場川」
場所 群馬県前橋市

取材・文/市川幹朗
写真/山内紀人

  • 中央通り商店街のアーケードと右に「シェアフラット馬場川」。2階には計画の中心となった3名と、住人の学生たち。

住む人が増えるまちおこしの方法

 群馬県の県庁所在地・前橋市。戦前は生糸の生産で栄え、戦後は「商業のまち・高崎」と並ぶ「文化のまち・前橋」として県の中心都市でありつづけてきた。だが、1982(昭和57)年の新幹線開通とともに高崎が新幹線停車駅となり、現在も再開発が進むのに比べると、その勢いは一歩後れをとっている感が否めない。
 さらに、平成の大合併以降は、人口でも逆転され、現在も総人口は高崎に次ぐ第2位に甘んじている。いく筋もの商店街が連なる前橋の中心市街地・千代田町周辺では、最盛期の昭和50年前後に500~600軒あった店舗が、現在では「半減した」(大橋慶人・前橋中央通り商店街振興組合理事長)という。
 もちろん、ただ手をこまねいていたわけではない。中央通り商店街でもさまざまなイベントを企画して、人を呼び戻す努力をしてきた。しかし「イベントでまちおこしはできない、というのが私の実感です。どれだけ多くの人が集まっても、イベントの翌日は元どおりの、閑古鳥が鳴く商店街に戻ってしまう。もっと日常的にまちに人がいるような仕組みの必要性を感じていました。一番いいのは、まちに住む人が増えることです」(大橋さん)。
 この大橋さんの想いが、じつは「シェアフラット馬場川」(以下、「シェアフラット」)の誕生に、深くかかわっている。

  • 2階サロン。学生たちの共有スペースで、食事や談話に利用。大開口からは中央通り商店街を見渡せる。窓ガラスの一部は、新しくした。

  • 3階ランドリーコーナー。左に物干し場、右に洗面台とトイレ。

三者三様の想い

「シェアフラット」は、1969年竣工の雑居ビルを改修・用途変更して、学生専用のシェアハウスにしたものである。深くかかわったのが大橋さんのほか、事業プランナーの小林義明さん、2016年3月まで前橋工科大学で教鞭をとっていた建築家・石田敏明さんの3人だ。
 小林さんは、長く前橋に住み暮らすなかで、中心地の衰退を憂い、2000年代初めに高齢者住居と医療施設を融合させた「終身賃貸マンション」を企画するなど、前橋の活性化に取り組んできた。終身賃貸マンションは、不便な暮らしを強いられる郊外の高齢者を中心部に呼び戻すための環境づくりであり、今回のシェアハウスのアイデアも、市街地の人口を増やす試みの一環として小林さんが発案したものだという。
 石田さんは、97年に着任してから20年近く前橋を見ていたが、「学生を連れて商店街を歩くと『今日は何かあるんですか』とまちの人にたずねられる」。それだけまちなかで若者を見ることが少ないという状況に違和感を覚えていた。学生の70%が他県から来ている前橋工大では、「大学近くのアパートを借りた学生は4年なり6年なり大学に通っても、ほとんど中心市街地に出ることがない」状況もあった。調査したところ、前橋市内の大学・専門学校に通う学生が、12000人はいることもわかった。まちなかに学生が住む場所をつくるシェアハウスの試みは、興味をひかれるものであり、必要性を感じるものだったようだ。

商店主が出資して資金を調達

 計画が最初に公にされたのは、2012年の群馬県商店街活性化コンペ。ここで提案が優秀賞を受賞する。だが、受賞の喜びとともに「ほかは一過性のイベントの提案ばかり。長期的視点をもつこの案が、なぜ最優秀ではないのか」という疑念も抱いたという。結論としては「審査員には、実現可能性が低いと判断されたのだろう」(石田さん)。当時はまだ、事業化に向けての具体的な詰めは進んでいなかった。どんなにすぐれた提案でも、事業として成立しなければ単なるアイデアで終わる。ここでポイントとなったのが有限責任事業組合(Limited Liability Partnership/LLP)という考え方である。
 LLPの特徴として挙げられるのは、有限責任、自由な内部自治、構成員課税の適用を受けることの3点。
 出資を募る際、出資額に応じた有限責任であることは、出資のハードルを低くする。自由な内部自治は、利益を優先的に借入金の返済にあてるなど、柔軟な運営を可能とする。課税については、法人格のないLLPに法人税は課されず、配当があった際に、その配当に対して課税されるだけなので、組合として負担が少ない。
「図書館に行ってLLPを勉強した」と笑う小林さんの奔走により、資金を集める具体的な体制が出来上がり、事業組合が動き出したが、お金の話は簡単ではない。数千万単位のお金を準備するためには、広く出資を募る一方で、大口の融資も必要となる。だがメガバンクはもちろん、頼りの地方銀行も簡単には融資してくれない。唯一、日本政策金融公庫だけは支援を快諾し応援してくれたが、それでもたりない分は、結局大橋さんたち商店主が個人で借財を負うかたちで4500万円の資金が準備された。

  • Before
    1969年竣工の雑居ビルで、改修前は廃墟化していた。写真は貸事務所として利用されていた3階部分。
    提供/石田敏明

  • 改修後は学生の居住スペース(写真は「個室11」)。右手の青い布製の壁が、隣室とのあいだに設けた「やわらかい間仕切り」。

「やわらかい関係性」をつくる

「シェアフラット」は、2、3階に計11室貸し部屋をもつ構成(平面図参照)となっているが、ここに至る過程もまた、簡単ではなかった。
 空き家になって久しい建物に手を入れようとすると、一般的な改修とは違った事態に遭遇する。割れた窓から多数のハトが入り込んでいた最上階の糞の除去・清掃、以前の借主が退去時に置き去りにした什器や設備の撤去など、工事のスタートまでに多くの資金と労力を必要とした。加えて、軀体のひどいジャンカや防火区画の不備など「ありえない施工」(石田さん)状態の補修や耐震補強など、性能適法化にも多くの予算が割かれ、結果的に「仕方なく」既存のまま再利用された部分は少なくない。
 こうした状況下、設計時に石田さんが腐心したのが「やわらかい関係性」をつくること。
「アパートやマンションのように、隣に誰が住んでいるのかもわからない関係ではなく、すぐ横にも知人が暮らしていることを感じられるようにしたかった」
 それが形になっているのが、「やわらかい間仕切り」だ。布のあいだにウレタンチップを充塡した間仕切り壁は、押せば反対側に膨らむ。遮音シートが入っているとはいえ、隣室の気配はかなり伝わる。「朝、隣の友人が、『授業に間に合わないぞ』と壁を叩いて起こしてあげるような関係があってもいいのでは」という石田さんの仕込みである。

  • 内壁は学生たちが自ら塗装。
    提供/石田敏明

「シェアフラット」から始まった

 入居開始から3年半がたち、運営自体はおおむね好調だ。大橋さんは、自らの店の経営を続けながら、学生たちの里親となって積極的に「シェアフラット」にかかわりつづける。携帯アプリのLINEを駆使して、学生たちとやりとりする大橋さんは、実質的に管理人の役も果たしている。夜、建物に遅くまであかりが灯っている光景は、空き家だった頃と比べるまでもなく、人の息吹を感じさせよう。入居した学生は、イベントや清掃などの地域活動に月10時間以上参加すると、前橋市の家賃補助が受けられるため、学生と地域住民の触れあいも増えている。では、そのほか周辺の動きはどうか。
 若手経営者が集まって民間主導のまちづくりの機運が高まっている。行政は、「シェアフラット」の成功事例から、3件の住宅転用促進事業や、現在進行中の2件の優良建築物整備事業など、より積極的に市街地活性化に取り組むようになり、一部では大手デベロッパーが参入する動きもある。さらに、全国展開する某有名企業の創業者が、出身地の前橋を応援したいと、商店街の空き店舗を買い取り、若手デザイナーと組んで飲食店などを開業する予定もあるという。「シェアフラット」は、こうしたまちおこしの一部ではあるが、ひとつの起爆剤となって波及しつつあるのは間違いない。近くでシェアハウスが3軒も増えたのは、明らかに「シェアフラット」の影響だろう。
 しかし、住民の高齢化とともに増加してきた空き家問題が劇的に改善したわけではない。ブームに乗ってシェアハウスをつくっても、大橋さんのように本気で運営にかかわる人材がいなければ、やがて荒廃する恐れもある。
「シェアフラット」は、目先の利潤にとらわれない持続的な試みとして蒔かれた種だ。住みやすいまち、暮らしやすい地域だと多くの人が魅力を感じるようになれば、テコ入れ策がなくても人は集まってくるだろう。そうなったとき、初めて「シェアフラット」の果たした役割が見えてくる。真価が問われるのはこれからである。

  • 学生は地域イベントを手伝う。
    提供/石田敏明

  • シェアフラットの屋上で行われたアートイベント。
    提供/石田敏明

「シェアフラット馬場川」
  • 建築概要
    所在地 群馬県前橋市千代田町2-12-1
    主要用途 寄宿舎、店舗
    建主 前橋まちなか、
    居住有限責任事業組合
    設計 石田敏明建築設計事務所、
    タノデザインラボ
    構造 前橋工科大学構造信頼性研究室
    施工 伊佐建設、内部塗装は有志によるワークショップ
    階数 地上3階
    敷地面積 170.37㎡
    建築面積 153.13㎡
    延床面積 443.21㎡
    設計期間 2012年7月~2013年10月
    工事期間 2013年11月~2014年2月

  • おもな外部仕上げ
    屋根 既存(一部撤去)
    外壁 アクリルリシンローラー仕上げ
    開口部 既存アルミサッシ
    おもな内部仕上げ(個室)
    既存仕上げ材撤去、一部モルタルによる不陸調整のうえ、ニードルパンチによるカーペット敷き込み
    遮音シートのうえ、ウレタンチップ下地布張り、一部既存壁仕上げ撤去のうえ、EPローラー仕上げ(セルフビルド)
    天井 既存天井材撤去のうえ、EPローラー仕上げ(セルフビルド)
    賃貸条件
    住戸数 11室
    住戸専用面積 8.48~15.76㎡
    賃料 26,000~37,000円(別途、居住2年間前橋市による家賃補助7,000円/月あり)

Profile
  • 石田敏明

    Ishida Toshiaki

    いしだ・としあき/1950年広島県福山市生まれ。73年広島工業大学卒業。73~81年伊東豊雄建築設計事務所。82年石田敏明建築設計事務所設立。97~2016年前橋工科大学教授。現在、同大学名誉教授。16年より神奈川大学教授。おもな作品=「NOSハウス」(96)、「綱島の家」(92)、「印西牧ノ原消防分署」(01)。

  • 施主・管理人

    大橋慶人

    Ohashi Yoshito

    おおはし・よしと

  • コーディネーター

    小林義明

    Kobayashi Yoshiaki

    こばやし・よしあき

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