維持費のかかるアーケードはやめ、緑で商店街をつなぐ。さらに、揺れるワイヤーのひと工夫。若い建築家のエネルギーで、まちがすっかり明るくなった。
作品 福山市本通・船町商店街アーケード改修プロジェクト「とおり町 Street Garden」
場所 広島県福山市
取材・文/大井隆弘
写真/川辺明伸
本通・船町商店街。中央に計画の中心人物である4名。通り沿いに緑が続き、その上方にはワイヤーでつくられた新たなアーケード。
「街路は合意によるルームです。それはコミュニティルームであり、その壁はそれぞれの提供者たちのものです。その天井は空です」
近代建築の巨匠、ルイス・カーンのよく知られた言葉である。街路は車のためだけにあるのではない。空を天井とした気持ちのよいコミュニティルームであるべきだ。確かに、そうあってほしい。
しかし、そこには壁だけではなく、道路や消防に関する決まりがある。インフラも関係し、事業主体はさまざま。ひとつの部屋としてとらえられるような街路を得るためには、関係者との膨大な合意が必要だ。「とおり町ストリートガーデン」を歩きながら、少し気の遠くなる想いがした。
この「とおり町ストリートガーデン」は、福山本通商店街と福山本通船町商店街という、ふたつの連続する商店街が一緒になって計画したもの。完成は2016年。正直、初めて見る光景だ。実現に至るまでには、いったいどんな合意があったのだろう。本通商店街の北村洋一さん、船町商店街の作田英樹さん、福山商工会議所の木村恭之さん、そして設計を担当した建築家・前田圭介さんに話を聞いた。
商店街もうやめようか
そもそもの発端は08年。北村さんいわく、当時、全部で約100軒の店舗のうち、空き店舗は30軒にのぼり、商店街消滅の危機が間近にせまっていることを感じたという。商店街にあった全蓋式のアーケードも、築後30年を経て老朽化。すぐに手を打つ必要があった(現に、船町周辺ではアーケードの落下事故が発生した)。これが潮時、もうやめようか。商店街のメンバーに、そう問いかけた。ところが、その返答に驚かされた。みな、まだ商店街の誇りや希望を捨てていなかったのだ。
では具体的にどうするか。毎年100万円前後の維持費がかかっていることを考えると、やはりアーケードは撤去が現実的だろう。ただ、撤去すると縦横無尽に走る電線が現れるので、ぜひ地下に埋設して、すっきり明るい商店街にリニューアルしよう。そんな計画がもち上がってきた。
ところが市へ問い合わせたところ、電線の埋設は順番待ち状態。かなり先の工事になることがわかった。待ってはいられない。うまく電線を隠せないか。そうだ、ガーデンストリートはどうか。樹木なら劣化しないし、電線もうまく隠れそうだ。早速、設計者探しが始まった。
柱を残す想いを託す
前田さんに設計の相談が舞い込んだのは、商店街が実施している七夕のイベントがきっかけだという。笹と短冊を届けに行った先の保育園が、前田さんの設計だった(「Peanuts」12年)。室内まで土の地面が続く、緑豊かな保育園。ガーデンストリートの設計者にぴったりじゃないか。
相談をうけた前田さんは、まず状況の調査にのり出した。また、それに加えて商店街メンバーへの聞き取りも実施。すると、「みなで真剣に議論をして建設したアーケード。たった30年で壊すなんてバカバカしい」。きびしい意見が飛んだ。撤去前提の相談ではあったが、アーケードに強い愛着をもっている人が、まだ多くいることを実感した。
「この30年は商店街にとって重要な歴史。そこで、当時の決断やその後の思い出を柱に残そうと提案しました」とは前田さん。最初は、雲のような形の天蓋をランダムに設置する案もあったが、試行錯誤の末、ワイヤーを用いることにした。
維持費がかからないこと
このワイヤー案は、柱の上部に丸桁を走らせ、全部で7000本のワイヤーを吊るしたもの。見上げれば空。見通せば、連続するワイヤーが風に揺れ、きらきら光る雲になる。そんな提案である。
なぜワイヤーが選択されたのかといえば、それはコストカットである。そもそも商店街が求めたのはガーデンストリートで、建設費や維持費がかからないことを重視していた。そこで目を付けたのが、メンテナンスフリーのステンレスワイヤーだった。国内外から大量のサンプルを取り寄せ、その表情の違いを吟味しつつ、事務所などで暴露試験を実施した。錆びないか、台風のときどうなるか、雨が降るとどんな雫が落ちるのか。不安なこと、わからないことをすべて確認していった。もちろん、磨耗試験も実施。50年はそのままで大丈夫とわかり、提案が現実味を帯びてきた。天蓋にワイヤーを選んだことで、当初4億円と試算されていた建設費も2億円台にまで下げることができた。
では、そのワイヤーを、どう設置すべきか。関係各所との協議が始まった。たとえば消防。万が一火災が発生した際、水は届くが、ワイヤーが人命救助の妨げになる。そこで前田さんはワイヤーをワイヤーで吊ってはどうかと提案した。丸桁に並行して親ワイヤーを走らせ、これに子ワイヤーを取り付ける。親ワイヤーを切るだけで、子ワイヤーがごっそり落ちる。
ワイヤー上に走る電線の点検や整備はできるか。この問題は、複数本のワイヤーを束ね、開いた所へ高所作業車のカゴを下からくぐらせることで解決した。ワイヤーのたわみは、道路交通法上必要な高さを満足させつつ、カゴがくぐるのに十分な量になっている。こうした協議から、ディテールや寸法が決まっていった。
まちを統一する緑
道路や植栽の協議も大変なものだった。というのは、道路の事業主体は福山市。土木工事に建築家がかかわることは珍しい。前田さんは設計監修として加わることができたが、最初は理解を得るのに苦労したという。加えて、市が工事を進めるためには、メンバー全員の合意が必要だった。
まず、両側通行だった車道は片側に変更し、通行できる時間に制限を設けた。商店街では通過交通が問題になっていたので、これはみなの合意がとれた。
植栽についてはどうか。前田さんは、高木を8種、中木と低木をそれぞれ11種ずつ、そのほか地表を覆う植物をリストアップし、全店舗をまわって、その組み合わせを決めていった。ポイントは、高さの異なる樹木を組み合わせること。商店街を見通すと、建物の不調和やアーケードの撤去跡がうまく隠れる。
植樹の範囲もさまざま。商店主たちがわかりやすいよう、地面に範囲を示しながら合意を得ていった。なかには、間口いっぱいを植栽にして、橋をかけるように入る店舗まである。たくさんの樹木から選んだり、店舗の事情に合わせて範囲を決めたり。思わず参加したくなるような方法ではないか。
「各店舗の雰囲気、好みが反映されているので、店舗と道路に一体感が生まれたと思います」とは、まちづくりコーディネーターを務める木村さん。「散歩する人がかなり増えました。水やりをしていると木の種類をたずねてくる人がいて、なかにはお店に入ってきてくれる人もいます。こんな光景は今まではありませんでした」とは作田さんの言葉。前田さんの苦労が報われた。
商店街の今そしてこれから
こうして商店街は、再出発を果たすことになった。福山藩の商いの中心として栄えたこの道は「とおり町」と呼ばれていたが、それにちなんで名前も一新された。出だしは上々。30軒あった空き店舗も、産直野菜の販売や、子育てカフェなど、コミュニティを意識した店舗を中心に、すでに11軒が埋まった。
気持ちも前向きになる。「そろそろ、周辺エリアを含めた全体の構造や、まちなかの人の動きを具体的に分析するべきです。まちの回遊性が重要なキーワード。それには、商店街を超えた取り組みが必要です」。商店街の今後をたずねると、みな街路から都市へと視野を拡大させている。現に、最近では近隣商店街との連絡協議会が発足したそうだ。
「この計画にかけた想いは、世代交代とともに薄れていきます。どうすれば、その想いを紡いでいけるか。それが大切だと思います」。そう話す前田さんは現在、商店街の一画に、この商店街の改修に携わるきっかけとなった保育園の園長と、まちなか保育の場を計画中。その保育園は給食の味に定評があることから、市民が利用できる食堂を併設する計画だそうだ。なるほど、そこで子どもたちと商店街の大人たちがつながる。想いを紡ぐ建築。まちの持続性とはこういうことか。
都市へのまなざし。歴史や想いを紡ぐ子どもたち。そんな話を聞くと、再びカーンの言葉が思い出される。子どもたちが自分の将来を想像できる、そんな都市の姿だ。
「都市とは、その通りを歩いているひとりの少年が、彼がいつの日かなりたいと思うものを感じとれる場所でなくてはならない」
Maeda Keisuke
まえだ・けいすけ/1974年広島県福山市生まれ。98年国士舘大学卒業後、工務店での現場経験を経て、2003年UID設立。現在広島大学客員准教授、広島工業大学、福山市立大学、神戸芸術工科大学非常勤講師。おもな作品=「森×hako」(09)、「Peanuts」(12)、「CASA || 音色」(16)。
施主(本通商店街)
北村洋一Kitamura Yoichi
きたむら・よういち
施主(本通船町商店街)
作田英樹Sakuda Hideki
さくだ・ひでき
コーディネーター
木村恭之Kimura Yasuyuki
きむら・やすゆき