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「彼方」の行方
レポーター=倉方俊輔
五十嵐淳は現代のヒーローだ。2011年6月9日に開催された五十嵐淳の講演会には、多くの若者が詰めかけた。講演が始まれば食い入るように凝視し、ペンを走らせている。男子のそんな姿が特に印象的で「ヒーロー」と言ったのだが、憧れの根源は、作品そのものの質の高さにある。ただ、そこに専門学校卒業後、短い実務経験を経て設計事務所を開き、人口6,000人未満の出身地・北海道佐呂間町に今も本拠を置いている作者の経歴が、まったく関係しないと言っては嘘になるだろう。「非中心」性を過度に強調することは避けねばと思いながらも、光の当たりづらい場所で努力している者にとって、五十嵐淳が希望の星であることは、痛いほど伝わってくる。
熱い視線の前に現れた建築家は、どう振る舞うのだろう? どうだとばかりに自分が開拓してきた道を説き、会場を肉体的な「どや」感で圧倒するのか。あるいは、あえて難解な哲学用語を繰り出して、思想的に「どや」でその身を包むのか……。正解はどちらでもなかった。実に淡々とした話ぶりだったのである。
淡々とという印象は、終始変わらない分かりやすい口調、序破急も起承転結も無いいわば単楽章の講演構成、それに、作品が「彼方」に起因していないことによるのだろう。自身の建築は「時系列で説明しないとプロセスや思考を辿れない」と初めに五十嵐淳は言った。そして、「ミラーサイトハウス」(1999、計画案)から「House M」(2009)まで1作1作について話した。図面と写真を提示し、その建物が建つ場所をいかに捉え、どのような状態を目指して、いかなる方法をとったのかを説明したのである。
五十嵐淳の作品は「彼方」からやってきて、大地に降り立つようなものではない。〈自己の内面〉や〈社会的な理念〉からつくられるわけではない。二つとも、その場所に建つという建物の条件の外からやって来る。不意にやって来る。だから、それらが加わると、講演はもっとドラマティックになるだろう。あるいは、あからさまにロマンティックな旋律を奏でるかもしれない。しかし、「どや」顔でない五十嵐淳の講演会は、そうしたものではない。つくられる建築も同じだ。だからこそ、五十嵐淳の建築=講演は時系列で進行し、次第に成長して、揺るぎない流れを感じさせる。
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環境の中に、ある安定した状態をつくり出すのが建築ではないか」と彼は述べた。冒頭の「ミラーサイトハウス」では「身近なものから建築のきっかけを見出していった」。子供の頃から眼にしていたという「風除室」が、それである。冷気や風の侵入を防ぐために、住宅などの玄関先に後付けされるサンルームのような空間。北海道独特だが従来は建築的に解釈されてこなかった風除室を、日本の伝統的な縁側空間や西洋の回廊にも通じる緩衝空間とみなし、主題化したと説く。
「彼方」ではなく「足元」から見出された主題はシンプルで、展開可能な強さをもつものだ。「緩衝空間」の主題は、拡散光や素材の在り方、新しいワンルームの探求といった着想を巻き込みながら、「ミラーサイトハウス」、「矩形の森」(2000)、「登呂土佐U邸」(2001)に延長していく。
「風の輪」(2003)では、「凍結深度」という新たな主題が発見された。寒冷地では、冬場に地表から一定の深さまで凍結してしまうため、それぞれの地域で「凍結深度」が規定されている。基礎を必ずこの深さだけは掘らなければならない。通常だと、これは床下にしたり、埋め戻したりしてしまう。だが、五十嵐淳は、必ず掘らなければいけないこの部分を利用して、床を地下に埋め、さまざまな居場所をもつ多様な空間を必然的に生み出すことを考えた。「北海道というのはある意味、建築をつくる条件としては厳しい場所ではあるけれども、それを多様な建築に結びつく切っ掛けとするならば、もしかすると他の地域より豊かかもしれない」。
「Tea House」(2006)では、凍結深度の生み出す空間性を東屋で実験的に展開した。その際にテーブル状の屋根を支える形態として、「家型」という要素が見出されたという。それは「豊田市逢妻交流館」(2006)でより深く「緩衝空間」と融合した。他方で、「緩衝空間」の主題は「Annex」(2005)で「分厚い壁」に変奏された。環境工学的、あるいは木材加工技術の優秀さという北海道の地域構法的な発見を得て、「原野の回廊」(2006)や「光の矩形」(2007)における縦方向の空間の変化、「相間の谷」(2008)における熱環境と光のコントロールとの統合へと続いていく。
北海道の地を遠く離れて、「Ordos 100」(2008)を設計した時、彼は世界との距離感を感じたと話す。他の多くの建築家が、同様の住宅地にアイコニックな建築をデザインしているのに対して、自分だけが熱と光の条件から導き出された矩形のものであったと。
こうして五十嵐淳は、どこであっても環境の拠り所を建築の拠り所にすることができるという確信を告げる。自らの「足元」から出発することで、「彼方」からのアイコンは建築に必要ない、と言うまでに至ったのである。
このように五十嵐淳の話を聞いて印象的なのは、その〈科学的〉な性格だ。思考は追跡可能であり、実験は検証可能である。だからこそ、冒頭で述べたように「時系列で説明しないとプロセスや思考を辿れない」。それは事前に明らかな一直線の流れではなく、与えられた一つひとつの土地に寄り添いながら、蛇行し、合流し、やがて大河に至るような静かなダイナミズムである。
最後の「House M」の解説は、まるで〈大切なことはすべて専門学校で学んだ〉と言わんばかりで、微笑んでしまった。環境のこと、材料のこと、歴史的なこと、すべて教科書に載っているような基礎的な知識を展開して、今までにない建築が生まれている。五十嵐淳は、強い自己や外在的な理念を鍛えることで、この場に立っているのではない。いわゆるアカデミックな建築教育の場に身を置かず、人口6,000人を切る北海道佐呂間町に本拠を置いても、建築はこれだけ豊かなものになることを教えてくれる。そうした意味で「非中心」などではまるでない、教育的と言っていい講演だった。アウトローでないヒーローの誕生である。
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もちろん、こうしたことは、ただ与えられた一作一作を「誠実」につくれば到達するというものではないだろう。
五十嵐淳にも「足元」と「彼方」がある。「彼方」からやって来るのではない。「足元」から「彼方」を目指すのである。
五十嵐淳における「彼方」は、作品における「光」とタイトルの2つに端的に現れているのではないか。目指されるべき光の状態は、科学的な説明を拒んでいる。土地の前提条件からは説明できない樹脂素材に対する偏愛も、その光に関連しているだろう。詩的な作品名も、同様に検証不可能であって、それは設計の途中にはまだ言葉になっていなかった状態が、最後に明確化されたものと想像する。これらは、やって来るものではないが、だからこそ、目指されるべきものである。最終的には作品にほぼ一体化して、その質を高めている。それについて直接は物言わぬからこそ、浮かび上がってくる。
もちろん、ここで私があえて「彼方」という言葉を使っていることには、五十嵐淳が北海道や出自といった「足元」に根差しながら、それ以外に対する意識や憧憬ももち続けているだろうという推察が含まれている。
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「足元」の大地に根差しながら、手の内の科学を武器に一人立ち、視線ははるか「彼方」を目指す。ここまでの考察をまとめれば、これも「北海道性」と言えなくもない。それは五十嵐淳という建築家を通して初めて発現したものである。そして、そのような建築の探求は本来的には誰にも、どこでも可能な現代であって、彼は例外的なヒーローでは無いのだ。
倉方俊輔 Shunsuke Kurakata
1971年
東京都生まれ
1994年
早稲田大学理工学部建築学科卒業
1996年
早稲田大学大学院理工学研究科修了
1999年
早稲田大学大学院理工学研究科博士後期課程 満期退学
2003~06年
日本学術振興会特別研究員(PD)
2004年
博士(工学)
2010~11年
西日本工業大学デザイン学部建築学科 准教授
2011年~
大阪市立大学大学院理工学研究科都市系専攻 准教授
主な受賞歴
2006年
日本現代藝術奨励賞
2006年
稲門建築会特別功労賞
2011年
読者と選ぶ「建築と社会」賞
五十嵐淳/状態の構築
著者=五十嵐淳
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