「建築は、その立体性、比寸法、そして周辺環境との間の対話にこそ成立する。形態は結果なのだ。」——’I think the architecture is the dialogue between volumes, scale, landscapes, so the figure is only the consequence.’——とリスボンでの建築トリエンナーレ(後述)の帰途、事務所の好意により機会を与えてもらったインタビューでアルヴァロ・シザ氏は、建築空間に対しての質問に答えて言った。
その言葉を思い起こしつつ、帰国翌日に展覧会場を訪れた。会場コンセプトとして発表されている三つの空間による構成と、「建築的プロムナード」というキーワード。シザ氏のイメージは、われわれ日本の建築関係者には馴染み深いあの空間に再び輝きをもたらすことができるのか。
結論から言えば、「訪れるべし、そして感じ取るべし」という言葉になる。
常にシザ建築についてまわるジレンマは、その特質が「建築そのもの」以外の媒体によっては伝わらないという点ではないかと考えている。特に複雑な方法を使っているわけではない。(ちょっとしたトリックはあるが。)まさにボリュームとスケールによって空間を捏ね上げることだけで、これだけ豊かな体験を引き出すという点が、プラン、セクション、写真、模型だけで十全に伝わるとは思えないのだ。事実、私自身も現地を訪れるまで、ある種のユニバーサルな系列に属する、白く結晶的な彫塑的な空間として予想していた。しかしそれは間違いだった。
現地に立つと、言葉を費やし、分析的に解釈するよりも先に、その空間と自分の身体が相互に対話を始めてしまうのを感じ、これはとんでもない空間だとびっくりしたものだった。単なる壁や床、天井、そしてそれらが形作る光、音、空気が空間を歩いていく中で常に作用し続ける体験は、建築がこれほど濃密な体験空間を形作ることができるということを示してくれていた。2002年と今回、現地を訪れることで見出されたように思うのは、シザ氏の空間は「人がそこに立つことで」完成するということだ。対象と観察者が分離されている通常の観察行為の境界面が、その最上の空間においては融通可能なものとして溶解し、空間が身体に接続してしまう。大げさな言い方をすると建築空間を通して世界につながってしまう、世界内存在的な空間体験を与えてくれる。 |