Architecture of Alvaro Siza Public and Private Architecture in Different Contexts
2007 6.2-2007 7.28
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建築と人間――シザ氏への小インタビュー
レポーター:新堀 学
 
レポート前編で触れたように今回ポルトを訪れることができたのは、ギャラリー・間のアルヴァロ・シザ展と前後して2007年の5月31日から7月31日までポルトガルで開催される「第一回リスボン建築トリエンナーレ」に日本チームの一員として参加、現地リスボンに一週間ほど滞在することになったためだ。 今回われわれが参加したのは各国参加展示であり、テーマは「アーバン・ヴォイド」であった。参加国はアイルランド、オランダ、カナダ、スペイン、スロベニア、中国、チリ、ドイツ、日本、フランス、メキシコ、モザンビークの12カ国である。その与えられたテーマに対し、日本チームは建築評論家の五十嵐太郎氏のキュレーションによって4パートからなるプログラムを出展した。
日本のブースが異彩を放っていたのは、他の国が既存のプロジェクトのヴォイド的解釈を施した一般的な建築展の文脈の中での展示であったのに対して、ほぼすべてこの展示のためのオリジナルワークだったところだろう。

彦坂尚嘉+新堀 学チームの「インペリアル・パレス・ミュージアム」は「芸術国家」というテーゼをテーマに、東京最大のヴォイドとしての江戸城跡に焦点をあて、そのヴォイドをさらに推し進めていくとどうなるかという思考実験である。
建築家 北川啓介と名古屋建築会議(NAC)らによる「パラサイト・あーきてくちゃ」は都市のさまざまな空間だけでなく時間や制度も含めた隙間を掘り起こして活用する活動提案である。
建築家 南 泰裕+国士舘大学南研究室チームによる「ホリゾンタル・スカイスクレーパ」は、東京のリサーチに基づいて、大都市の中にコンパクトシティを形成するプロジェクトである。
AIJフォーラム・ジャパンチームによる「若手建築家+写真家による東京」は、若手建築家の東京エリアの実作をほぼ同年代の写真家が切り取ることで、「東京」の今を表現する。これらの展示物を観客に伝えるためにデザイン・ユニット ミリメータのデザインでわれわれはタブロイド・ペーパーを用意した。これには、折れ線が印刷されており、折り紙のカブトを作ることができるようになっている。体験的に日本を伝える媒体なのだ。

会場はリスボン博覧会で建設されたシザ設計のパビリオンである。そのゆったりとした内外の空間が印象に残った。きっちりとした輪郭を持ちつつ、連続していく中の空間、また静謐な光を導き入れる中庭、そしてなにより海と街をつなぎ、人々を迎え入れる大きなキャノピー。また海沿いのギャラリーには常に人がたたずみ海を眺めていたのが印象的であった。このキャノピーの下にオープニングには1000人を超える人々がこの建築展のために集まった。
設営完了の打ち上げで北川チームはこの大キャノピーに映像を映し、われわれも地元のスタッフも地面に寝そべりながら嵐のような準備の日々を振り返っていた。このパビリオンにはこのように人を「参加」させ繋ぐ空気がある。人を包み込み、その活動をどっしりと支える、母性と父性とを併せ持った建築だった。
シザのパビリオン外観
日本チームブース全景
日本チームブース(インペリアル・パレス・ミュージアム)
 
キャノピー下のオープニング
キャノピーに投影された「パラサイト・シネマ」
トリエンナーレ内観
タブロイド・カブト
シザ事務所 外観
シザ事務所 内観
シザ氏(左)へのインタビュー風景、中央奥より五十嵐氏、新堀氏、南氏

© Keisuke Kitagawa
シザ事務所へは6月1日の昼に訪問して、シザ氏にインタビューを行う約束であった。一応の承諾を手にしつつも、正直、多忙に世界中で仕事をされている氏に本当に会えるのか、明日ポルトに発つという前日、トリエンナーレ展のオープニング・パーティーの熱気の中でも不安と期待とが交錯していた。翌日、早朝の特急列車でポルトへ向かい、ホテルから事務所へ移動、日本人スタッフの上野 敦氏にご案内いただいた。ドウロ川を見晴らす敷地に、その眺望を考えて建てられたシザ事務所の建物には、ほかにもソウト・デ・モウラの事務所が入っており、少しだけ見学を許してもらった。
約束の時間になり、天井のすっきりした明るい事務所で、現場から戻ってくるシザ氏を待つ。リスボントリエンナーレ・チームの五十嵐氏、南氏、北川氏が同席し、四人がいくつかの質問を行い、新堀がとりまとめをすることになった。
以下簡単に一問一答を記しておく。(文責:新堀)

新堀: 私は2002年にポルトガルを訪れて、あなたの建築を初めて見たとき、その建築がすばらしく練り上げられたものであったことに驚きました。形態というよりも、むしろ空間そのものを実体としてデザインしているのではないかと感じたのです。
シザ:   そうですね。私は空間こそが大切なものだと考えています。建築は、その立体性、比寸法、そして周辺環境との間の対話にこそ成立するのです。形態は結果なのです。重要なのは、人々がその建築をどのように使うのか、どのように建築は人々に受け入れられるかなのです。そしてまた建築を体験することに関していえば、そのシークエンスも重要です。映画のように。体験そのものがデザインの目指すところなのです。
新堀:   建築家としてお聞きするのですが、あなたがデザインを「これでよし。終わった。」と感じるのはいつでしょうか。スケッチに終わりがないように、本来建築のデザインもそれ自体で完結することはないのではないでしょうか。しかしながら、どこかでスタディは終わり、デザインは現場へと向かわねばなりません。
シザ:   そうですね。まず、デザインの仕事は常に「誰かのため」のものなのです。だから、仕事の結末は他の人によって決められるのです(笑)。いや、それは冗談ですが。ところでデザインの終わりが建築を完結させるわけではありません。建築という事象は、デザインが始まる前から存在しているのです。そして建築家の手を離れたからといって完成するのでもなく、人々がその建築を使うのをやめるまで続くのです。デザインという過程は、建築の一生の一部に過ぎません。建築家は自らの仕事がより大きなプロセスの一部であることを考えねばなりません。
五十嵐:   あなたにもっとも影響を与えた歴史的な建築物は何でしょうか。
シザ:   先行する私が見たもの、知りえたものほとんどすべての建築物において、評価すべき断片があり、それら全てが私の糧になっています(笑)。ところで、現在の建築教育は、データに頼りすぎているような気がします。デザインが比較表を作ることであるかのように考えられている。しかし、建築家にとってたとえば古い村を訪れることは、いまだもって重要だと思います。私が東京を訪れたときも、大きな表通りから角を入って小さな家々の並ぶ路地にさまよいこむことがとても楽しかった。
歴史上の建築についてですが、やはりミケランジェロのラウレンツィアーノの階段は非常にすばらしいと思います。また、近代の傑作については、フランク・ロイド・ライトは非常に重要な建築家です。彼の作品を実際に訪れたとき、写真には写らない空間の密度に印象付けられました。また、もちろん、ミース、コルビュジエ、そして、アアルトの作品(M.I.T.の寮など)は重要です。
南:   コルビュジエの作品の中で、あなたにとっての重要なものはなんでしょうか。
シザ:   私はまだ訪れる機会がないのですが、シャンディガールは非常に重要な作品だと思います。これは「人々と共にあること」が軸となったプロジェクトです。時間が刻み込まれるような粗いコンクリートは、同時にかの地の人々が自ら作り出すことの「できる」素材でもあります。このプロジェクトはそういった点において人々の側に立っているのです。そういう点が私にとっては非常に重要に思われます。
北川:   モダニズム以降のたとえば、ポストモダニズムやデコントラクティヴィズムなどの建築の潮流についてあなたはどう考えているのでしょうか。
シザ:   それらは、人類が進歩し続けているということです。それは建築だけのことではなく全ての人類の活動について言えることです。モダニズムの最良の日々は30年代から40年代にありました。そしてポストモダニズムがやって来て去っていきました。そしてその後、われわれはモダニズムと同じようなデザインをレイト・モダンと呼んでいます。しかしながら、そういった呼び方は呼び方として、建築は建築であると私は思います。

途中ユーモアを交えながら終始なごやかにインタビューは進み、最後にリスボンの展覧会にわれわれが出展した内容を説明した。カブトに折ったタブロイドを手渡し、これは日本の侍がかぶるものを模したものだと説明すると、自らかぶって「Revolution!」と声を上げて笑った姿を見せてくれたのだ。

言葉の壁を越えて、建築に対する想いを語ってくれたシザ氏の真摯な言葉と、人間的な思想に触れることが出来たことはわれわれにとっても本当にすばらしい体験であった。前編で述べた空間の質が生まれ出づる根源の確かさが確認できたように思われる。
この貴重な機会を与えてくれたシザ氏、シザ事務所の方々、そして上野 敦氏のご尽力に感謝し、本稿を終えることにしたい。

インタビューに答えるシザ氏

© Keisuke Kitagawa
左3番目が北川氏、続いて上野氏

© Taro Igarashi
トリエンナーレ兜をかぶるシザ氏

© Keisuke Kitagawa
「Revolution!」

© Keisuke Kitagawa





写真 © Manabu Syubori(5点除く)


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