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佐々木睦朗展 FLUX STRUCTURE
MUTSURO SASAKI FLUX STRUCTURE
2005 6.01 - 2005 7.30
 
空間術講座19   『建築と構造のディスクール』 佐々木展 空間術講座 ポスター
「建築家とのフィードバック作業を通して、詩的な建築のイメージと理性的な構造システムとの間に緊張を伴った均衡が成立したときに、はじめて両者は合意に到達する。この合意は信頼関係と相互理解に基づく共同作業から生まれるもので、技術家と芸術家の要望を同時に満たす解決方法が見出せたときであり、計画段階で最も緊張感のある局面である。」

佐々木睦朗
 
構造家 佐々木睦朗氏は1980年に独立した後、建築家とコラボレーションしながら構造とデザインとを結びつけた数々の建築を実現してきました。空間術講座19「建築と構造のディスクール」では佐々木氏が自身の構造設計の理論と実践を講じる第1部を軸に、特に新しい試みが見られる3組の建築家との対話を第2部として、最新のプロジェクトを中心に建築/構造の発想の原点や挑戦、合意に至るまでのキャッチボールなどをリアルに伝えていただきます。
空間術講座19 第1回「ゆるやかな構築性について」 ゲスト講師=伊東豊雄
レポーター:ヨコミゾマコト  
マスター・佐々木睦朗
自由曲面シェルに関する理論と実践を語る佐々木睦朗さんには“マスター”という称号が相応しい。ロールプレイングゲームのキャラクターのように聞こえるかもしれないが、事象を意のままに自由に操る秘術を手にした剛健・賢能な人物である。通常、自由というとき、「ある制約条件のもとでの自由」というべきである。しかしその制約条件さえも操作可能にしてしまったとき、真の意味で自由という言葉を使って良いだろう。
2005年6月8日夕方、サッカーW杯日本対北朝鮮の実況中継を待つ国立競技場に隣接した津田ホールの外にも講座への入場を待つ人々で長蛇の列ができていた。空間術講座19「建築と構造のディスクール」に、今回は伊東豊雄さんを迎え「ゆるやかな構築性について」と題し、佐々木さんの基調講演、それを受けての伊東さんの講演および対談という2本立てでプログラムは進行した。
佐々木さんの講演を聞き始めてほどなく“マスター”の予感を感じた。講演が終わったとき、予感は確信に変わった。伊東さんのもとで「せんだいメディアテーク」を担当し、佐々木さんと接していた当時、そんなことを感じたことはなかった。それゆえに講演を通じてぼくの関心は、「せんだい以降、佐々木さんに何が起きたのか?」にあった。せんだいの設計がスタートしたのは1996年だから、まもなく10年経つことになる。その約10年間にコンピュータの処理速度が飛躍的に向上したことが、佐々木さんのマスターへの道の背景にあることは確かである。また、大学の研究室という環境も不可欠であったかもしれない。しかし、それだけではないはずだ。佐々木さんの思考の幅は力学的根拠を求めるだけの構造力学の領域をはるかに越え、哲学的あるいは美学的な領域に達している。また自己組織化に関する生物学への関心は、神に代わる創造主たらんとする崇高ささえ感じる。この10年間に佐々木さんをそこまでオーバードライブさせたのは何なのか? 伊東さん、SANAA、磯崎さんとの共同作業がそうさせたのか? 今回の一連の空間術講座は、そのことを確認するためにあるといってよい。

ゆるさ
 「せんだいメディアテークからの遺産」と題する構造論は極めて興味深かった。近代と脱近代、分析と統合、イメージとリアリティー、物質性と非物質性、合理と非合理、論理性と恣意性、制約と自由、厳密性と融通性、単純・明快性と複雑・曖昧性……。佐々木さんが示したこれらのキーワードは、まさしく今、ぼく自身が抱えている課題でもあったからである。列挙された相反する概念についての佐々木さんの意図は、AかBかそのどちらを選択すべきか?ということではない。Aであると同時にBでもある。つまりAとBとをあわせ持つ、あるいはAでもないBでもないものを求めようということなのである。例えば、合理性と非合理性をあわせ持つもの。その姿かたちを想像しただけでワクワクしてくるのはぼくだけだろうか? 考えてみよう! われわれ人間の存在を含めて自然界にあるものすべてが合理性と非合理性を同時に抱えてはいないか? そこには、必ず、理屈では割り切れない何かがある。実は、伊東さんと佐々木さんをつなげているものは、この理屈では割り切れない部分ではないかと思う。今回の「ゆるやかな構築性」というテーマに沿って言葉を選べば、「ゆるやかさ」「ゆるさ」と言えよう。また別の言葉でいえば、「いい加減さ」である。「いい加減」というのは、「テキトーである」という意味ではなく、「ほどよい」という意味である。すべての事象に対して最適であるなんてことはあり得ない。ほぼ大丈夫だろうと思われる状態に漸近線的に近づければそれで良いのだ、と佐々木さんはいう。ほどよければそれで十分ではないかと。事象を単純化し平均化し、画一的に捉えようとした近代に決別し、曖昧さと非厳密性を認め、複雑さを複雑なままに捉えようと試みるとき、できてくるものは自然(クリーチャ)に近づく。それこそが今、我々が求めるモノではないかと知らされる。

 
佐々木睦朗氏
伊東豊雄氏
 
美しさ
講演会では、佐々木さんのお話が非常にスマートで構築的であったがゆえに、非線形構造解析の初期値を与え、逆解析を繰り返すうちに自動的に形態が発生し決定されていく、その一連の流れに魅せられてしまった聴衆も多いと思う。しかし誤解してはならない。「ゆるさ」だけではモノを創れないのである。「ゆるさ」は、デザインの可能性を最大限に残す柔軟な構造計画をわれわれにもたらしてくれたまでだ。形態の最終決定にはもう一つ別の何かが必要なはずだ、と感じながら佐々木さんの言葉を追っていた。それが何であるかは講演会の終わりまでには、はっきりと見えてきた。「美しさ」である。初期値の与え方そのものにも「美しさ」が必要なのだ。正確に言えば「美しくするための読み」が必要なのだ。モデル化や初期値だけではない。逆解析のプロセス全般を通じて、美しいか否か?の判断を常に佐々木さんが行っていることに気づいた。かつてコルビジュエは、空気と風の流れの中にある、航空機の機体がもつ流体力学的合理性こそが美しいといった。佐々木さんは、恣意的でない数理的な形態解析の流れの中にある、力学的合理性を突き抜けてしまった後に残された非合理性こそ美しいというに違いない。
従来であれば建築家は美学的側面を負い、構造家は力学的側面を負えばよかった。しかし佐々木さん以降は、そうはいかない。佐々木さんは建築家以上に美学的領域に攻め込んでくる。研ぎ澄まされた剣先で、まるでフェンシングの試合のように。だから佐々木さんと面白い試合の出来る建築家は限られてくる。試合の最中は、どちらが建築家でどちらが構造家なのか、その関係も曖昧で「ゆるい」もので構わない。というか、その方がよい。そうあるべきだ。できあがってくるものも、どこまでが構造要素でどこまでが非構造要素なのかも区分しがたい。それは、従来の建築と構造の階層性や形式性へのこだわりを捨てたもののみが手にできるものなのである。
伊東さんからSANAAへの連続性には違和感を覚えることはないだろう。しかし、建築の形式性に強くこだわっていらっしゃった磯崎さんが、佐々木さんと出会うことでどう変わったのか、あるいは変わっていないのか? それを確かめることは、今回の空間術講座の裏テーマかもしれない。

(2005.6.8 津田ホールで開催)

空間術講座19 第2回「身体性について」 ゲスト講師=SANAA / 妹島和世+西沢立衛
レポーター:佐藤淳  
隠れても見える構造  
大変なこと
佐々木睦朗さんは木村俊彦構造設計事務所の大先輩。SAPSとしても、同じく木村事務所の先輩である池田昌弘さん,久米弘記さんなどツワモノを擁している。
私は木村事務所の一番最後の弟子だから、今回の展覧会のオープニングパーティーなど、先輩たちが大集結していて、なぜか“すみません。”などと言いながら頭を下げっぱなしでした。

素直なこと
この日はSANAAのお2人と、作品の画像を見ながら当時のやりとりを思い出して一緒に話してゆくという、肩の力の抜けた面白い対談形式。妹島さん,西沢さんは素朴な口調で建築を組みたててゆくプロセスを語られ、佐々木さんは、この日は学生が多かったこともあってか、生徒に諭すように丁寧に話されていた。

内容も構造の基本的なことが中心で、構造設計者としては話に少々もの足りない印象もあったが、
・肉厚のBuilt−H形鋼や、ムク材の柱を駆使すること。
・ブレースのガシガシ入った剛強な耐震コアと、鉛直荷重だけを負担する柱とに
 明確に分けること。
といった辺りは佐々木さんの得意技。
・柱脚を固定してやると座屈に強くなること。
・屋根から吊ることによって圧縮が生じないようにすること。
といった具合で、授業で出てきたでしょう、という口調だった。

ペラペラに薄い壁、針のように細い柱。こういったことがごく基本的なことの組み合わせで成立させられることが良く分かったのではないかと思う。
こうして生まれてくる計画は、力の流れがよく分かるものとなっていて、堅実で正統派なところが好印象を受ける。この考え方は形態解析の手法にも継承されていて、力の流れがよく現れる形態を生み出すものとなっている。

佐々木睦朗氏
左:西沢立衛氏、右:妹島和世氏
SANAAの建築は、構造を露出するものではないが、その空間構成を実現するために壁が薄いこと、柱が細いことに意味があると感じる。構造が最終的に見えてくるのが、ただ平らな壁面だけだとしても、裏方であらゆる手を尽くし、極限まで削ってスレンダーにしてゆく。隠れていても、目に見えるように生きている構造、という印象を受けた。

SANAAの建築の代表的な構造が、
・古河総合公園飲食施設
・アルメラ・スタッドシアター
・トレド美術館ガラスセンター
・金沢21世紀美術館
・バレンシア近代美術館増築
と、一貫して同じ原理の応用で構成されてきたところへ、
・EPFL・ラーニングセンター
において形態解析が加わって、この先これを応用してどのような建築が生まれてくるのか楽しみに思う。
一方で、佐々木さんがこういう明快な構造を展開しているおかげで、私には、返ってこういう明快さを崩す工夫を求められることが多くなっていて、悩ましいところもある。

大切なこと
今回の前半、佐々木さん単独の講演でほんの一言触れられた、ラーメン構造の歴史的な位置付けと重要性。ラーメンというとごくあたりまえの構造で、なんだラーメンか、と捉える人もいるけれど、柱梁が剛接合にできるようになったのは、歴史的に見ればごく最近のことで、すばらしい技術なのだということ。

単にラーメンと言っても、考え方は様々で、この点だけでも構造設計者の個性が現れるところがおもしろい。佐々木さんのラーメンの作り方は金沢21世紀美術館の耐震コア部分やH形鋼の格子屋根などによく現れていて、細かいピッチの肉厚の柱とH形鋼の格子梁の組み合わせ、さらにブレースもH形鋼にして最小限必要な数だけ入れる、といったラーメンの作り方。これによって厚みの薄いラーメンを成立させている。

私は、ラーメンが柔な構造で、変形能力に優れていることによってエネルギーを吸収するのだというところに魅力を感じていて、なかでもブレースを使わない純ラーメンを好んで計画することが多い。そういったラーメンに対するこだわりもあったので、これは私としては嬉しいお話でした。

(2005.6.22 津田ホールで開催)


空間術講座19 第3回「リダンダンシーについて」 ゲスト講師=磯崎 新
レポーター:難波和彦  
僕の担当は磯崎新さんがゲストである第3回のレポートだが、佐々木さんが3組4人の建築家とどのような対話を展開するのかに興味を持ったので、すべての回に参加した。ここでは全3回の対談を概観しながら、磯崎さんの回にスポットを当ててレポートし、最後にFLUX STRUCTUREの可能性について考えてみたい。

佐々木睦朗氏
磯崎 新氏
第1回 「ゆるやかな構築性について」 ゲスト講師:伊東豊雄

佐々木さんによれば、FLUX STRUCTURE(流動的構造)を追求するきっかけになった建築は「せんだいメディアテーク」である。コンペの際に伊東豊雄さんが描いたイメージ・スケッチはあまりにも有名だが、この建築に限らず、伊東さんの建築のイメージはもともと流動的である。「せんだいメディアテーク」の場合、それは緩やかにうねるチューブに象徴的に表れている。しかし佐々木さんは構造的な面で、直立するチューブとうねるチューブとの決定的な相違を明らかにすることができなかった。つまり伊東さんの流動的なイメージに合理的な根拠を与えることができなかったわけである。FLUX STRUCTUREに向けての佐々木さんの闘いはそこから始まった。
伊東さんの流動的な建築のヴィジョンは、論理やシステムを越えた建築へ向かっている。伊東さんはそれを「言葉を越えた建築」という。一方、佐々木さんは伊東さんのイメージに論理とシステムを与えようとする。それはイメージを現実につなぎ止めるために必要不可欠な作業なのだが、それ以上に佐々木さんにはデザインの構造的根拠を明らかにしようとする構造家としての倫理的な美学がある。その闘いの中から、流動的な建築を合理的に創成するFLUX STRUCTURE、すなわち「ゆるやかな構築性」が生まれた。伊東さんにとって、それは論理やシステムを越えた建築の可能性を示している。しかし佐々木さんにとって、それは1次元ステップアップした論理とシステムにほかならない。このように同一の建築的問題に対して、まったく逆の方向からアプローチしている点において、伊東豊雄×佐々木睦朗は、もっとも意外性のある生産的なコラボレーションとなった。その豊穣な可能性は、伊東さんが紹介するさまざまなプロジェクトに余すところなく現れている。


第2回 「身体性について」 ゲスト講師:SANAA/妹島和世+西沢立衛

SANAAの建築はミース・ファン・デル・ローエの延長上にあると佐々木さんはいう。ただしアメリカ時代の後期ミースではなく、ヨーロッパの時代とりわけバルセロナ・パヴィリオンやチューゲントハット邸の初期ミースである。初期ミースの空間は中心性やヒエラルキーがなく流動的だが、後期ミースの空間は古典的秩序を持ち、結晶のように硬質である。SANAAの建築には初期ミースの単純明快さ、非中心性、流動性をさらに昂進したイメージがある。評論家はそれをスーパーフラットと名づけた。佐々木さんはそのようなSANAAのイメージの可能性を探り出し、先進的な技術によってリアリティを与えようとする。SANAAに対する佐々木さんの役割は、イメージの潜在的可能性を発掘する考古学者のような立場である。初期の協働作品は鉄骨の繊細な分散構造による透明な空間であり、FLUX STRUCTUREというよりもFLUX SPACE(流動的空間)といった方がいい。その後、徐々に線が面へと移行し、最近のEPFLラーニングセンターでは、ついに床と屋根面が立体曲面、すなわちFLUX STRUCTUREへと変容した。しかしその曲面はなだらかで、表現性は最小限に抑えられている。おそらくSANAAがめざしているのはオブジェ性を消去した「場」としての建築、つまり身体的に体験される空間ではないだろうか。対話の中ではタイトルにある「身体性」という言葉は一度も語られなかった。しかしSANAAの建築の特異性は、概念からではなく、彼らの身体から発想されている点にあるように思える。


第3回 「リダンダンシーについて」  ゲスト講師:磯崎新

「リダンダンシー」とは一般には「冗長性」や「余剰性」を意味するが、建築においては構造の安全性に関わる概念として用いられている。リダンダンシーは阪神・淡路大震災や9.11以降に、構造の多重な安全性を意味する言葉として構造家から提唱された。これからの構造物は適切なリダンダンシーを持たねばならないと佐々木さんは主張する。こうした背景の元に、佐々木さんは「最適化とリダンダンシー」という対立概念によってFLUX STRUCTUREの理論を説明した。
FLUX STRUCTUREの曲面形態は、初期条件として与えられた曲面形態から出発し、感度解析によるひずみエネルギーの最小化へと導くことによって生成される。その曲面形態の内部応力を均一にする方向に導いていくと、最終的には、構造的には最適な形態だがリダンダンシーのない形態へと収斂する。FLUX STRUCTUREの自由曲面形態は、初期条件の設定の仕方に応じて、複数の回答へ収斂させることができる。それはリダンダンシーを持った一歩手前の限定された合理化だといってよい。佐々木さんによれば、適切なリダンダンシーを判断する客観的基準を探り出すことはこれからのテーマだが、少なくとも自由曲面によって構成されたFLUX STRUCTUREは、リダンダンシーを持った構造形態であることは確かなのである。
一方、磯崎さんはリダンダンシー概念を歴史的コンテクストから説明しようとする。磯崎さんは9.11の歴史的な位置づけからスタートし、ダニエル・リベスキンドのグラウンド・ゼロ・タワー案やピーター・アイゼンマンのデコン・スタイルを批判し、その上で、たとえばバックミンスター・フラーの理論のような極限的な合理主義理論による最適化の追求がリダンダンシーを浮かび上がらせるという主張を展開した。リダンダンシーの概念はモダニズムの延長上にあるという主張である。他方で磯崎さんは最近の遺伝学や免疫学を参照しながら、目標=マスタープランを掲げ、技術を動員して合理的に目標に到達するという近代的な計画理念に代わって、試行錯誤を通じて部分を積み上げて行く生成的・創発的なモデルを提唱し、それを可能にするのが過剰性=リダンダンシーであると主張した。生物科学の新しい展開が新しい計画モデルをもたらしたというわけだが、僕の考えでは、こうした磯崎さんの主張においては、最適化とリダンダンシーは対立概念というより、むしろ相補的な概念というべきだろう。磯崎さんのいう意味での過剰性=リダンダンシーは、合理化の残余として事後的にしか明らかにならないからである。社会や都市は無数の変数を持つので、最適な合理化など本来定義不可能なのである。
リダンダンシーに関連して、僕には磯崎さんにどうしても聞いておきたい疑問があった。リダンダンシーと「大文字の建築」の関係である。講演の後、磯崎さんにこの質問を投げかけてみた。その回答は「関係ないでしょう」だった。確かに「大文字の建築」を西欧に発する建築の形式概念としてとらえれば、リダンダンシーはそこから大きくはみ出した概念である。しかし「大文字の建築」にはもうひとつメタ建築としての意味すなわちconstructionの概念がある。とすれば磯崎さんもいうように「大文字の建築」の追求は最終的に決定不可能性に陥り、リダンダンシーを浮かび上がらせるという解釈が成り立つ。見方を変えれば、リダンダンシーとはdeconstruction概念でもあるのである。

FLUX STRUCTUREの可能性

最後に、3回の対話を通して感じたFLUX STRUCTUREの可能性について考えてみよう。
まず、構造設計の方法に関する可能性である。これまでの方法は、与えられた構造計画を構造解析によって検証し、それが所定の基準をクリアしているかを確認するという手順をとっている。この手順であれば、コンピュータを駆使した現代の解析技術は、自由曲面シェルであっても十分に解析できるレベルに達している。しかしこの手順には構造計画にまでフィードバックする回路はない。当初の構造計画の安全性を確認することはできても力学的根拠を潜在的に保証するものではなく、代替案を示すことはできないのである。これに対しFLUX STRUCTUREは、全面的に構造計画にフィードバックし、コンピュータに形態を決定させようとする。概略的な初期条件は建築家と構造家が設定するが、最終的な形態は構造的合理性(歪みエネルギーの最小化)にもとづいてコンピュータが生成するのである。この方法によれば、構造計画は初期条件の設定に還元されることになるだろう。その時に問われるのは、建築家や構造家の建築的・構造的なセンスであり、いかに多様なオルタナティブを提案できるかという建築的ヴィジョンの豊かさである。
次に、自由曲面シェルの建築表現上の可能性について考えてみよう。初めてFLUX STRUCTUREを見たとき、誰もが奇妙な違和感を抱いたと思う。しかしワルター・ベンヤミンが『複製技術時代の芸術』でいったように、建築とは「慣れの芸術」である。僕が3回の講座すべてに参加したのは、自分の眼をFLUX STRUCTUREに慣れさせるためだった。その結果はっきり分かったことがひとつある。FLUX STRUCTUREには建築の原型を揺るがす可能性があるということである。建築理論家のジョセフ・リクワートは『アダムの家』の中で、建築には2つの原型があるといっている。「見出された洞窟」と「つくられたテント」である。前者は大地への回帰願望の表れであり、後者は大地からの飛翔願望の表れである。FLUX STRUCTUREは両者を合体させる可能性をもっている。それはつくられた洞窟であり、見出されたテントである。その意味では、今のところSANAAのEPFLラーニングセンターがFLUX STRUCTUREの潜在的な可能性を最も引き出しているといえるかもしれない。
最後に残されたのはFLUX STRUCTUREをいかに現実化するか、つまり施工の問題である。FLUX STRUCTUREの最大の問題点は、構造設計における先進性と施工方法における後進性の併存にある。FLUX STRUCTUREに対しては、視覚的な違和感よりも方法上の違和感の方が大きいかもしれない。この問題について佐々木さんは、現状が過渡的な段階であることを認めている。伊東さんはアイランドシティの公園施設の施工において、型枠工や配筋工がパソコンを片手に工事に携わっていることを報告し、新しい職人像の誕生を期待すると主張した。しかしそれはあくまで過渡的な施工法のように思える。僕の考えでは、FLUX STRUCTUREがコンピュータを駆使したデジタル(離散的)な方法によって生み出されたように、施工においてもデジタルな方法が追求されるべきだと思う。佐々木さんは、FLUX STRUCTUREの生成モデルは植物の成長プロセスにあるという。だとするなら施工方法も鉄筋コンクリートのようなアナログ構法ではなく、部品化・工業化された構造部材による離散的な構法に向かうべきではないだろうか。その時の最大のテーマは、構造部材そのものよりも、それらを相互につなぎ自由曲面を構成するフレキシブルな接合部のデザインである。

(2005.7.2 津田ホールで開催)


会場
  津田ホール
東京都渋谷区千駄ヶ谷1-18-24

アクセス  マップ
JR「千駄ヶ谷」駅、都営地下鉄大江戸線「国立競技場」駅 A4番出口 徒歩3分

*TOTO通信春号をご購読の皆さまへ
会場は津田ホールになりましたのでご注意ください。
講師
  佐々木睦朗
   
プログラム
第1回 ゲスト講師:伊東豊雄
2005年6月8日(水)18:00開場 18:30開演
第2回 ゲスト講師:SANAA / 妹島和世+西沢立衛
2005年6月22日(水)18:00開場 18:30開演
第3回 ゲスト講師:磯崎 新
2005年7月2日(土)18:00開場 18:30開演
プログラムはやむを得ない事情により変更することがあります。
最新情報はWEBサイトでご確認ください。
 
参加方法
当日会場先着順受付

定員=各回490名
受講料=各回500円
   
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