今、アジア、とりわけ、東アジアは溶解し、共鳴しあっている。それは経済だけではない。音楽はもう20年も前から国境を越え、映画も、アニメも、受け手にも作り手にも、もはや国境はない。建築も21世紀に入った途端、東アジアですとんと国境が消えた。国家を代表する腰の重い建築家はもう必要ない。インターネットで情報を瞬時にとりかわし、シャトル便で、東京−ソウル−北京−上海−台北—香港を疾駆する。
2000年以上の歴史をもつこの地域の建築世界が、今、やっとひとつになろうとしている。ソウルの承孝相、北京の張永和、二人の建築家の共通する点は、いま出現しつつある東アジア建築世界を代表する最も活きのよい建築家なのだ。そんな身軽さ、国境を越える個人技、それぞれの体内に流れる長い建築の歴史。二人は大阪で出会い、北京やソウルでコラボレーションし、今、東京で再び邂逅する。
背負っている歴史、建築の表現、変化する世界への対処の手法に違いはあるものの、加速度的に変化するソウルや北京の相貌に建築的、都市的な操作を加える姿は似通っている。中国という巨大建築マーケット、急スピードで増殖する情報インフラ、大量の建築家の熱血卵たち、しかし、未熟練労働者の大群、施工なき施工状況、建材流通の未整備、世界中からの参入者たちとの大競争など、それにひるみがちな日本人建築家を尻目に、東アジアの建築界を二人は先頭切って拓いていく。
ちょうど100年前、岡倉天心は「アジアはひとつ」と言った。甘酸っぱいロマンチシズムに満ち満ちたこの言葉に辟易している場合ではない。本当に、東アジアの建築界はひとつになりつつあるのだから。その中で、どう建築し、どう振る舞うべきなのか。2004年春、東アジアのもうひとつの中心東京で、二人は私たちに初めての「東アジア建築人」としてのモデルを示してくれる。
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