特集/座談会

アイコンか、慣習か、はたまたハイブリッドか

——みなさんの家型の使い方は同じではなく、少し異なる傾向があると思いますが、その点はいかがでしょうか。

藤村 私なりに、過去の作品を見る限り、吉村さんはアイコン操作、私は慣習操作、島田さんはその中間のハイブリッドだといえるのではないでしょうか。私がどのように慣習を操作した家型の用い方をしているかといいますと、たとえば、「家の家」では、梁や柱が横断する場所に窓を配置することで、一見すると慣習的に思える家型ですが、窓の位置は非慣習的なものになるようにしています。慣習をずらす操作です。こうすることで、施主や近隣住民としては、家型をすんなり受け入れられるし、建築家としても新しい形式に挑戦することができる、というやり方です。慣習を操作する意識は勾配にも現れています。アイコンを意識すると、明快な矩勾配になることが多いのですが、慣習を操作するうえでは、ときに3.5寸や6寸、4.5寸などの勾配を扱います。ロバート・ヴェンチューリやホワイト&グレイのグレイ派に影響を受けると、こういう建築の見方を重要視します。その点、島田さんの「石切の住居」を見ると、矩勾配や田の字の窓を使うなど、アイコンを意識した傾向が見える一方で、家型を浮かすなど、慣習から離れようと操作しているようにも見えますが、いかがですか。
島田 そうですね。家型を慣習的に扱っていますし、アイコンにもしようとしています。ただ、矩勾配にしているのは、アイコン化のためというよりは、急な勾配にすれば、棟の高さに対して、壁面の高さが低くなり、室内が人間にとって親密な寸法になると考えたからです。僕は、いつも聖と俗の中間をいきたいと思っています。
吉村 僕が設計した「Nowhere but Sajima」(09)では、家型の穴があり、その形に機能的な意味は何もありませんから、家型記号です。「中川政七商店新社屋」(10)でも、大きな建物にもかかわらず周辺の住宅の形状を引用したつくり方をしましたので、家型をアイコンとして操作していると言われると、そういう側面もあるかとは思います。ただ、単なる引用ではなく、「中川政七商店新社屋」の場合は、法規などとの組み合わせで勾配を左右に分けて操作することで、街並みのようなものをつくろうとしていますし、「Nowhere but Sajima」の場合もさまざまな形状の組み合わせで意味をもたせようとしているので、ひとつの家型という形状に意味を過剰に期待しているわけではありません。アイコン単体だと限界はありますが、アイコン同士の配列関係には、まだ可能性はあると思っているのです。形状と形状の関係とか、形状がくずれることによって、元の形状の意味を浮き彫りにさせる効果とか。
藤村 吉村さんの設計方法は、パラメトリックな手法ですよね。アトリエ・ワンが、「ハウス・アサマ」(01)で二重の入れ子の距離を、内部の各室の大きさを変えることで決め、結果として変わる勾配を操作することで、屋根形状が慣習的にならないように気をつけていたことを思い出します。ただ、最近は「コモナリティーズ」と言っているように、人々のなかにある慣習を尊重する考え方にシフトされました。
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