
- 吉村 建築にとって、家型は「結晶」みたいなものかと思います。自然界では、物質を適切な状態に保つと結晶化していきますが、家型も建築生産のなかでの自然な結晶化の結果なのではないかと思います。だから、家型はプリミティブな建築言語であって、それほど意識することなく用いられているのではないでしょうか。先日、ホームページをつくるために、自分の作品を整理していたら、僕は家型とトンネルのどちらかしかやっていないことがわかった(笑)。コンテナを用いたプロジェクトもやっていますが、それはトンネル。方形屋根などの例外を除けば、建築には長辺と短辺ができて細長い形状になるから、トンネルも建築の原型だと思っています。そのトンネルに屋根をのせた家型が、最もプリミティブな家の形ではないでしょうか。
- 島田 今オーストラリアで仕事をしていて、クイーンズランド州の木造住宅群を見てきました。そこには木造住宅の屋根構造のタイプが5種類くらいに淘汰されていて、そこにも家型がありました。ただ、結局、方形屋根が生き残っていっているように見えます。家型は妻側の水の処理が難しいですよね。自分で寄棟や方形を使ってみると、軒の出しやすさとか、合理性がよくわかります。ただ、寄棟だと逆に屋根のつくり方が少し複雑になるから、結局はプリミティブな切妻が使われる気持ちもわかる。さまざまな屋根形状ができながら、ひとつにまとまることなく、どれも生き残っている建築史は、設計をしてみると、まるで追体験するようによくわかりますよ。
- 吉村 こういう話をしていると、建築家の住宅が原理に忠実と聞こえますが、軒に関しては疑問符が潜んでいるかもしれません。建築家が設計する家型には、ほとんど軒がない。軒がない建築は原理に忠実とは言いづらいですよね。ヨーロッパ、アジア、アメリカなど、それぞれの地域で気候に合った構法がありますが、雨の多い日本では、本来、軒がなければならないはずです。建築家が家型を強調しようと軒をなくしたデザインをしているのは、欺瞞かもしれません。
- 島田 ただ、限られたコストで設計をしているときには、十分な軒の出を確保しようとして、垂木を延ばしてまで、軒を出すのがよいのかどうかは考えてしまいます。「六甲の住居」では軒を出しましたが、垂木を用いずに、屋根材の波板だけで保持しようとしたので、300㎜ほどが限界でした。もっと軒を出した案も考えていましたが、あまり軒を出すと、慣習的な普通の家になりすぎてしまい、そのあたりの判断は難しかったですね。
- 藤村 せっかく人々の心情に触れる家型を用いるのだから、慣習的なものをつくらなくてはいけませんが、慣習的すぎると、建築家が設計する住宅として、あまりに批評性がなくなってしまうのでしょうね。
- 吉村 雨をしのぐ性能は当然として、最近は、耐候性のある外壁がいろいろと普及していますから、壁面の汚れはそれほど気にしなくてもよいかもしれません。そうすると、軒や庇の必要性は日射制御にあるわけですが、最近は小さい窓が使われることが多いですから、日射の面でも軒はそれほど必要とされなくなってきているといえるでしょうか。

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