特集/座談会

家型の先達

——藤村さんは東工大の系譜のなかで設計を考えられているようですが、みなさんは家型を用いるきっかけとして、何かを参照しているのでしょうか。

藤村 とくに何も参照していません。なんとなく使いはじめました。「家型」という言葉が定着しているとは知らず、最初は「小屋型」と呼んでいたくらいです。後から、坂本先生が家型を研究されていることも知りました。ちなみに、先日、坂本先生のインタビュー記事を読んでいたら、家型には意味がまとわりついて重たいので、もっと即物的に設計したい、と書かれていて、自分も同じような思考の轍を踏んでいると思いました。坂本先生に同感で、やはり家型は意味が強く、重苦しいですね。家型は技術的なことにも、周囲のコンテクストに応えることにも、かなり簡単に解決できる力がありますから、便利すぎるので、あえて封印して、別なことに挑戦したい、という思いもあります。
吉村 僕は、家型を用いるMVRDVの出身です。MVRDVは、“What you see is what you get.”を標榜して、象徴的な意味を形態の背後に求めることを嫌っていました。だから、家型という形態そのものを課題ととらえ探求することはありませんでしたが、そこで学んだものは大きいと思います。また、先ほどのパラメトリックな設計の考え方は、MVRDVで染みついたものです。ただ、今はそこから離れつつあるとは思っています。
藤村 最初に言ったとおり、私は坂本先生の家型の考え方に影響を受けていますが、坂本先生が家型を用いはじめた頃とは時代の状況が違います。当時は、近代建築としてコンクリートの箱が普及する一方で、慣習的なものが依然と根強く残っている時代でした。その慣習を無視せず、コンクリートの箱に対するカウンターとして、ヴェンチューリを参照しながら慣習を利用したのが、坂本先生が家型を使う経緯だったかと思います。
島田 その後、坂本先生が家型からの解放を求めたように、慣習との距離は近づいたり、遠のいたり、人それぞれに振幅があるのでしょうね。設計者は、そうした振幅のなかにつねにいるということでしょうか。
藤村 そうですね。先ほどのとおり、塚本先生も、30代の頃は慣習的なものを避けていましたが、今はむしろどんどん近づいています。坂本先生のように家型からスタートして、それをどんどんくずしていく方もいらっしゃいます。私としては、いろいろ試行錯誤したあげく、一度保守的なところに戻ろうとして、「家の家」を家型として設計しました。
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