とはいえそれ故に現在の中国の若い建築の担い手たちは、日本の学生とは比べものにならない矛盾にぶつかりながら思考実験を繰り返している可能性がある。松原氏とともに参加した2004年のmAAN(modern Asian ArchitectureNetwork)の上海ワークショップの中で出会った学生たちは、総じてそのような傾向があった。当方の地味な保全的計画の方法に参加しつつ、聞けば夜は夜でボスの命令で20階建ての高層ビルの実施図を徹夜で描き上げていたそうである。少なくとも20代の学生は、自らの役割の重要さを十分自覚していた。浮わついたところが全くないのだ。中国にいるということは、意識上も肉体上もやはり極めてスポーツ的であった。
迫慶一郎氏はそんな状況に対し、与条件と自らの投機とを統括するような「主題」をプロジェクトごとに設定し進めるという。本来「主題」といえば制作者の基本姿勢を統括する幾つかの要なのだが、迫氏はそれを軽やかに越えてしまっている。28の作品にはだから28の主題がある。100個の作品にはだから100個の主題ができるのだろう。これは逆に考えてみると、中国におけるスポーツ的設計の方法、特に「日本人」という外人が激流に飲み込まれないための方策を身をもって提示しているともいえる。ここでの「主題」はおそらく浮輪である。今後の結実に期待したいと思った。
松原弘典氏は対称的である。彼は与条件に迅速に対応しながら、変わらない要素を突き止めようと暗中模索で設計をしているとのこと。端的に言えば彼は中国的にフィードバックする激流の中の地下根、いわば抵抗(レジスター)になろうとしている。迫氏に対してより土着的なコミュニケーションの方法を不格好であろうが採用する姿勢にそれは見て取れる。
ディスカッション中、司会の五十嵐太郎氏の問い掛けに対して松原氏が、自らのことを「チンピラ」と述べていたことが印象的だった。おそらくこの言葉は、決して全体を見ることのできない状況に対する実感のこもった、かつ謙虚な自己確認だと思った。中国的フィードバックの中においては、建築家という個人は単なるコマである。しかしそれを認識しているかしていないかで結果は大きく違ってくるだろう。残るべきものしか残らないとは厳しい言葉だ。日本の若い学生にぜひ聞いてもらいたいディスカッションだった。 |