東京という都市を言葉で言い表そうとすると、めまぐるしい速度で変化する街、みたいなフレーズが思い浮かびます。10年前の自分に同じ質問をしても、きっと同じようなフレーズを思い浮かべただろうなと思うと、めまぐるしく変化しているのに、言い表し方は変化しないなんて、情けないなと思います。都心で大きな再開発が次々に起こったり、近所で小さな建て替え工事があったりと、ひとつひとつの変化や更新だったら、自分にもちょっとは実感のこもった伝え方ができる気がします。だけどそれが、「東京」とか、「都市」とか、あるいはもう少し手頃な大きさで「世田谷の住宅地」とかであっても、そこまでの拡がりをもった対象を指して、その変化を実感のこもった自分の言葉で、ちゃんと誰かに言い表すことができるかどうか考えると、とても難しいことに思えます。
アトリエ・ワンの2人がその活動を始めたのは、今からもう15年も前のことになります。講演会は、2人がまだ建築家としての実作をほとんどもたなかった頃に始めた、あの「メイド・イン・トーキョー」のスライドから始められました。そこから2時間、この15年の間にアトリエ・ワンが取り組んできた様々な建築プロジェクトやアートプロジェクトが、交互にマイクを交代しながらぶっ通しで語られていきます。話題が次のプロジェクトに進むたびに私たちは、東京はもとより、行ったことのない都市の現在や、その変化が、鮮やかな感触を伴った実感として、直に語られているような体験を味わうことになります。多分アトリエ・ワンだけに許された、これはひとつのショーなのだと思うほどです。
アトリエ・ワンが、たとえば世田谷区奥沢の住宅街の今について説明を始めます。地価の高騰がもたらす土地の細分化によって、見事な生け垣に囲まれた80坪はあろうかという邸宅が、だいたい三世代を経て25坪程にまで細分化されてゆく様を、2人はカメラに収めていきます。間口がガレージでほぼ占められて、北側斜線制限そのままの片流れ屋根をもった、どこにでもあるような住宅は、2人によって第3世代の典型的なスタイルとして紹介されます。誰もがそのことを理解したところで、同じ奥沢に自分たちで設計した、「ガエ・ハウス」の写真が映し出されるのです。暮らしのシーン一つひとつに意外な角度からスポットライトが当てられたような、驚きと楽しさに満ちたこの住宅は、雑誌で発表されたときから、それだけで固有の住宅作品としての魅力を放っていました。だからといって、住まい手がデザインを押しつけられているような感じはしなくて、建築家がどういう考えでそれを設計したのかさえ、あまり知らなくてもいいと思うくらい、住んでいる夫婦と一体になっているように思えました。この住宅が、講演会では貝島桃代によって語られます。「ガエ・ハウスは、奥沢の住宅地における、第3世代の住宅のひとつです」。 そして控えめに、「アトリエ・ワンはこれを、第4世代の住宅と呼びたい」、と付け加えるのです。ガエ・ハウスは、外観といい、その成り立ち方といい、奥沢を歩いて見つけた「第3世代」の住宅の典型そのものといってよい条件を、ほとんど完全に備えた住宅なのです。しかし、この住宅の外観が住宅地の一角に添える風景、そしてムービーで紹介された、そこでの夫婦の生活の様子は、細分化の進む住宅地の条件から導き出された結果であるようには、到底映りません。住宅がまるで、一個の完結した個性を備えた、自律的な生き物のであるかのように映るのです。そう知った後で改めて見る、東京中に建つ似たような第3世代住宅たちは、今まで聞き取ることのできなかった言葉で、私たちに強く語りかけてくるようになるでしょう。そうした住宅たちが、彼らの言う「第4世代」に置き替わっていく様を、ありありと思い浮かべることだってできます。こうして、たった1軒の住宅作品への、とある設計事務所のつぶさな取り組みが、「変化する都市」のあの声を、はっきりと私たちに伝えるまでになるのです。
ローカルである、つまり、突き詰めると一個人に辿り着くような、一般化しにくい細かな粒に向き合うことから、彼らの思考は始められています。そして、その思考の個性的な巧みさだけを取り出しても、そこには一個の人間がもつ固有性と多様さ、簡単に言うと、人が個性を発揮するのと同じような、いきいきとした表情があります。ガエ・ハウスの例がそうであったように、展覧会場に並べられていた住宅の模型たちを見ることが、どこかしら個性的な似顔絵を眺めるように感じられるのは、彼らのそうした巧みさの確かな現れです。講演会で塚本由晴はさらに、こうした固有性の粒が、それぞれが個別でありながらお互いに影響をもち合いつつ横につながって、やがて全体がゆるくひとつの方向を向いた時、そこに風景が生まれるのだ、と熱心に語ります。豊かな表情をもった個人個人が、お互いの表情に気を配りながらつながりをもって生きている様が、僕の目にも浮かびます。私たちが、未だにその強い影響の下に生きている、均質化を要求する強い強いグローバライゼーションとは逆の方向から、バラバラで固有な粒たちが、少しずつ風景を獲得しながらこちらに向かって広がってくるような、それは本当にわくわくする考え方です。
講演会の最後に、1人の学生が手を挙げて、自分は大学の建築科1年生だが、なにかアドバイスを下さい、と言いました。不意の質問に塚本は、「とにかく仲間と議論せよ」、と答えてから、思い出したようにこう付け加えました。「自分が言っていることとやっていることが、なるべく一致するように努力すること」。アトリエ・ワンの15年間を、彼らと一緒に振り返る2時間は、自分たちの住んでいる世界の変化を理解しようと努め、それを実感のこもった自分の言葉で話そうと試みる2人の建築家を目撃する経験に他なりませんでした。アトリエ・ワンによるたゆまぬ「言動と実践の一致」の心掛けは、15年間重ねられることで、ひとつの実感のこもった言葉となって、私たちに直接話しかけてきます。そんな体験をもたらすことのできる建築家が、私たちと同じ時代を生きています。 |
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