滑らかに曲線を描く天井と角度を伴って配された壁とが複雑な形態を作っている。テクスチュアにより微妙にムラを施されたそれらの白い面には、そこここにぼんやりとした縦長や横長の光の断片が撒かれている。光のいくつかは真っ白であり、またいくつかは黄色や緑、赤といった鮮やかな色に染められていて、それらのグラデーションの様相から、この建築家がいつも好んで描く水彩画を連想したりもする。
光はやさしい輪郭をもっていて、それがどこからもたらされたものなのかはすぐには判断つきかねるのだが、そのミステリアスな効果が、この空間の崇高さを高めている。数年前、シアトルの聖イグナティウス礼拝堂を訪れて、その光に祝福された空間に佇んだ経験の鮮やかさは、今でも色褪せることはない。礼拝堂では、ちょうど婚礼の準備が進んでいた。
スティーヴン・ホールのギャラリー間での展覧会は、3つのスペースそれぞれが独立した雰囲気をもつ、明快な構成となっている。
3階の展示室には、壁と床に近作の大きく引き伸ばされた縦長の写真が配され、それぞれのそばにはそのプロジェクトの模型が添えられている。ここに集められた写真は、明らかに光がテーマとなっているものばかりであり、あらためてホールのプロジェクトでは必ず光が重要な要素となっていることに気付かされる。模型は小振りなものが中心で、その多くがスタディー用に作られた簡単なものだが、どれもがオブジェとしても見事な造形であり、模型作りの肝要さに感心するとともに、ホールがものづくりを楽しんでいる作家であることがよく伝わってくる。
続く3階の中庭には、細かな無数の孔を施された大きな白色のシートが等間隔で並べられ、中庭のスペースを埋めている。シートは和紙のような表情をもつ特殊加工をされた素材で、さまざまな大きさの正方形や曲線を描いた孔があけられている。それらが重なり合って柔らかなグラデーションの光景をつくり、シートの間を歩く人の様はさながら霧の中にいるかのようで、これは日本びいきの建築家の、日本へのオマージュであるのだろうか。
鉄の階段を上がりながら、これらのシートを吊っているワイヤーの端部の金物までにも、さまざまなパターンの穴が施されていることを発見し感心しつつ、4階の展示室へと入る。この部屋には、〈ポロシティ〉と名づけられたオブジェが並べられている。展覧会のチラシを飾っているこのプロジェクトは、特殊な加工で作られたボードによる筒状の形態をしており、その1.8ミリのボードには、さまざまなパターンで細かく穴があけられている。それぞれのピースは、異なる形状と孔のパターンをもち、ボードによっては微妙にカーブを孕んでいるのも好ましい。簾のように向こう側がぼんやりと透けて見え、また細かな光が漏れてくるのだが、それらの見え方が不均質なところがオリジナルであり、また魅力的である。
展覧会のタイトルは〈ルミノシティ/ポロシティ〉と名づけられており、ここまで見てきたように、この展覧会では〈光〉と〈孔〉とがテーマとなっていることは明らかなのだが、一方でホールのこれまでのプロジェクトを展覧会に合わせてTOTO出版から発行された作品集で見返してみると、〈光〉と〈孔〉は一貫してこの建築家の関心であり続けたことが見て取れる。言い換えれば、彼は執拗に彼のイメージの実現を追い求めてきたともいえる。もちろん、どの時代にあっても光は建築の大きなテーマであり、光が美しい建築をあげれば枚挙に暇がないし、光を取り入れるには窓の工夫が伴うことも必然だ。(光と孔の建築といえば、ローマのパンテオンがすぐに思い起こされるが、若き日のホールは、半年間毎日パンテオンに通ったことがあるのだという。)しかし、と同時に現代建築において、今日の感性を持って、新しい光の空間を生み出しているという点において、彼の存在は際立って見える。
また、中庭と4階のスペースで見られるような、さまざまな仕方で不均質な孔をあけるというのは、今日多くの建築家が試みている一種トレンドともいえる傾向かもしれないが、しかしそうした潮流に乗った多くのプロジェクトの関心が表層の表情のバリエーションを生み出すことに留まっていることに対し、ホールの場合は、そのように孔を開けたことにより、内部へと光が導かれ、よって空間が変質することに目的があることは、確認しておいていいと思う。
中庭の白いスクリーンや〈ポロシティ〉といったプロジェクトにおいては、コンピューター内で作成されたデザインが、図面を経ることなく、自動化された機械によって製作されており、こうした方法は近年の実際のプロジェクトにも少しずつ採用されているようである。〈光〉と〈孔〉とがホールの絶えざるモチーフであることは先に見たとおりだが、それが最新のテクノロジーによって、さらなる可能性を広げられているのである。ホールの今後の展開がますます楽しみである。
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