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ユーリー・ヴォルチョク氏
(建史築家。ロシア建築アカデミー顧問、国際建築アカデミー教授(モスクワ支部))
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マウリッツォ・メリッジ氏
(建築家。ミラノ工科大学契約教授) |
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オタカル・マーチェル氏
(建史築家・デルフト工科大学建築学部建築史準教授) |
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リシャット・ムラギルディン氏
(建築家・本展監修者) |
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ロシア・アヴァンギャルド建築自体がそもそもあまり日本で紹介される機会が少なかった。イコール構成主義という認識は間違ってはいないが、正確には別物である。タトリン、ヴェスニン兄弟、ギンスブルグ、メーリニコフ、レオニードフなど多くの名前は聞き覚えはあるものの、はっきりとそれぞれの個性を識別できる人は少ないのではないだろうか。
これらの建築家の作品はみな、形態的、平面的に革新的な要素を持っていたとともに、実現のチャンスが限られたこともあって、ドローイングに特徴が見られる。鋭角を強調したアクソノメトリックやパースペクティブ、スケールアウトした壮大な俯瞰図など、現代であってもその表現方法を倣っている例は多い。
そして必ずそのドローイングに付記されているのが、魅力的なレタリングである。それをもってして初めて建築自体も成立するように見え、実際多くの実現した建築にも文字が大きくファサードに貼り付けられている。そういう共通した要素の中で同一視される中でも、メーリニコフは異彩を放ち、他とは違う立場を確立していた。
今回のシンポジウムは、日本において初めてのメーリニコフ単独の展覧会に付随したものである。そもそもこの展覧会は、メーリニコフをなんとか世界に紹介しようと立ち上がったロシアとヨーロッパの数人の研究者が企画したもので、1999年より各国を巡回している。
なんといっても目玉は数少ない二次元の資料から立体に立ち上げた模型である。これも各研究者が教鞭を執る大学の学生が模型製作の専門家の下で制作した作品で、そのできばえには目を見張るものがある。なぜなら、メーリニコフのドローイングは本当に三次元となることを意識して描いたものなのか、甚だ疑わしいものも多数あるからである。事実、制作を断念したプロジェクトもあるようだ。
さて、シンポジウムにはこの展覧会を企画した研究者のうち3人が参加し、さらに在日しているロシア人建築家のリシャット・ムラギルディン氏が進行役をつとめた。
まず、ロシアの建築史家で国際建築アカデミー教授のユーリー・ヴォルチョク氏。
彼はメーリニコフの主に個人的な一面を紹介してくれた。非常にプライベートな部分と言っても良いだろう。
メーリニコフの言説を読めばしばしば書かれていることでもあるが、彼は自分をロシア構成主義の一派と常に差異化をはかっていた。ヴォルチョク氏はそれを示す面白い写真を紹介してくれた。その中の一枚にル・コルビュジエがモスクワに訪れたとき構成主義の建築家達が歓迎パーティーに参加している写真であ
るが、そこにはメーリニコフの姿はなかった。
また、そのころいくつかの建築家グループが存在していたものの、その中にメー リニコフがいることはなく、彼の写真は常に一人もしくは家族とのものだった。ここに、彼の意固地なまでの孤立主義を見て取ることができる。
彼は自分自身を建築家というより、むしろ芸術家の部類と考えていたという話もあった。また、有名な六角形窓の自邸は、パリ万博の成功報酬として、当時にしては珍しくモスクワ市内に個人住宅を持つことを許されたからだというエピソードも興味深いものだった。
次にミラノ工科大学契約教授のマウリツィオ・メリッジ氏。
彼の話の中心はメーリニコフの最大の都市計画プロジェクト「グリーンシティ」(1929-30年)についてであった。モスクワ近郊に建設が予定された、巨大な休養都市ともいえる「グリーンシティ」への旅を列車に乗って見て回るようなストーリーで、各施設が紹介された。
その中では、当時のロシアの明るい未来に対するさまざまな夢のある計画が現実のものとして計画され、プログラム自体の発想の革新性に、現代にも通じる空間的魅力を見出すことができた。 |
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