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コンスタンティン・メーリニコフの建築 ― 1920s-1930s
Konstantin Melnikov 1920s−1930s
2002 10.19-12.21
コンスタンティン・メーリニコフの建築 ― 1920s-1930s ロシア・アヴァンギャルド時代のファンタジスト
2002年10月19日(土)〜12月21日(土)
コンスタンティン・メーリニコフの独創性は20世紀の建築において特別なポジションに位置付けられている。彼が研究者の理解をはるかに超えた創造性を発揮し、建築史に名を残した、偉大で傑出した建築家のひとりであることに疑いの余地はない。ここで言う傑出した建築家というのは設計手法を体系化することなく、そしてまとまった弟子の集団も残さず、独自の流派もつくらない、つまり誰も真似することのできない建築家を指す。天才は何者の追随も許さないのである。

メーリニコフの代表作は、社会主義革命後のソヴィエトにおいて旧来の建築の原則を根底から覆すようなフォルムがかつてないスピードで生み出された時代に建設されている。しかし、彼は様式的・概念的にこの時代の流れよりもはるかに前衛的であった。彼の作品は常に新しさと独創性に満ちあふれていた。

この時代の息吹を確実につかんでいたメーリニコフは、時代のエネルギーを誰よりも繊細に感じ取り、その天才的資質、無限の才能のすべてを注ぎ込み、比類のない完全さで表現した。彼は新たなアイディアを次々と紡ぎ出しながらも、決してコンセプトを系統化しようとはしなかった。系統化されたものはその後の発展性に乏しく、新しいアプローチを試みる際の妨げになると考えたからだ。
建築こそが芸術の最高の姿であると信じていたメーリニコフは、独創的な立体的空間構成と斬新なデザインを生み出す源である自らの「芸術的創造の泉」が、常に澄んだ状態を保つよう神経を使っていた。彼自身の述懐によれば、この点が技術論や設計論に熱中するあまりに建築のもつ本来の意義を忘れてしまった同時代の「名建築家」との大きな相違点であった。

芸術的独自性こそが建築作品のもっとも重要視されるべきクオリティーだと信じていたメーリニコフは、自身の設計に使った同じ要素を他の作品で反復させることを極度に嫌った。この独自性に対する信奉と「超」斬新性が、彼の建築スタイルであり信条であった。そして、この信条こそがその後の世紀末までの建築の発展を予言していたと言えよう。

メーリニコフの「独占市場」であった幸福な10年間が過ぎた1930年代後半、政治的な背景によりソヴィエト建築は大幅な方向転換を行う。ソヴィエト社会において、それ以降長い期間にわたり彼の作品について語ることはタブーとされるのである。彼が建築家として再び表舞台に上がるのは、1965年に彼の75歳を記念し開催された展覧会がきっかけであった。この展覧会によってロシアの偉大な建築家が再評価され始めるのである。

ロシアでは「大きなものは遠くから見よ」と言われるが、時代を遠く隔てた21世紀初頭の今日、ようやくメーリニコフの創造性の多彩さを俯瞰することができる。モスクワ、ミラノ、シュトゥットガルト、そしてデルフトの建築や技術を専攻する研究者や学生らの手によって制作されたこのメーリニコフの創造性の軌跡の展覧会は、EU諸国の多くの関係者の協力のもと、すでに6カ国で巡回され大きな成功を博している。この展覧会が日本で開催されることは、20世紀の偉大な建築家の業績に対する関心が途切れることなく引継がれていることの何よりの証拠と言えよう。

リシャット・ムラギルディン(建築家、本展監修者)
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