実際、このたび初めて主室の椅子に座って中と外を眺めると、完全自閉4作とは目と身体の受ける印象がまるで違い、自閉性はさして感ぜず、自閉というよりは壁に包まれた安心感、そして心地よさがある。
 だからこそ、この家の2階で育った施主の娘にして現オーナーは、この家の賃貸広告に宮脇檀の名作であることを明記し、改装しないことを条件に借り手を探し、たまたまその不動産広告を見た清水さんが借り手となったのだった。
 内向性の造りにもかかわらず自閉感を生まなかった秘訣はどこにあるんだろうか。
 完全自閉4作との違いを探せば、まず、中庭への視線の抜けがいい。低い軒によって少し加圧されてスルッと外に向かった先には印象深くつくられた広めの中庭が広がる。「中野本町の家」にも中庭らしきものはあるが、ただのあかり採りにすぎない。
 主室の吹抜けの上から差し込むトップライトもいい。「伊藤邸」の天井にあいた穴のごときトップライトと違い、壁から壁まで連続の横長のトップライト。ル・コルビュジエが主張した「横長連続窓」を天井化したと思ったらいい。
 中庭と空に向かって口をあける“穴”以上に住まいとしての心地よさを演出してくれているのは、主室の吹抜け空間と木造建て込みのふたつ。
 主室を吹抜けとし2階をロフトとする空間構成は、宮脇の工夫ではなくモダニズム系小住宅の定石のひとつとして広く知られ、ル・コルビュジエの「シトロアン住宅」(1920)、住宅作家として戦後の一時期をリードした大熊喜英の諸作や増沢洵の「最小限住宅」(52)などが浮かんでくる。
 もしこの吹抜け空間をつくる壁や2階の床が外壁と同じように鉄筋コンクリート造だったら、心地よさはずいぶん減ったにちがいない。コンクリートはどうしても厚く重い印象を禁じえないが、木造でつくると軽くシャープになるばかりか、材感はずっと目にも身体にもやさしくやわらかい。


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