完全自閉4作は、「中山邸」「住吉の長屋」「中野本町の家」の3つはすべて鉄筋コンクリート造だし、木造の「伊藤邸」も壁構造だから柱と梁の組み合わせや芯壁が露わになっているわけではなく、おそらく予算さえ許せば鉄筋コンクリートでつくられたにちがいない。
コンクリートの壁でつくられた箱の中に木造、それも伝統系木造を建て込んだところにこそ宮脇の独創があった。住宅を超えて、日本のモダニズム建築の流れのなかでの独創があった。
完全自閉4作とは、障子、襖、畳を使ったことも大きく違った。
この住まいの勘所となる伝統系木造の建て込みと、障子、襖、畳の使用を見て、吉村順三の作風を想った。障子、襖、畳、については戦後すぐの“ジャポニズム”も思い出した。
鉄筋コンクリートの箱の中に吉村順三とジャポニズムを組み込んで<まつかわ・ぼっくす>は誕生した。自閉に包まれた開放が可能になった。元気な頃の宮脇さんとはまれに会ってもたいして建築の話をしなかったことが今となっては悔やまれる。