特集3/独学の建築家

師は建築の先にいる

——建築教育について、「建築家」を育てるより「建築の職人」を育てるべきだ、と森田さんがブログで書かれていたのに感心しました。左官はどんな状況でも平らになめらかに壁を塗ることをまず修業する。建築家も同様に、最低限の条件を満たすことを覚えさせる教育が大事ではないかと。

森田 職人も技術が基本だし、設計も同じだと思います。最低限押さえるべき基本があって、まずそれを身につける教育がなされるべきです。その基本が身について初めて、根本の前提を疑うことが可能になる。ぼくも平らな壁が塗れるようになって、日本の左官技術の長所と短所、そして今後の可能性に意識的になることができた。

——森田さんの場合、設計の師はいないわけですね。

森田 師匠がいる人は、師の言動にじかに接するなかで、さまざまなことを学びとるのだと思います。ぼくは集落を見ていた頃から、建築を通じてそれをつくった人と対話しているつもりですが、そうした距離感が好きなのかもしれません。待庵を通して利休の考えを探り、ガウディの作品やカタラン・ボールトという技術を通して彼の思想に想いをはせるのです。

——それは、京都郊外の静原という山深い地にアトリエがあることとも関係しますか。

森田 京都は人口150万人の都市ですが、独特の美意識や歴史の重さがあって、それにとらわれてしまうのがいやなのです。そことはあえて距離をとりたいと思っていました。静原は500人、150軒くらいの集落なので、とても居心地がいい。一方で左官技術は、マイノリティだけどインターナショナルな技術です。必要とあらば、ここからいろいろなところへ出かけていく、渡り職人のような建築家像を目指しています。


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