ケーススタディ01

パッケージ化しない

石切の住居」の建主に、島田さんに設計を依頼した経緯をうかがうと、「島田さんに資料を請求したら、過去の作品紹介が無造作にクリップ留めで送られてきて、それがよいと思った」と言う。ハウスメーカーなどの、いわゆる大企業を検討していた際に、個人間の腹を割った付き合いがしにくいと感じていただけに、用意されたきれいなパンフレットではなく、手づくりのクリップ留めの資料は、逆に好感をもったのだそうだ。こうした建主と島田さんのやりとりから、「石切の住居」の各部の多様性における、街並みとの統一感とは別の側面を考えてみたい。
 建主が企業に感じていた危惧は、商品として完成されすぎていると、品質が保証された商品を選ぶことはできても、ものづくりの中身に買い手が参加できない、という感覚なのではないだろうか。企業としては、専門的なものづくりの工程をパッケージ化した全体像を示すことで、買い手に品質の保証された銘柄を提供しているわけで、利点も多いが、別の選択肢を望む建主もいる。そういう視点で、あらためて「石切の住居」を見ると、銘柄を明快にするために建物の意匠にも統一感が望まれやすい商品化住宅とは違い、各部がそれぞれの理由でデザインされているわけだから、パッケージからは解放された構成になっている。「和風」などの建主と共有しやすい建築言語は、形式的な建物の再生産には功を奏すだろうが、多様な文脈に一つひとつ対応していかなくてはならない状況では、意味合いや枠組みが大きすぎる場合もあるだろう。パッケージ化した全体像は、ときに不要である。
石切の住居」は、周囲の文脈を読み込んだものづくりの論理が、形となって各部に現れている。それは、きれいなパンフレットではなく、クリップ留めの資料の提供によって、結果的に設計者と建主の心がぐっと近づいたように、住まい手が街並みの豊かな文脈と、ほどよく付き合うことにもつながっていくのではないだろうか。

 島田さんは、「比叡平の住居」(2010)、「六甲の住居」(11)など、これまで設計してきた住宅に「住居」という名称を付している。「家」や「住宅」よりも、建主がポジティブに住みこなしている印象が強い、と感じているために、「住居」を用いているのだそうだ。場所と人を結びつけることが目指された、名づけである。


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Movie 「石切の住居」

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