
「和」のルーツ
アメリカの頃
- 伏見 これまで話していただいた「和」への志向のルーツを考えたいと思います。平良さんとの対談では、学生時代の記憶としてフランク・ロイド・ライトと吉村順三からの影響を語られていますよね。
- 横内 ライトはいいですね。大学のときに作品集を見て以来、初恋のように、ずっと想いを寄せています(笑)。僕が東京藝大にいたとき、天野太郎というタリアセンでライトに直接師事した建築家が先生だったので、ライトを中心に近代建築を学ぶ教育を受けました。天野さんもすてきな方でした。風貌や語り口も、格好よかったんです。彼は詩人です。
- 伏見 天野太郎は藝大教授ですが、出身は早稲田大学なんですよね。学生時代から會津八一を敬愛していたと聞きます。天野さんが雑誌で建築を解説している文章も、粋だと思っていました。吉村さんとはどういうつながりですか。
- 横内 吉村さんに直接教わったことはないのですが、昔からあこがれの存在です。建築だけでなく生きざまも含めて好きです。藝大生は誰もが意識すると思います。今でも「吉村さんを超えたい」という恐れ多い目標をあえて掲げることで、モチベーションを高めています。吉村さんの時代より、今は設備機器などが豊かなのですから、現代の建築家は吉村さんよりいい建築がつくれるはずです。ただ、吉村山荘(「軽井沢の山荘」62)なんて藝大の授業でトレースするから、もはや忘れようもないトラウマになっています(笑)。
- 伏見
「ヒメシャラの森の家」での開放と閉鎖のバランスも、吉村山荘との距離のなかで考えられたのではないか、という気がしていました。大学卒業後はアメリカへ留学するわけですが、そこではどんな建築体験をされたのでしょう。
- 横内 僕の学生時代はポストモダンの全盛期で、日本だと磯崎新さんが建築論壇の中心にいました。すでに近代はすっかり定着していたので、近代の考え方にはいいこともあるけれど欠点もあることが浮き彫りになっていた時代で、近代をいかに乗り越えていくか、ということが議論の主題になる世代でした。みなそうでしたが、近代主義はそのままいくと長くは続かないだろう、と僕も思っていました。だけれど、建築のポストモダンの流れにはついていけないところがあって、そんなに難しい論を展開する必要があるのだろうか、という少し懐疑的な想いをもっていました。そういう状況で渡米したら、案の定、ポストモダン建築には幻滅してしまいました。
- 伏見 たとえば、ロバート・ヴェンチューリなどの建築家でしょうか。
- 横内 ええ。マイケル・グレイヴスの建築も見ましたが、外壁が全部ペンキ塗りだったりして、表現を達成するために、明らかな無理をしている印象を受けました。これでは建築は消費されていくばかりだと感じましたね。ほかにも、東海岸から西海岸までアメリカの建築をたくさん見てまわったのですが、とくに共感できたのは、まずライト、それとルイス・カーンでした。カーンが設計した「フィリップ・エクセター・アカデミー図書館」(米ニューハンプシャー州、65~72)を見たとき、近代でもこんなことができるんだ、と感動しました。カーンの建築は、近代主義の合理性とは違うものをもっている、と思いました。帰国後に前川國男さんの事務所に行ったのも、なんとなくカーンに通じるものがある気がしたからなんです。
- 伏見 ここまでの経歴をうかがうと、必ずしも「和」に傾倒されているわけではなさそうですが、日本的なものを意識されるのは、やはり前川國男建築設計事務所の後に京都へ来てからでしょうか。
- 横内 いや、むしろアメリカでの体験が日本を意識する強いきっかけになっています。アメリカに行って初めて日本のよさがわかったということがあります。文化というのは不思議なもので、外国へはいいところしか伝わっていないことが多く、暮らしてみないと本当のところはわかりません。アメリカは本当に大変なところで、あまりにいろいろな背景をもった人が集まっているから、ちゃんと話しあわないと価値観を共有できないんです。アメリカに3〜4年もいると大変さもよくわかってきますから、日本の平和を痛切に感じ、自分はやはり日本人だな、と思ってしまいました。それと、建築においても日本を知る必要があると思いました。じつは渡米したときは、アメリカで事務所を構えてひと旗揚げようという野心をもっていたのですが、多民族社会にもまれることで、逆に自国の日本をしっかりとベースにしなければ、世界に通用するものはつくれない、という想いに変わりました。近代建築だけみると、アメリカは日本より圧倒的にいいんですよ。日本には地震もあるし、同じようにやっていてはかなわない。ローカルでしっかりつくってこそ、世界に出しても負けないものをつくれるのだと思いました。もしかしたら、そうしたアメリカでの意識の変化があったから、京都に来たのかもしれません。もし渡米経験がなかったら、何かと有利な東京にしがみついていた気がします。
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