特集/ケーススタディ4

故郷の感覚からなつかしさへ

 70年代の都市住宅といえば、内向きに閉じて内部に小宇宙をつくるという自閉型が常套手段であったが、室伏はそうした一連の建築家住宅がもつ、街に対する閉鎖的な表情に疑問を感じていたという。そこで、いったん街に大きく開いた外郭をつくり、その内部に厚い壁で囲われた空間をつくるという逆の手法を編み出したのである。ここでは、角地に立つ家の南を走る通りが主要道路であるため、そこから内部空間を守るべく、長手方向に沿って壁を襞(ひだ)のように連続させて立てたわけだ。
 その一方で、少なからぬ影響があったのが、ロマネスク建築のイメージらしい。室伏はちょうどこの住宅を設計していた頃、同じ坂倉準三建築研究所の先輩で事務所を共同主宰していたこともある戸尾任宏から、ヨーロッパ旅行で撮ってきたロマネスク建築のスライドを山のように見せられたという。とくに印象的だったのが「ル・トロネ修道院」(12世紀)で、塊の内部に分け入って奥へ奥へとくり抜いてつくったような内部空間に衝撃を受けたそうだ。
 先だって、たまたまル・トロネの影響を受けたル・コルビュジエ設計の「ラ・トゥーレット修道院」(60)について話を聞いた折にも、「ロマネスクはゴシックとは違って、人間の手の痕跡が非常に濃密で、あたたかさが汪溢している」と語っていた。言われてみれば、粗い打放しコンクリートのテクスチャーや、シンメトリーではないが身廊の両側に側廊があるような造りは、ロマネスク様式の教会に通じるものがある。
 室伏は著書のなかでも何度となく、壁の重要性に触れている。壁自体は閉ざすイメージだが、そこに開口をあけた瞬間、表と裏、内と外の関係が明らかになり、空間を仕切ると同時につなぐものになるという。
 興味深いのは外壁と、内部の間仕切り壁に対する考え方だ。通常われわれは外壁は確固としたもので、間仕切り壁はいつでも取り払える一時しのぎなものととらえがちだが、室伏は逆に、住まいの外郭をなす壁は都市の環境に応じて柔軟につくればよいのであって、むしろ内部空間における壁こそが重要だと述べている。「その空間の内に屹立する壁の存在そのものこそが、犯されざる自由な個の意識を醸成するものと考えるからだ」(*1)と。
 そうした強い壁のイメージは、木造家屋の壁や、鳥居のような結界では不十分であり、厚みのあるコンクリートの壁でなければ表現できないと室伏は考えた。若き日の室伏のこのような思いが結集してつくられたのが、「大和町の家」の壁であったにちがいない。そこには、柱と梁による架構のあいだに自在「間戸」を設けることができる日本古来の住宅ではなく、あらかじめどこに穴をあけるかを周到に考えたうえで組積造の厚い壁に開口を設ける西洋建築の色濃い影響が見てとれる。
 かつて組積造を脱し、ドミノシステムを生み出したル・コルビュジエ。日本の伝統建築のDNAをもちあわせながら、コルビュジエの弟子になった坂倉。その坂倉の薫陶を受け、再びロマネスクの壁にあこがれた室伏。系譜をたどっていくと、興味はつきない。

参考文献・出典
*1/『埋め込まれた建築』1989年、住まいの図書館出版局


>> 「大和町の家」のアクソノメトリックを見る
>> 「大和町の家」の平面図を見る

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