展覧会レポート |
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レポーター:吉村靖孝 |
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建築の展覧会が変化している。建築展と言えばかつては、展示会場に持ち出すことのできない建築物の代打として模型、図面、パースや写真などを展示するのがその王道だった。しかし近年はむしろ現代美術のインスタレーションに近い、個々の展示会場のために特別に設計され空間的な体験を提供する展示が注目を集めている。ヴェネチア建築ビエンナーレやミラノサローネなど海外の展示イベントはもとより、日本でも国立近代美術館の「建築はどこにあるの?」展で7組の建築家が展示室から溢れんばかりの大型作品(1作品は溢れている!)を披露したことは記憶に新しい。また振り返ってみれば実は、25年の歴史を持つギャラリー・間こそ、建築家によるインスタレーション展示の草分け的な場所であった。そういった特別な場所で今回日本初の個展を開催することになったデイヴィッド・アジャイは、オラファー・エリアソンやジェームズ・タレルなど著名なインスタレーション系美術作家との協働で知られており、自身も光や色に繊細な眼差しを傾ける建築家で、そのままインスタレーションと呼べそうな建築作品をいくつも発表している。そんな具合で、会場と作家に対し事前に二重のバイアスがかかっていたため、当然インスタレーション的な展示を期待して会場に足を運び、そして見事に裏切られた。
今回会場を埋めるのは、模型と写真、わずかな解説パネルと映像である。いずれも見慣れたサイズであり、壁の写真を背に模型を眺めるレイアウトもこの上なくオーソドックスと言って差し支えない。しかしよく見ると何かが違う。背中の写真は建築写真と呼ぶにはあまりにも断片的で、建築の全貌を把握するための回路としてはいかにも心許ないのだが、匂いの痕跡が感じられるような湿度感のあるシーンを切り出している。ただし、その白い額装は抑揚のなさを強調するようで、標本的な乾いた視線を感じさせる。一方、模型は敷地周辺どころか敷地内の外構すら含まず、建物が展示台を独占しているような状態だが、その建物部分は色や素材まで忠実で、訓練された者ならばかなり正確に建物を想像できるようつくり込まれている。いずれも、情報を詰め込んだ部分とばっさり切り落とした部分をはっきり嗅ぎ取ることが出来るのだ。
目が慣れるにつれ、ようやくアジャイがインスタレーションを回避したのだと了解した。インスタレーションという耳障りの良い呼び名のもと単なるアトラクションに堕することを嫌い、正統的展示方法に影を透かし得るほど接近し、そうしてはじめて感知できるような違いによって、自身のスタンスを示そうとしたのだ。考えてもみれば、彼の作品は灼熱の地の躍動を感じさせながらも、非常に微細な操作の集積からどこか現実離れした冷静さを宿している。派手な演出より、見落としかねない小さな差異の中に活路を見いだしたとしても何ら不思議はない。この展示を、巷を席巻するインスタレーション展示に対するある種の警鐘と捉えるのは、僕の邪推だろうか。
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©Nacása & Partners Inc. |
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