竹原義二 展 ― 素の建築 ―
2010 4.14-2010 6.19
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竹原義二 講演会

講演会レポート
レポーター:長田直之
 

「空間」について語ることはなかった。

冷たい雨の降る4月16日、「素の建築 just as it is」と題して竹原義二の講演会が行われた。竹原はこの講演を、如庵、伊勢神宮、イサム・ノグチの牟礼のアトリエ、そして閑谷学校など、自身が強く影響を受けた場所や建築について語ることから始めた。如庵においては、そこで使われている素材や壁の薄さ、それらが作りだす緊張感について語り、20代の頃から通い詰めたという牟礼のアトリエについては、石とその石を扱う職人の技術について語った。特に、閑谷学校は、何度も訪れ、その度に建築を考える重要な場所―自身の原点であることを告白した。その語り口は誠実であり、確信に満ちたものであった。

展覧会のタイトルでもある「素の建築」は、「ただそれだけの、ありのままの、純粋な」状態を指向する。関西弁でいうところの「ホンマモンの建築」である。(その対義語は「バッタモン」=偽物。)その建築は、嘘偽りのない「本物」の素材と、安易な妥協や逃げのない「本当」の技術によって作られる。
硬いものと柔らかいものがダイレクトにぶつかる。異質な素材が、高い技術によって共存する。その緊張感。これこそ竹原の建築の核なのだ。この緊張感は、展覧会場の膨大な数の図面、そして展覧会場の随所に現れるモノとモノの取り合い――われわれはそれらを一つなりとも見逃してはならない。展示物だけでなく、展示物を支持しているモノを見逃してはいけない――に端的に顕れている。また、その建築は「誠実」でなければならない。つまり、材料の不均質さ――例えば一本一本の木の持つ色や質感の違い、コンクリート打放しのジャンカや色ムラ――に対して、補修したり繕ったりしない態度が、単なる「高級」指向ではなく「本物」を指向することになる。建築の表面を覆っているのは「仕上げ」ではなく、素材であり材料であり、その存在それこそが建築を作っている、ということがいかに重要であるかを竹原は語った。
講演会風景
サイン会風景

講演の後半は、150作品を超える建築作品(そのほとんどが住宅)を、10年毎に整理し解説した。ここでも話の中心は、「素材」や、「間」「構造」「場所」についてであり、建築の形式や形態の操作についての言質はない。しかしながら、竹原の建築における空間的な特徴は、その室名に現れている。リビング、ダイニング、寝室という部屋の機能による分節ではなく、外室や内室と名付けられた部屋が存在している。さらにそこに「外庭」「内庭」といった「庭」が混在する。また、建具の開閉により、それらの分節も切り替えることが可能である。どのまでがソトでどこからがウチなのか? そんな平易な質問――建築を理解するときの道具としての――を竹原の建築は無効にする。

竹原の建築に「空間」はない。「場」だけがあるのだ。

「空間」と「場」、この両者には決定的な違いがある。竹原が挙げた閑谷学校にも、イサム・ノグチの仕事にも、「空間」という限定されたフレームのある空間は存在しない。限定されない広がりとしての空間=場、その発生こそ建築であり、建築の原初的な在り方ではないのかと竹原は問う。特に、近代以降の「空間」至上主義的な建築や芸術の潮流に対して、空間を自明のものとして扱うことへの内省を、竹原は――イサム・ノグチと同様に――住宅というもっともコンベンショナルなプログラムにおいて実行し続けてきた。否、住宅がコンベンショナルであるからこそ、実行可能だと竹原は考えているのかもしれない。慣習的な「空間」概念から現代において唯一遊離可能な場所、それこそが住宅であることを教えているのかもしれない。「場」を生成することが竹原にとっての建築であり、「空間」というメディウムが使用禁止状態であるなら、素材や材料――そこに存在するモノ――は、「場」を形成する重要なメディウムである。よって竹原は、空間構成ではなく、その場所にあるモノについて語る。

竹原は、この2時間弱の講演会のなかで――僕の記憶が確かであれば――「空間」という言葉、空間という概念を一度も使わなかった。 「空間」に限定されない広がりのある「場」、「場」を生成する様々な事物、その事物を存在たらしめる技術、それらへの確信。それゆえ「空間」は、意図的に回避され、一度も語られることはなかったのだ。
日時
2010年4月16日(金) 18:30開演、20:30終演(予定)
会場
津田ホール(JR「千駄ヶ谷」駅、都営地下鉄大江戸線「国立競技場」駅A4出口 徒歩1分)
講師
竹原義二
参加方法
事前申込制
定員
490名
参加費
無料
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