「空間」について語ることはなかった。
冷たい雨の降る4月16日、「素の建築 just as it is」と題して竹原義二の講演会が行われた。竹原はこの講演を、如庵、伊勢神宮、イサム・ノグチの牟礼のアトリエ、そして閑谷学校など、自身が強く影響を受けた場所や建築について語ることから始めた。如庵においては、そこで使われている素材や壁の薄さ、それらが作りだす緊張感について語り、20代の頃から通い詰めたという牟礼のアトリエについては、石とその石を扱う職人の技術について語った。特に、閑谷学校は、何度も訪れ、その度に建築を考える重要な場所—自身の原点であることを告白した。その語り口は誠実であり、確信に満ちたものであった。
展覧会のタイトルでもある「素の建築」は、「ただそれだけの、ありのままの、純粋な」状態を指向する。関西弁でいうところの「ホンマモンの建築」である。(その対義語は「バッタモン」=偽物。)その建築は、嘘偽りのない「本物」の素材と、安易な妥協や逃げのない「本当」の技術によって作られる。
硬いものと柔らかいものがダイレクトにぶつかる。異質な素材が、高い技術によって共存する。その緊張感。これこそ竹原の建築の核なのだ。この緊張感は、展覧会場の膨大な数の図面、そして展覧会場の随所に現れるモノとモノの取り合い——われわれはそれらを一つなりとも見逃してはならない。展示物だけでなく、展示物を支持しているモノを見逃してはいけない——に端的に顕れている。また、その建築は「誠実」でなければならない。つまり、材料の不均質さ——例えば一本一本の木の持つ色や質感の違い、コンクリート打放しのジャンカや色ムラ——に対して、補修したり繕ったりしない態度が、単なる「高級」指向ではなく「本物」を指向することになる。建築の表面を覆っているのは「仕上げ」ではなく、素材であり材料であり、その存在それこそが建築を作っている、ということがいかに重要であるかを竹原は語った。
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