竹原義二 展 — 素の建築 —
2010 4.14-2010 6.19
展覧会レポート
レポーター:堀部安嗣
 
「すべては無に始まり有に還る。建築は何もない場所から立ち上がる。」これは今回の展覧会においても、同時出版の本においても冒頭にでてくる、竹原さんの建築への思いを最も端的に凝縮して示した言葉だと思う。またこの考えから「無有建築工房」という名前がつけられているのだろう。しかしこの言葉をはじめて読んだとき私にはその意味が理解できなかった。建築とは竹原さんの言う行為とは逆なのではないだろうか、と。つまり私にとって建築とは潜在的に存在しているものを顕在化させていく行為であると今まで信じて疑わなかったからだ。例えば、一見何もない、手がかりさえもないとも思える<さら地>の中にも目を凝らしてゆけば、この場所にあるべくしてある建築のあり方が浮かび上がってくるし、あるいは人の中には生まれつき自然なバランス感覚と大いなる宇宙感が存在しており、いい建築とは既に人の中に存在しているそれらの優れた感覚を呼び起こすことができるものである、というようなニュアンスだ。だから竹原さんの言葉だけを手がかりにあれこれ考えを巡らしていると、自分とは対局にあるように思えてしまい、竹原さんが遠のいてしまう。しかし実際の竹原さんの空間に身を置くとどうだろう、「何をごちゃごちゃ言っとるんや。そんなことより感じるんや」と言わんばかりの人懐っこい竹原さんの笑顔が浮かび上がり、今まであれこれ言葉の上で悶々としていた自分がなんだかバカバカしく無意味に思えてくるのだ。そして、あの自分にとって理解し難い言葉も、いつのまにか体の中にすっと入り込んでくるから不思議だ。
建築に対してある意味ネガティブで神妙な自分の姿勢を吹っ飛ばすような真っ直ぐで前向きな空気がそこにあるのだろう。そう、竹原さんは何しろポジティブだ。精神の前向きさのことだけを言っているのではない。建築の考え方、生成過程がポジなのだ。言い換えれば、削ったり、そぎ落としたりするのではなく、ありのままに加え、重ねて、積み上げてゆく手法をとる。そして素材や職人との<サシ>の妥協のない真剣な対話の連続が濃密に積み重ねることを可能としていることは、竹原さんの作品と人間性から想像に難くない。
自分の手法が木彫や版画だとすれば、竹原さんの手法はまさに積み重ねてゆく油絵だ。そうとらえると冒頭の竹原さんの言葉の真意が浮き上がってくると同時に、その言葉をとらえにくかった自分、そして自分との手法の違いが明快になってくる。油絵のように積み重ねてゆく手法をとるということは当然、生成過程における迷いや喜びも赤裸々にあらわしてゆくことになる。積み重ねることでどうしようもなく生まれる不揃いや<ずれ>でさえも「ええやないか」と前向きにそのことを楽しみながら表現を重ねていってしまう。
ありのままの<アクション>を直裁的に重ね続けてゆくこと。それこそが建築の表現であるととらえているからであろうか、たとえ木造の柱梁であったとしても、あるいはせっかく精魂込めてつくった型枠を用が済んだら取り壊してゆく、ネガな生成過程を経てつくられるコンクリートでさえも、竹原さんの手にかかると組積造のようなポジな雰囲気を漂わせる。そしてその積層するという行為は30年以上にわたって質の高い建築をコツコツと変わらず丁寧につくり続けてきた竹原さんの生き様とも重なってくる。建築のつくり方においても、生き様においても積層させる確かなテクニックを身につけ、継続してタフに実践できる建築家は私の知る限り極めて希有である。そこに竹原さんの独自性が燦然と輝いている。

このように濃い生成過程を経ていながら、しかし、実際にその空間に身を浸してみると、その圧倒的な素材感と匂いは時間とともに薄らいでゆき、濃密でかつ穏やかな時間の心地よさと、素材の影で見えにくかった空間構成の美しさ、豊かさが浮き上がってくる。激しい色彩やタッチで描かれた油絵をずっと見ていると、次第に均整のとれた美しい構図とプロポーションが浮き上がってくる、優れた油絵のように。そして極めて暴れん坊な素材や工法を生活のリアリティーとともに鎮静させてしまう技は、あたかも凶暴な虎をおとなしくなつかせてしまう猛獣使いの神秘の技のようにも思えてくる。
かつて竹原さんの自邸「101番目の家」を訪れた時の、あの筆舌に尽くし難い濃密な時間の感覚が、この展覧会を訪れて再び蘇ってきた。

展覧会場の屋外には、天日干しした一本一本表情の異なる杉材を組み上げた架構空間がつくられている。圧倒的で実体的な原寸の世界を感じることができる一方で、室内においては精緻に描かれた手描き図面を読み解けるという贅沢な会場構成となっている。大勢の建築を志す若い人が「すげ〜こんな図面があるんだ」と感嘆の声を上げ、食い入るように図面に見入っている。解読しにくいけれども考え抜かれた平面構成と断面構成、そして何より手描き図面から伝わる建築家からの熱いメッセージを必死で受け入れ、読み取ろうとしている。CAD図面しか知らない今の若い世代はこのポジティブで濃密な痕跡を残した世界に飢えている。その飢えや渇きを充足させることができる数少ない建築家、それが竹原さんではないだろうか。

ポジティブなTAKE ACTIONを重ね続けるTAKEHARA。今を生きるナイーブな若い世代にTAKEHARA ACTIONは深く響いている。
©Nacása & Partners Inc.
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