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「ふじようちえん」(2007年春竣工予定、共同設計=池田昌弘)模型(S=1/10)を、現在の幼稚園の写真を背景に展示。正面奥は断面矩計図(S=2/5)、左側壁面には平面図とスタディモデル |
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模型の中で園児たちのさまざまな
アクティビティが展開されている
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「越後松之山『森の学校』キョロロ」(2003年、共同設計=池田昌弘)模型(S=1/20)は実物と同じコールテン鋼で制作。背景は雪の断面を臨むアクリルの大窓の実物大パネル
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床に敷きつめられた膨大な数の模型
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写真撮影=
ナカサアンドパートナーズ
パノラマ撮影=コムデザイン
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展覧会にあわせて製作された作品集には『手塚貴晴+手塚由比 建築カタログ』という名称が付されている。ここでもまた圧倒されるような数のプロジェクトが取り上げられている。そして大きいものも小さいものも等しく並置されている。まさしく、カタログである。設計を進めていく中で浮かび上がってくるアイディアを、無理に複合化したり過度に突き詰めていくのではなく、あくまでクールに並行して展開させていく。ひとつのものに収斂させるより、むしろ展開の幅広さをアピールしようという姿勢が感じられる。つまるところ、論文というよりはカタログ的な発想で設計を展開させていくということなのだろう。
この展覧会は、スポーツのようだ。展示を見終えて、スポーツの試合を見た後のような、ある種の爽快感を感じる。圧倒的なスタディモデルの数と大きなヴォリュームの展示。いうなれば体育会系のノリだ。さらに彼らの設計に対するスタンスもスポーツ系だといえる。アスリートは圧倒的な練習の末に、感動を呼ぶパフォーマンスをゲームの場で繰り広げる。彼らによって提示される建築もまた、反復練習の末、反射的に出される技のようである。あるシチュエーションに対して、反射神経で打ち返してくる。来た球を広角に打ち分けるイチローや、かけ声とともに打ち返す福原愛のようだ。もちろん瞬間的に反応する中にも、上を抜くか転がすか、技術とセンスの違いが表れてくるはずだ。そこに凡庸なアスリートとトップアスリートとの差がある。圧倒的な練習量に支えられた反射的でスピーディーなゲーム展開、それが彼らの設計スタイルだ。
このスポーツのような設計スタイルは、試合のような一過性のイベントとして考えればかなり盛り上がるだろう。だから展覧会として見ると、彼らの設計スタイルとうまくフィットして、なかなか盛り上がりのある展覧会場となったといえる。一方、実際の建築物としたときはどうなのか。恒久的に残る建築において、果たして同じような一過性のイベントとしてとらえると言い切ってしまってよいのだろうか。スポーツのような爽快感が残るだけでよいのかという疑問もわいてくる。
彼らの建築は、先に述べたように確信犯的に単純・ストレートだ。幼稚園を例に取り上げると、幼稚園というビルディングタイプは、ともすると園児のスケール感におもねる挙げ句、小さな部分の集積という、計画的には正しいのだが、独善的で押しつけがましい建築になりがちだ。彼らは楕円の平面にと単純化することで、巧みにその計画学の罠を回避しつつ、同時にわかりやすさゆえ愛される建築を作ろうとしている。突き放す部分と惹き付ける部分とを微妙なバランスの上に成立させている。だが、ひとつ間違うとその単純さは新たな押しつけがましさにつながりかねない。住宅のようにスケールの小さいものや工場のように機能がシンプルなものでは露呈しなくとも、より複雑で規模の大きいものが対象となるとき、そこが焦点となってくるように思う。戦略的な彼らのこと、この次の展開も当然考えていることだろう。さらに可能性を伸ばしていくであろう彼らが、この後、どのように展開していくのか。そう考えると、この展覧会はそのターニングポイントとなるように思うのである。 |