有名建築の
水まわり

——有名建築に納入された歴史的な水まわり商品は、ミュージアムの見どころのひとつですね。

大出 6つの事例を展示しています。古い順にいうと、「旧総理大臣官邸」(1929)、「国会議事堂」(36)、「旧第一生命館」(38)、「ホテルニューオータニ」(64)、「霞が関ビルディング」(68)、そして「迎賓館赤坂離宮」(74改修)の水まわり商品です。

——「旧総理大臣官邸」「国会議事堂」「旧第一生命館」の水まわり商品は、いかにもヴィンテージという感じです。1930年代前後には、すでに水洗式の腰掛便器が普及していたのでしょうか。

大出 いえ、特別な高級品でした。国会議事堂の大便器のふちを見てみてください。当時の国会議員が便器の上に乗って用を足していたので、便器に靴のビスの傷がついているんですよ。国会議員の先生ですら、腰掛便器の使い方がわからなかったのでしょうね。TOTOの出荷台数を見る限り、腰掛便器の数が和風便器を上まわるのは、意外と最近でして、77年なんですよ。高度経済成長期以前は、ほとんどのトイレが和風、という状況でした。

——水洗はいかがですか。

大出 関東大震災後に復興支援のために、鉄筋コンクリート造でつくられた同潤会アパートでは、すでに水洗トイレが整備されていましたが、今でいえば六本木ヒルズのような高級集合住宅だったと思います。TOTOは、そもそも水洗式の腰掛便器の開発を原点としていますから、最初から水洗化を進めてきましたが、日本は下水道の普及率が低いということもあって、昔は非水洗式のトイレが一般的でした。

——「ホテルニューオータニ」のユニットバスルームは、日本初(JIS規定による)のものだそうですね。

大出「ホテルニューオータニ」は、東京オリンピック(64)にあわせてオープンするために、たいへん短い工期での実現が求められた建築です。通常では3年近くかかるといわれていた規模を、1年5カ月ほどで実現したそうです。そのため、浴室の設置にも、大幅な工期短縮が求められました。そこで開発されたのが、プレハブのユニットバスルームでした。その後、ユニットバスルームはどんどん普及していきましたが、「ホテルニューオータニ」が最初でした。この最初のユニットバスルームは、じつは現存していないと思われていたのですが、奇しくもユニットバスルームの誕生50周年にあたる昨年、「ホテルニューオータニ」に当時のものが、1台だけ残っていることがわかり、ご寄贈いただき展示できることになりました。

——「霞が関ビルディング」でも、日本初の超高層ビルとして、プレハブ化やユニット化の建設技術が用いられていましたが、水まわりはいかがでしょうか。

大出「霞が関ビルディング」のときに、壁付サニタリーユニットという最先端の技術が採用されました。衛生器具や仕上げ材とともに配管までも壁に組み込んだユニットで、施工性が高く、工期を短縮させることができる技術です。住宅にも用いられているユニットバスルームと違って、一般の方はあまりなじみがないかもしれませんが、現在の高層ビルにはふつうに用いられている技術です。それを最初に導入したのが、「霞が関ビルディング」です。

——60年代、超高層ビルやプレハブ住宅の誕生など、建築産業は大きな展開を見せますが、TOTOの技術開発も、この頃に活性化されたのでしょうか。

大出 確かに、この時代に新しいものが次々と開発されています。今では、あたりまえになっているものも多いです。水栓金具のシングルレバーや、洗面化粧台などですね。高度経済成長のなかで住宅需要が高まり、多くの商品が世に出ていきました。生活の基本的な商品が整備されていった頃といえるかもしれません。もう少し時代が進むと、経済的に成熟し、システムキッチンなどのバリエーション豊かな生活を支える商品が出てくるようになります。水まわりの歴史は、人間の社会や生活の歴史ともリンクしているのだと思います。

——「迎賓館赤坂離宮」のものは、やはり豪華そうですね。

大出 この便器や浴槽は、09年の竣工当時のヴィンテージものではなく、74年の改修の際に納めた、比較的最近のものです。東宮御所に納めるものですから、やはり豪華に金をあしらうなどの、ちょっと珍しい商品です。量産し、普及していくようなもの以外にも、こういったオーダーメイドのものもつくってきた歴史があります。

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