各部屋の独立とモグラの家、このふたつの発想が元になっているのはわかった。そして、モグラの家のイメージは吉阪が若き日に訪れたユーラシア大陸の乾燥地帯の原始的にして始原的な住まいに想を得ていることもわかる。
各部屋の分離独立という発想はどこから湧いたんだろうか。
昨年8月に出た『好きなことはやらずにはいられない 吉阪隆正との対話』(アルキテクト編/建築技術刊)のページをめくっていると、吉阪さんが推測して描いた葛飾は柴又の寅さんの「とらや」の図が出ているではないか。平面は、「茶の間」(居間)を中心にはしているが、各部屋が分離独立している。
ここまで来ると、近年の若い建築家たちの住宅平面の一件に触れないわけにはいかない。10年ほど前から若手の住宅コンペの案のなかに、各部屋がひとつ敷地のなかで、時には町のなかで分離して配される平面が現れ、そのうち西沢立衛が「森山邸」(2005/『TOTO通信』06年夏号)で現実化した。これを私は「分離派住宅」と呼び、系譜をたどって山本理顕の「山川山荘」(1977/『TOTO通信』08年秋号)まで突きとめ、そのことを本シリーズに書いた。
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