
アンチ
銘木主義
「緑町の家」は敷地の北西角に寄せて建てられ、いわゆる延焼ラインを避けて外部にもふんだんに木が使われた。さまざまな木の色合いや表情がこの家の印象を決定づけている。
竹原さんの美学はその仕上げに端的に表れる。伊勢神宮に使うような超一流の木はピカピカに磨くことができるが、普通の木をそんなに磨くと外側の肌が荒れてしまうという。削り込まず、できるだけ原形に近いかたちに留めていく。かつての民家には硬い木を平滑に削る道具がなく、釿(ちょうな)などで名栗(なぐ)って仕上げたことが豊かな表情を生んだ。木目の美しさを際立たせる銘木主義とは異なる立場で、竹原さんは「和」を表現している。
たとえば垂木の、底面は光を反射させるために仕上げたが、側面は削っていない。表面を痛めつけると、竣工後数年のうちに赤身と白身の差が強く出てしまう。また広葉樹も削り込むと、木目が一気に出てきてうるさい表情となる。竹原さんは専用の鋸刃を製材所に置き、遅めのスピードで材を曵き鋸目を残している。
また無垢の木は建てた後に必ず動いてくるため、その納まりには目地を切り、多くの隙間をつくって調整する。透かしてものがあたらないようにする、ものともののせめぎ合いを納めるのは、和風の一番重要なところだという。建具も柱梁から枠を持ち出し、面を外にずらして納めている。
さらに設計者には木取りの感覚も必要だ。工務店の倉庫に眠る、寸法が半端だったり傷があったりする材を探し出し、さまざまな板取りの指示をして使うのが竹原流。数多くの民家を見てまわった経験により、そうした「和」の材料を生かすことができる。千利休や村野藤吾もそうした見立てをしていたのだろう。そしてそこでも木目を威張らせず、時間とともにそれぞれのよさが出るように考える。時間がたったときによくなるのが本物の素材だという。
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