
ネットワークも受け継ぐ
この増築計画が始まった当時、常子さんは91歳。小山が亡くなった2002年以降、「感泣亭」には常子さんがひとりで暮らしていた。東京に住んでいた息子夫婦が心配をし、引っ越しを決意したのが、「感泣亭」の改修と増築のそもそもの始まりである。このとき、主屋は築50年を越えていたが、「これだけいい家はないし、父の遺品とセットで残したい」という強い想いが、息子さんにはあった。
最初、増築部は小山を偲んで定期的に開かれる集まりに使用されることが想定されていたが、それだけではなく別の考えもあったという。息子さんにとって、「感泣亭」は実家とはいえ、長らく離れていたので、元住吉は決して慣れた土地ではなかった。そこで、増築部には、地域に溶け込むための場、としての役割を期待することにした。母の常子さんはこの地で長年にわたって英語教室を開いていたので、地域では顔の知れた存在。その母の人脈によって、地域のための活動をする。家だけではなく、ネットワークも受け継ぐ。これは、従来の「感泣亭」に、公共性を加える考えである。





