特集/その5

70年ごし
偶然のつながり

 東急東横線の元住吉駅から歩くこと7分。ここは、かつて神奈川県が同潤会に建設・管理を委託し、住宅営団が引き継いだ「元住吉住宅」があった場所だ。まわりを水田に囲まれて、166戸の平屋建てが行儀よく並んでいた。今ではそのほとんどが2階建てに替わったが、「感泣亭」はちょうどその中間ほどの高さ。2階建てながら、屋根をぐっと低く抑え、こぢんまりとしたたたずまいを見せている。
「感泣亭」が建設されたのは、東京オリンピックが開催された1964年頃。「栗の木のある家」(56)で有名な建築家・生田勉(以下、生田)が設計を手がけた。小山と生田は、41年に『立原道造全集』(山本書店)の編集を一緒に手がけたことがきっかけで知りあい、以来友人の関係を築いた。20年を越える親交の末の設計依頼であった。
 一方、2012年に主屋の改修と増築を手がけたのは、Eurekaと三浦清史さん。Eurekaというのは、意匠設計の稲垣淳哉さんと佐野哲史さんが主宰するアトリエ事務所で、構造設計の永井拓生さん、環境設備設計の堀英祐さんとパートナーシップを結ぶ、小さな組織設計体。全員、早稲田大学出身だ。一方、三浦さんも同じ大学出身の建築家だが、Eurekaの4人とは父と子くらい年齢に差がある。Eurekaにとって心強い存在である。
 Eurekaと三浦さんが、どのように小山の息子夫婦と出会ったのかというと、じつはこちらも立原がらみ。少し詳しく説明すると、立原が生前に設計した未完の週末住宅「ヒアシンスハウス」を、埼玉県の別所沼公園に建設しようという計画があり、その委員に佐野さんと三浦さんが加わっていた。この計画は04年に実現をみたが、その後、同じ建設委員の仲間の紹介により、「感泣亭」の増築を検討していた小山の息子夫婦と知り合いになり、佐野さんと三浦さんがこれを手がけることになったそうだ。小山と生田の出会いから70年後、偶然にも、再び立原に関係して、施主と設計者につながりが生まれた。


>>「感泣亭」のオリジナル原図を見る
>>「感泣亭」の図面と改修箇所(2012年)を見る

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