引き継ぎの四カ条
第一に、感性の共振があった。熊澤さんは、ニューヨーク、あるいは東京でたまたま目にした建築に魅かれて調べてみると、吉村順三の設計だったことが何度もあったという。鬼である建築の特質を見抜くのは容易としても、吉村順三の建築を初見で察するとは、よほど吉村と近い感性の持ち主である。この住宅に住むことにしてから、吉村の建築にさらに関心が高まり、探究していくうちに、建築の空間はもちろんのこと、吉村の設計者としての生き様にも共感するようになったそうだ。
第二に、執念があった。この住宅の購入の話が最初にあったときには、決断に至らなかったという。なぜわざわざ古い家をという家族の反対もあった。しかし頭から離れることはなく、実際に何度か足を運ぶうちにどうしても手に入れたいと思うようになり、家族を説得して購入にこぎつけた。そうして想いが結実するのに4年、さらに改修して住むまでには2年あまりが経過していた。時間が金に換算されるのが通例の世の中では稀有なことだろう。
第三に、公共性への理解があった。住宅は個人の所有物であり、日常の生活の場なのだから、原則として社会に開く必要はない。けれども生涯で237もの住宅を設計した稀有な建築家である吉村順三の、なかでも名作と定評がある住宅を保有し、改修し、住み継ぐにあたっては、ある範囲の人びとに対して、経過を明示し、公開する社会的義務を負うと熊澤さんは考えたのである。すこぶるまっとうでありながら、実行はきわめて難しいことだ。実際、改修前に吉村順三設計事務所のOBや日本建築家協会(JIA)の有志、およそ200人ほどが見学会に参加し、改修後はさらに多くの人が訪れているという。
第四に、実務的な経験と知識があった。熊澤さんは日本酒の蔵元であり、湘南唯一の蔵元熊澤酒造の代表で、「湘南茅ヶ崎の家」の近くの蔵元敷地内に酒蔵のほか、点在する既存の古建物を利活用したり、新たに地域の歴史的建造物を移築して、飲食店やギャラリーなどを運営している。古い空間や素材を新たな視点から見直し、利用し、価値を高めていくことを実践してきたのだ。その経験と知識が「湘南茅ヶ崎の家」の再生に生かされているのは間違いない。