何にこだわったか

 丹下さんというと「国立屋内総合競技場(代々木体育館)」(64)や「東京カテドラル聖マリア大聖堂」(64)を設計し、海外にはなやかな活躍の場をもった巨匠というイメージが強烈で、多くの人にとって自分とは縁遠いはるか上空の存在として意識せざるをえなかったと思います。実際、私自身がそうでした。けれども、コンタクトシートを初めて見たとき、一挙に意識が変わりました。
豊川 自身が撮影したものを、自分で台紙に張り、気に入ったものに○をつけたり、赤いトリミングラインを入れていたりと、創造活動に携わるひとりの建築家のありのままの姿を認めることができますね。
 コンタクトシートはごまかしが利かない。自分が歩き、眺めた順番のとおりに途切れなく並び、露出が正しいものも間違っているものも並置される。そこからは、ひとりの建築家として何に興味をもち、それを自分の目でどうとらえようとしたかがよく伝わってきます。仔細に見るほどおもしろく、興味がつきません。初めて丹下さんが自分にとって近しい存在に思えました。
豊川 丹下さん自身が設計した建築の写真が多いのですが、とかく埋もれがちであった「倉吉市庁舎」(57)の美しい姿、執拗にファサードのみを撮りつづけ、ありうべき内観のカットがない「旧都庁舎」(57)など、はっとさせられる意外性があったり、なるほどと得心がいったり、見る人によってさまざまな想いや解釈が引き出されるでしょうね。
 自邸の写真もとても興味深い。工事中のカット、ヘリコプターから撮影したカットとそのトリミング、完成後の築山を入れたカットなど、これまで目にする機会がなかった写真がたくさんあります。
豊川 岸さんはとりわけ「広島平和会館原爆記念陳列館」(52)の妻側を撮った写真、そこに引かれたトリミングラインに非常に関心をもたれていましたね。
 右側のトリミングラインが2本引かれていて、迷いが見られます。背後に家屋が写っていますが、そのシルエットをどこで切るか、棟を入れるか、それとも入れないか、その迷いだったと推測します。棟まで入れると日本的な伝統の特質が浮上します。入れないと片流れにも見えるし、シルエットの存在が抽象化され、薄められます。
豊川 その指摘には虚を突かれました。まったく気がついていなかったので。それがきっかけで、コンタクトシートを総体として丸ごと展示し、それを本の形にまとめることに意味があるのではないかと思い始め、この企画につながったのだと思っています。
 巨匠丹下健三の神話化は13年の一連のイベントで、行き着くところまで達した感があります。ここではそれに追随するのではなく、「丹下の眼」をあえて加工をせず、迷走も含めてそのままに提示することで、生身の建築家の活動の様子を知ってもらいたいと思いました。ですから、展示や本を見る人には推理小説を読み解くように、オリジナル資料のなかに分け入って、自分なりの真実を発見する、あるいはストーリーを組み立てる姿勢が求められるでしょうね。


>> 「丹下健三が撮影したコンタクトシート」

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