特集5/独学の建築家

転機になった「映水庵」

——「家づくりの会」を通じて施主に巡りあったこともありますか。

川口 ええ。最初のケースは両国の橋のたもとに立つ、1階が喫茶店、上階が住まいの建築で、87年に竣工し「映水庵」と名づけたものです。近辺には蔵が残っていたので、コンクリートでありながら土蔵のようなイメージで設計したのですが、その頃はやっていたコンクリート打放しとは趣を異にする外観が人目をひいたようで、喫茶店を訪ねては設計者は誰かと聞きただす人が多く、そのたびに施主が私を強く推薦してくれたことから、その後7件の設計依頼がありました。

——「映水庵」で自分の設計の方向性をつかんだのですね。

川口 そういう路線でやると仕事が来るというのがよくわかりました(笑)。そこは大事なところなのですが、でも方向性をつかんだというのとは違います。

——というと、いろいろと迷いがあったのでしょうか。

川口 独学で師がいません。それは目標がない、基準がないということでもある。師をもつ人が独立後に師のスタイルを踏襲するかしないかは別として、いずれにしろ確固とした基準にはなるはずです。私にはその基準がない。だからいろいろなスタイルに関心が向くし、ひかれます。別の言い方をすると、あちこち揺れ動いて止まない、到達点をもたない、終わりがないということになるでしょうか。

——凝り固まっていないやわらかな姿勢。混成系ともいえますね。

川口 そうでしょうか。どんなことでも知らなかったことを知らされると、すごく興味がわいてきて、自分の建築に取り込みたいと思うのです。たとえば長男の琢磨は私とはまったく違う建築設計のキャリアを積んでいますが、訪ねた建築もまったく違っていて、スイスの建築を多く見ています。ピーター・ズントー、ヘルツォーク&ド・ムーロン、ピーター・メルクリ。彼が撮影した写真を見ると、空間のつくり方や素材の扱い方など、すごく刺激を受けます。

>>「映水庵」
>>「礫明 第一期」の図面を見る

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