新たな局面
——最初の住宅以降、雑誌の掲載についてはいかがでしたか。
- 島田 ほとんどコンスタントに出ていますが、最初のうちは一般誌でした。初めて『新建築 住宅特集』(新建築社、2009年7月号)に出たのが、10作目の「塩屋町の住居」(06)です。編集部に行くことがあって写真を見せたら、ちょうどリノベーション特集を進めているから、すぐ取材という話になって、あれよあれよという間に掲載されたんです。
——間仕切り壁にあけた窓のような開口は、この家が最初ですか。
- 島田 開閉できる窓は前にもありますが、フレームだけの開口はそうです。ほかにも、十字の窓など、今使っている建築言語はここから発生しました。
——それはリノベーションだからということもありましたか。
- 島田 そうですね。それと、この頃からやっとスタッフを雇いはじめ、つくり方が変わったのもあります。それまでは自分ひとりで黙々とつくっていたのですが、スタッフとやりとりしながらつくると言語化されるので。
——なるほど。この「タトハウス・北野町の住居2」では鏡の仕掛けなど、さらに建築言語が増えていますね。
- 島田 今までやりたかったことを全部ここで吐き出した感があります。ここは親の家だったこともあり、設計期間が長く、その間に考えた3案を交ぜ合わせてつくっています。当初の案は若干コンセプトが強すぎて、一時中断していました。最近多い、ワン・アイデアで「建築のコンセプトに奉仕する」みたいな家にはしたくなかったので。
——ひとつのコンセプトを際立たせるためにほかを犠牲にするようなことですか。
- 島田 そうです。構成はすごくいいけれど、すぐ飽きそうな。そうではないつくり方はないかと考えました。たとえば、ここでは北側から見るとふたつに割れたように見えますが、南側はひとつの造形のように見えます。コンセプトを完遂するなら、どこから見ても分棟に見えるようにつくるべきで、やや不純な状態なんですね。でも、そういうふうに、見る角度によって、あるいは意識がふとした瞬間に変化して、住宅のありようが全然違うように見えたりするほうが豊かなんじゃないかと思ったのです。
——そもそも、室内開口のような発想はどこから生まれてきたのですか。
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