特集4/独学の建築家

仕事が続き、いつのまにか独立

——卒業後の進路はどうお考えでしたか。

島田 当然、就職しようと思い、いくつか面接に行きました。今になって自分らしい選択だなと思いますが、妹島和世さん、石山修武さん、岡部憲明さんの3人の事務所に行ったのです。実際、2~3カ月は岡部さんのところに通っていました。そうしたら7月頃、大学時代の友人が、家(「東大阪の住居」)の建て替えで困っていて、お母さんがぼくが院生の頃につくった模擬店をすごく気に入っていたので、手を貸してくれと言ってきたのです。それで、それが終わったらまた戻ってくるつもりで、神戸にいったん帰りました。
 その建て替え工事の工務店はすでに決まっていたので、まず最初は現場のことを何も知らないからと頼み込んで、工事中の1軒を上棟から手伝いました。その後は毎朝6~9時までコンビニでバイトして、それから設計してという生活です。超ローコストで、設計料は結局もらったかどうかもよく覚えてないし、最後は終わらせることしか考えていませんでした(笑)。それでもなんとか終わって、設計事務所で働こうとしたら、当時、狭小住宅ブームで、『狭小住宅 Part2』(ワールドフォトプレス)にその家がのったのですが、それを見た人からまた仕事が舞い込みました。
 今度はわりと広い家で、工務店をさがすところから始めて、設計料もちゃんともらいました。ただ、いつまでにどれだけお金をもらうとか、どういう契約書をいつ交わすとか、何も習っていないので、要望を聞いてから施主に一度も連絡せず、数カ月後、突然「できました」と図面を持って行ったのですが、施主は意外とすんなり「いいね」みたいな感じで、そのまま建ちました。
 でも、自分が勉強が足りてないのはよくわかっていたので、今度こそ仕事をしようと思い、東京でアパートを借りる準備もしていたのですが……。

——また依頼が来たのですか。

島田 恐ろしいことにふたつも(笑)。しかも、うち1件は公共の仕事でした。西脇市で公園をつくる計画があって、ぼくがランドスケープの仕事をしている友人を紹介したところ、隣に集会場をつくることになったから、何か考えてくれと言われたのです。考えはしましたが、2社ぐらい、ちゃんとした会社が参加していたから、まさか自分に降ってくるとは思っていなかった。ところがほかの案がひどくて、いつのまにかやるはめになって……。その仕事が始まった時点ぐらいで、「ああ、これは独立しているということだな」と(笑)。その「西脇の集会所」(02)も案の定すごく大変で、死ぬかと思いました。設計期間と積算が各1カ月しかなく、当時は誰に振ったらいいかもわからないので、自分で勉強して積算書も全部つくったのです。図面も役所の人に、「島田さん、ここの納まりの図面がないと見積もれませんよ」とか(笑)、いろいろ鍛えられました。

——なにごともつくりながら現場で覚え、人にも恵まれたんですね。

島田 そうですね。大学でみっちり建築の勉強をした人は、そのまま独立することも多いのに対し、ぼくみたいにあんまり建築専門ではない学科を出たら、普通は何年か設計事務所で修業して独立すると思うのですが、ぼくはどっちでもない。人に同じ道はとてもすすめられません(笑)。

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